自制心を鍛えねば
天海家はその昔、海月島にまつわる伝承の担い手だったと聞く。
だが、随分と前に廃れてしまい、今では本家に残された書物程度しか知られていない。
七海の家は分家に当たり、俺は一応宗家に属する者だ。
と言っても家は母の弟――悠海(ゆうと)叔父さんが継いでおり、俺には一切関係ないのだが。
そのようなこともあり、天海は海月島の中では名家とされるが、七海の家はごくごく一般的なものだった。
「海斗ー! 久しぶりだな!」
身長は推定190cm、自然の中で育まれた筋肉がTシャツを破らんとばかりに脈打っている。
七海の騒がしさも結構なものだが、馬力が文字通り桁違いなため、思わず腰が引けてしまう。
だが、そんな俺を逞しい腕が捉える。
「おーおー! でかくなったなあ!」
「お、お久しぶりです……」
「がーっはっはっは、今日から家族になるんだ! よそよそしい態度はよしてくれ!」
「う、うっす」
七海の父親――天海力(あまみりき)は、(彼なりに手加減したのだろうが)笑いながら俺の背中をバシバシと叩く。
歓迎してくれるのは嬉しいが、息が詰まる。
タップとばかりにオジサンの背中を叩くが、意図が伝わらず再度強打が襲ってきた。
「お父さん! 海ちゃん苦しそうだよ!」
「はっはっは、悪い悪い!」
七海の助け舟により、やっとこさ解放される。
うへ、背中がひりひりする。
きっと見事な手形がついていることだろう。
目視で確認すると、痛みが増すので見ないが。
「さんきゅ、七海」
「ううん。こっちこそごめんね。お父さん、あれでも喜んでるんだ」
「い、いや、喜んでるのはすっげえ伝わってきたから」
「お父さんやお母さんからしたら海ちゃんは息子なんだよね」
「は、はははっ」
オバサン――天海七瀬(あまみななせ)からは玄関で歓迎の抱擁を受けた。
背丈など容姿は七海とそっくりな七瀬さんだが、性格は至って温和。ほのぼのとしている。
「海坊! 今日はすき焼きだぞ!」
「すき焼きいいっすね!」
七海から聞いていたので知っているが、ここは合わせておく。
隣にいる七海は苦笑している。
「お魚もあるわよ。海君はお魚も好きだもんね」
「うっす! 魚も大好きです!」
力さんの後ろから姿を現した七瀬さんが魚の入った桶を持ち上げて見せる。
「お母さん、それどうしたの?」
「ふふっ、峰さんに息子が帰ってくるって言ったら持って行けって」
「峰さん太っ腹!」
おそらく峰さんとは漁業を営んでいる方なのだろう。
桶には様々な種類の魚がひしめき合っている。確かに太っ腹だ。
……ナチュラルに息子扱いされている事にはツッコミを入れた方がいいのだろうか。
「それじゃあ、お母さんたちは準備を始めるから海君を部屋に案内してあげて」
「りょうかーい。海ちゃん行くよー」
「俺も手伝った方が……」
「いいっていいって! 今日は海坊の歓迎会なんだからな! 主役はドシッと構えてな!」
「それに荷物の整理が先でしょ」
「料理はオバサンに任せなさい。これでも結構得意なのよ」
……手伝いなら他でもできるか。
ここは好意に甘えさせてもらおう。
「わかりました。ありがとうございます」
二人に軽く会釈し、七海を追って階段を上……。
「海ちゃん?」
上りきったところで待っている七海が不思議そうに名前を呼ぶ。
しかし、俺は反応することなく、下を向いたまま、急いで階段を上り終えた。
「どうかしたの?」
「な、何でもない」
言えるか。
七海のスカートは特別短いわけではないが、そこそこ傾斜がある構造上――純白の布地が眼に眩しかったなどと。
初日から好感度マイナスに突入などしたくない。
つーか、無防備なんだよ。もうちょっと淑女の嗜みを覚えてほしい。
けれど、それを言うにはタイミングが悪すぎる。追々それとなく伝えるとしよう。
………………
…………
……
「ごちそうさま」
「え? 何か言った?」
素直な俺に乾杯。
「ありがとうって言ったんだよ」
「いきなりどうしたの?」
「いや、常々感謝は口にしないとって思っててな」
「変な海ちゃん」
変は変でも変態なのだが、知らぬが仏。
「ここが海ちゃんの部屋だよ。ちなみに隣が私」
パパとママは下の階だから二階は私たちだけとのこと。
瞬間、ピンク色の妄想が脳内を駆け巡りそうになったので強打を加え、思考を強制中断させる。
鈍い痛みが側頭部に走る。狙い通り妄想は霧散した。
幸い、部屋の様子を確認している七海には見られなかったようだ。
(あー、強い自制心が欲しい。いや、鍛えないと)
どうやら、先ほどの甘美な光景がそっちに直結させるらしい。
我ながら思春期過ぎて申し訳ない。
折角、俺の事を信用してくれて居候させてくれるのに。
(しっかりしろ、天海海斗! お前は強い子だ!)
「うー!」
唸り声に七海の方を見ると、カーテンレールへと必死に手を伸ばしていた。
よく見るとカーテンの僅かに傾いている。一部外れているのだろう。
しかし、俺の視線は七海が体を弾ませる度に軽やかに舞うスカートへと――
「お、俺がやるよ」
再度、側頭部へのダメージを負うことで平常心を取り戻す。
「ごめんね。お願い」
「いいっていいって。そもそも、俺の部屋だしな。感謝こそすれ、謝られる理由はないって」
「でも、ありがとう。感謝は言葉にしないと、だもんね?」
柔らかく笑う七海はまるで夏を鮮やかに彩るひまわりのようだった。
「なら、こちらこそありがとう」
釣られるように俺も顔をほころばせた。
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