七海と危険な朝

 翌日、知らない天井だなどと意味もなく小ボケをかましつつ起床。

 半ば習慣と化しているソーシャルゲームのログインを終わらせ、洗面所へ。


「おはよう、海ちゃん」

「おはよう」


 洗面所では七海が身だしなみを整えていた。

 昨日とは違い、その身をセーラー服に包んでいる。

 何で夏休みなのに制服をとの疑問は、部活があるのかとすぐに自己完結した。

 ずっと帰宅部だったので夏休みに学校に行く発想がなかった。


「部活か?」

「そうなの。うぅ、本当なら海ちゃんの案内をしたかったんだけど、試合が近いから行かないわけには」


 周りを海に囲まれた海月島には高校は一校しかなく、正確に言えば一つの学園が小中高を運営していた。

 そのため、他校との試合は本土に行くしかなく、誰もが並々ならぬ思いでことに当たるとか。

 七海は一見すると母親である七瀬さんのような緩い空気を纏っているが、勝負事となると父親である力さんの血が表に出る。

 証拠に残念そうにしながらも、試合へのやる気が全身から溢れていた。


「いいっていいって。また今度頼むわ。それよりも、しっかりと練習してこいよ」

「うん! 頑張る!」


 元気いっぱいな七海の姿は、朝から活力を与えてくれる。


(きっと部活でもムードメーカーなんだろうな)


 先輩に可愛がられる七海の姿が容易に想像できた。

 とにかく、歯磨きや洗顔は七海が終わった後にしようとリビングへ。


「おはようございます」

「おはよう、海君。よく眠れた?」

「はい、ぐっすり眠れました」

「はっはっはっ、睡眠は大事だからな! よく食べ、よく動き、よく寝る! 良質な筋肉を作るには――」


 朝から相も変わらず力さんのテンションが高かった。

 思えば、この人の落ち着いている姿を見た事がない。

 どうしたものかと困っていると、


「放っといて良いわよ。まともに付き合ってたら身が持たないから」

「は、はははっ」


 気づけば満足したのか、力さんは部屋へと戻っていった。

 見れば時計は八時示している。朝食も済んでいるようなので仕事に行く準備をするのだろう。


「海君は朝はご飯派? それともパン派?」

「どちらでも大丈夫です」


 テーブルにつくと七瀬さんがお茶碗とパンの袋をそれぞれ手に持ち、尋ねてきた。

 特にこだわりがないので、手間がかからない方でお願いする。 

 そもそも、実家では朝ご飯を食べることはあまりなかったが、引っ越しで疲れたのか胃袋が空腹を訴えていた。


「じゃあ、ご飯で良いかしら」

「はい、ありがとうございます」

「海ちゃん、ご飯派なの?」


 七瀬さんが台所へと姿を消すのと入れ替わりで身支度を終えた七海がやってきた。 


「どっちも好きだから、特別どっち派とかはないな」

「そうなんだ。ちなみに私はご飯派だよ」

「昔からお米食べたいお米食べたい言ってたもんな」


 七海は小さい頃からとにかくお米を食べたがった。

 小腹が空いたらおにぎりを、めんどくさければ白米に塩をかけて食べていたぐらいだ。

 当然ご飯派だろう。パン派とか言われたらそれこそ驚く。

 しかし、よく食べ、よく動き、よく寝る割には二の腕などは細い。

 女子だからだろうか。それとも体質なのか。


「おっと、今の内に歯を磨いてくるか」


 幸い、まだ髭はそれほど生えてこないので朝の支度は簡単に済む。

 歯を磨き、顔を洗い、寝癖があれば直す程度だ。

 寝癖がなかったので五分もあればお釣りが来る。


「はや」

「こんなものだろ」

「やっぱり、男子は早いんだね」

「まあ、身だしなみに気を配っている奴は違うだろうけどな」


 クラスメイトだと毎日ばっちり髪を決めてくる人が二、三人はいた。

 ふと思えば、彼らは総じてモテていた。

 もちろん、元の容姿や接しやすい性格故にってのもあるが。


(俺に足りないのはそこか?)


 やはり、女子の眼を意識して相応の恰好をするのが大事なのではないか。

 うぬぬ、衣服や髪型への興味が薄い身としては辛いところだが。

 とりあえず、七海に聞いてみることにする。


「なあ、七海。やっぱり、身だしなみとかって気を付けた方が良いよな?」

「え? うん、そりゃ、気にしないよりは良いと思うけど、どうしたの?」

「なるほどなあ」


 やっぱり、気を付けた方が受けが良さそうだ。


(今度、ファッション雑誌でも買ってみるかな)


 家へと向かう道中に小さな書店があり、雑誌ももちろん置いてあった。

 値段すら知らないが、特別高いってことはないだろう。


「うぬぬ、何だかよからぬことを考えていそうな気配が」

「よからぬって」


 いぶかしげに眉をひそめる七海を一蹴する。


「年頃の男の子としては、他者からの眼ってのも気にしないといけないって思っただけだ」

「…………要するにモテたいと。彼女できたことないから」

「うぐっ」


 こやつ人の傷口を平気で抉りやがって。

 胸を押さえて苦悶の表情を浮かべるが、七海は冷めた眼で見下ろしてくる。


(この威圧感は一体何だって言うんだ……! お、俺が気圧されている、だと!?)


 俺ごときが色気づくなど百年早いとでも言いたいのだろうか。


「ふーん」


 非常に冷たい声が全身に突き刺さる。

 言葉や視線が物理攻撃力を有したかと勘違いしそうになる。

 だが、ここで引き下がれば男が廃る。


「ま、まあ聞け。確かに、女子からの好感度に影響するのではないかとの考えがなかったかと聞かれたら嘘になるし、異性からの評価はすなわち一種の男の価値に相当するわけでして、少しでも良い男になりたいと日々精進をかかさない俺としては、不足している面があるならば改善していかないといけないなと、ね?」

「…………」

「そ、その一環として“身だしなみ”をクローズアップしたわけだ。今まで意識したことがない面であり、だからこそ七海の意見を聞きたく、その結果もう少し努力をする必要があるとの結論がでてきて!」

「…………するに」

「は、はい?」


 必死に話していたため、前半部分を聞き逃してしまう。

 聞き返すと七海は一切変化を見せずに淡々と、


「要するに?」

「オシャレしたらモテるかなって思いました!」


 強者のオーラを纏った七海の覇気に、背筋を伸ばしてはっきりと正直に答えた。


「だと思った。変に言い訳しなくて良いのに」

「は、恥ずかしかったんだよ……。言わせんな!」


 七海が怖かったからつい言い訳をしてしまった側面もあるが、恥ずかしかったのも事実なので口にしない。


「うーん」

「な、なんだよ」


 ジロジロと値踏みするような眼で見てくる。何だか落ち着かない。

 目の前で試験の採点をされているかのような緊迫感が襲ってくる。

 うへえ、耐えられない。今すぐ部屋に帰りたい。


「…………」

「か、顔は関係ないだろ!?」


 体から視線が上がり、顔もじっくりと観察される。

 あくまで俺が言ったのはオシャレであり、容姿は関係なはずだ。

 ……うん、関係あるよね。わかってるよ。


「…………うん」

「な、何が!? 何が“うん”なの!!?」

「うん」

「うんだけじゃわからないって!」

「知りたいの?」

「ぐっ……!」


 七海にあるまじき大人っぽい問いかけ方にドキッとしてしまう。

 普段、子供っぽい分、ギャップが心の隙をついてきたのだ。

 こいつ、できる……!


「知りたいなら教えてあげるけど」

「…………あの、もう一回“知りたいの?”って言ってくれないか」

「……えっ!?」


 一瞬遅れて意味を理解した七海が、顔をトマトの様に真っ赤に染める。

 そして、先ほどまでの落ち着きはどこへやら、視線を左右へと泳がせ、わなわなと震える。

 ギャップは消え去ったが、これはこれで可愛いから七海は強い。強い弱いの表現が適切かは知らない。


「あ、ああああ朝からい、いきなり大胆だよ!」


 挙句の果てに思考が宇宙空間へとワープしてしまったらしい。

 明らかに混乱した様子の七海は尚も変なことを口にする。


「だ、だって私たちは学生でお母さんもいるし、そ、それにまだ朝だし!?」

「知りたいのって台詞から一体全体どこに飛んでやがるんですか!?」


 流石に愉悦の範囲を超えていたので慌ててツッコミを入れる。

 すぐそこに七瀬さんが、いやこの音量なら力さんに聞こえていてもおかしくない。

 七海が何を勘違いしているかはわからないが、セリフだけを切り取ると非常にまずい。


「だ、だってだって海ちゃんが!」

「俺!? 俺のせいなの!!?」


 責任の一端は担っていると思うが、諸悪の根源のような言い方は許容できない。


「海ちゃんはいつもいつもそうだよ! 思わせぶりなことばかり……!」

「ええええええええ!?」

「私ばっかり慌てて、から回って馬鹿みたい……!」

「俺も慌ててるよ! つーか、ドラマの最終回みたいな雰囲気は何なの!?」

「海ちゃんのことわからないよ!」

「俺も七海のことわからないよ!?」


 はあはあはあと言いたいことを言い切ったのか、息を乱した七海が笑みを浮かべる。

 けれど、その笑みはいつもの誰よりも明るい彼女のものではなくて……。


「って、ちがーう!」


 完全に流されそうになっていた脳みそに活を入れる。

 もちろん、モノローグなど聞こえていない七海は怪訝な表情だ。


「……海ちゃん、大丈夫? 病院行く?」

「一人だけ平静にならないでくれないかな!?」

「だって、すっきりしたし」

「す、すっきりって」


 全く悪びれず、完全に平静を取り戻した七海の様子に肩を落とす。


(これじゃあ、慌てていた俺が馬鹿みたいじゃないか)


 涙がちょちょぎれるぜと聞こえるように愚痴を言うが、もちろん七海には届かない。


「はあ」

「どんまい」

「七海が言うなっての。……それで」

「それで?」

「知りたいのって言ってくれないのか?」

「っ!」


 七海が可愛らしい悲鳴をあげる。


「い、言わないしー!」

「えー、ギャップあって良かったのに。もう一回もう一回だけでいいから!」

「な、七海さんはそんなに安い女じゃないですから」

「ちぇ、じゃあジロジロ見てた理由を教えてくれよ」

「それはんぐぐ」

「ちっ」


 言いかけた口を手で塞ぐことで漏洩を逃れた七海へと舌打ちをする。


「あ、危なかったあ」

「つーか、言えない事なのかよ」


 素直に言ってくれなさそうだからフェイントをかけたわけだが、その理由は皆目見当がつかない。


「…………別に言っても良いけど」

「なら、プリーズ」

「……その変わり、一個言うこと聞いてくれる?」

「いや、それは流石にハイリスクすぎだろ」


 無理無理と手を顔の前で横に振る。

 だが、七海は不満そうに唇を尖らせる。


「じゃ、じゃあ、今度教えてあげる! だから、その、それまでは……」

「最後何て?」


 後半はボソボソと小声だったために聞こえなかった。

 元気の塊かと思えば、存外小声になることが多い。


「そ、それまでは」

「それまでは?」

「お、おおお」

「お?」

「お、オシャレは……禁止で…………」


 七海が言いにくそうに告げた条件に首をかしげる。意図がよくわからなかった。

 おそらく先ほど七海は俺の潜在オシャレ力を測っていたと思われる。

 その結果は今すぐには言えず、教えるまではオシャレはしないで欲しいとのこと。

 ここから導き出せるものは――、


(俺の潜在オシャレ力低すぎ、とかか?)


 腑に落ちたとまではいかなかったが、それなりに的を射ているのではないだろうか。

 仮に合っているとすれば七海が欲する期間とは即ち準備期間。

 俺のオシャレ力を上げるために情報を集めてくれるのだろう。面倒見の良い七海なら十分考えられる。


(おお、段々合ってる気がしてきたぞ)


 さすれば提案を断る理由はない。


「わかった。じゃあ、それで」

「う、うんっ!」


 七海もどことなく嬉しそうに強く頷く。

 面倒見の良い従妹をもって幸せだなと感じる二日目の朝。


「あらあら、海斗君は勉強が足りないわね。七海ちゃんももうちょっと素直にならないと」


 ふと声が聞こえ、そちらの方を見るとこちらの様子を窺っている七瀬さんがいた。 

 七海は気づいていないようなので、アイコンタクトで何をしてるんですかと尋ねるが、


「はーい、お待ちどうさま」


 まるで今しがた来ましたと言わんばかりの態度で朝ご飯を持ってやってきた。

 一瞬、七海が混乱した時の際どい会話のせいかとも思ったが、そのような気配はない。


(後で聞いてみるか)


 しかし、その考えは朝ご飯の美味しさに吹き飛ばされてしまうのだった。

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