従妹襲来!

 今しがた起こったことは何だったのだろうと首をかしげていると、やかましい声が耳に届く。


「あー! やっと降りてきた!」


 塩素で脱色されたのか薄っすらと茶色の髪に、琥珀色の瞳、先程の女性とは真逆で喜怒哀楽がよくあらわれる童顔が特徴の少女――天海七海(あまみななみ)は両手を腰に添え、頬を膨らませていた。

 迎えが来ると聞いていたが、どうやら七海のようだ。


「うっす。久しぶり」

「おひさー! って、遅すぎ!」

「悪い悪い。ごちゃごちゃしてたから後で良いかなって」

「シティーボーイがそれを言っちゃう?」

「電車とか乗らないからな」


 それに俺たちの認識では本土が都会なのだが、一般的な意味でのそれかと聞かれると若干人は少ないかもしれない。

 人の混雑に巻き込まれることなどほとんどなかった。


「それより、七海が迎えだったんだな。てっきりオジサンが来るとばかり」

「ぶーぶー、私だと不満なのかな」

「不満って言うか、お前が迎えだとつまり歩きってことだよな」

「もちのろん!」


 ブイと右手をチョキの形にする七海。

 相変わらずテンション高めの賑やかな娘だ。


「まじかよ」


 オジサンの車を当てにしていた俺は肩を落とす。

 フェリーでの移動は存外体力を使うようで軽い疲労感を覚えていた。

 なので、できれば歩きたくはなかったが、こればかりはどうしようもない。

 お金がないのはもちろんだが、観光地といっても小さな島だ。数少ないタクシーはすぐに観光客で埋まってしまう。

 そのため、地元の人はほとんどが徒歩や自転車で移動する。

 車を使うのは、離れたところに行く時か、調子の悪い時、またはお年寄りを送るときぐらいだ。


「まじまじのおおまじ。ほら、ふぁいとー!」

「元気だなあ。若いって良いねえ」

「一つしか違わないでしょ」

「え!? 七海って高校一年生なのか! その割には……」


 もちろん知っているのだが、身長やスタイルが歳の割に慎ましいため、大げさに反応してみる。

 案の定、七海はガーンと擬音をつけたくなるほどの良いリアクションを見せてくれた。


「わ、私だって……」


 後三年もすればとごにょごにょと力なくつぶやく七海の頭に手を置く。

 瞬間、七海がしまったと言わんばかりに口を開く。


「おらおらおらー!」

「きゃーーーー!」


 そして、勢いよく撫でる。いや、七海曰く振り回す。

 七海も両手で頭を固定し、必死に抵抗するがパワーでは明らかに俺に分がある。


「う、うきゅー」

「あらまあ、可愛らしい悲鳴」

「だ、誰が可愛いだー!」


 眼を回し、フラフラとしていた七海が都合の良い部分にだけ反応する。

 嬉しそうににやけているのだからわかりやすい。


「そんなの愛しの七海ちゃんに決まってるじゃないか」

「ウィンク気持ち悪いよ」

「急に冷静になるな!」


 冷めた眼で見てくる七海にツッコミを入れる。

 緩急ききすぎてついていけない。


「愛しのでもきつかったのに、ウィンクとかもはや攻撃だよね」

「そこまで!? そこまで気持ち悪いと申しますか!」

「申す申す。他の人にやっちゃダメだよ。最悪、捕まるから」

「やらないわ! 絶対絶対やるもんか!」


 ならばよろしいと満足げに頷く七海を非難の眼で見るが、華麗にスルーされてしまう。

 スカートを軽やかに翻し、歩き出す。

 ええい、行くなら行くで確認をとってくれよ。

 しかし、一方で七海が変わっていなくて安心していた。

 これから一緒に住むことになるのに、思春期の娘よろしく邪険にされたら肩身が狭い思いをするはめになる。

 一応、年頃の娘さんがいる家に居候はと断ろうとしたのだが、オジサンの豪快な笑いに掻き消された。

 大らかなのか、俺が信用されているのか。多分、両方だろう。


「海ちゃん、見てみて!」

「海ちゃんはやめ……」


 変わらないのはありがたいが、その呼び方はやめてくれとの言葉は最後まで紡がれることはなかった。

 七海の視線の先を追うと、そこには懐かしい景色があった。

 どちらからともなく足を止める。

 フェリーの乗り場近くにある坂、その道中から見える水平線は海と空とが織り成す濃淡な青のハーモニー。


「懐かしいね……」

「そうだな。よく見に来たっけ」


 蘇る七海との想い出。

 色々な場所から水平線は見ることが出来るが、俺たちはここからのが一番好きだった。

 何度も何度も、飽きることなく。


「菊さんの所で駄菓子買ってな」

「そうそう! ここに座って駄菓子を食べながら見てたね」

「やっぱり、ここからの景色が一番だな」

「海ちゃん海ちゃん」


 しゃがんでアスファルトをパンパンと叩く七海。

 仕方がないなとそこに座る。

 そして、当然横に七海が座る。

 スカートを整える仕草に、七海も女の子になったんだなと失礼な感想が浮かぶ。

 口にしたら怒られるので心の内に留める。


「うお、結構高いな」

「あれえ、海ちゃん怖いの?」

「猫なで声やめーい。こわかねーよ。怖くないけどガードレールとかなくて良いんかね?」


 坂はそれなりに傾斜があるため、砂地との差は結構ある。

 頭から落ちたりしなければ命の危険はないだろうが。

 しかし、七海はその発想はなかったと言わんばかりに呆けている。

 そして、恐る恐る下を覗き込み、


「こわっ! 海ちゃん、ここ高いよ!」

「気付かなかったんかい!」

「だ、だって、海ちゃんが引っ越してからは全然来なかったから」


 尚もひえーおっかねえと言いながらも楽しそうな七海が俺の服の裾を掴んできた。


「よし」

「おいこら、何がよしだ」

「愚問ですな。これで万が一私が落ちても」


 俺が支えると。

 七海は背も小さく、腕や足の細さを考えるとそれ相応の体重なのだろうが、果たして俺の筋力で何とかなるだろうか。

 もやしっ子だぞ、俺は。


「一人じゃない」

「道連れかーい!」

「一人落ちるとか悲しいじゃん。海ちゃんも一緒ならきっと笑い話になるよ」

「俺は笑えないからな!?」


 何とまあ恐ろしい発想だこと。

 お兄さん君の朗らかな笑顔に恐怖を覚えるよ。


「大丈夫大丈夫。きっと楽しいって」

「……おい、まさかとは思うがわざと落ちる気じゃないだろうな」

「あははっ、流石にそんなことはしないよ。危ないじゃん。もー、そこまで馬鹿じゃないよ」


 頬を膨らませて文句を言う七海だが、


「安全が確保されていたら?」

「フライアウェーイ!」

「だと思ったよ!」

「もちのろん!」


 例え安全が確保されていても、怖いものは怖い。

 緩い笑顔の裏に隠された度胸に震えが止まらない。


「あのな、お前も女の子なんだからそこらへん」

「それじゃあ、そろそろ行こうか」

「華麗なスルーは悲しくなるからやめてくれないかな」

「蝶の様に舞い、ハチの様に刺す」

「うん。君はボクサーか何かかな?」

「未来のチャンプかもね!」


 シュッシュッと口で言いつつ、シャドーボクシングを披露する。

 テニス部だけあって想像よりも鋭いパンチだったが、見た目と擬音のせいで可愛らしさが先行していた。


「よく来た未来のチャンピオンとでも言っておこうか」

「今日は歓迎会ってことですき焼きなんだって! やったね、偉いぞ海ちゃん!」


 スルースキルが高すぎる従妹への対処方法を知りたいです。


「俺が来て良かったろ? 褒めろ褒めろ」

「うんうん、褒めるから毎日引っ越してきてね」

「引っ越しの概念が壊れるなあ」

「毎日すき焼きが食べられるなら概念の一つや二つ壊してくれよう!」

「引っ越し業者がパニックになるから許してあげて」

「パニック? こちとらすき焼きパニックだー!」

「勢いよく言えば何でも誤魔化せると思うなよ!」

「ゾンビパニックも可」

「昨日、映画見ただろ」

「残念、一昨日だよ!」


 くそ、一日違いかと悔やむ俺をしり目にニヤニヤとだらしがない笑みを浮かべる七海。


「そこの乙女さんや。年頃の娘としてはいささか恥ずかしい顔をしているぞ」

「誰が恥ずかしい顔だー!」

「ごめんごめん。表情がな。締まりのない感じだったから」

「楽しいなって乙女的な感情が表に出ただけです」

「お前の乙女が心配だよ!?」

「男なら細かいことは気にするなってお父さんいつも言ってるよ!」

「男女差別良くない。平等精神大事にしようぜ」


 表情を引き締めた七海が、わかりました大佐と敬礼をする。


「海ちゃんなら細かいことは気にするなって私が言ってるよ」

「俺限定かよ!? しかも言ってるのは七海かい!」

「男とか女とかどうでもいいの! 大事なのは私たち二人の事でしょ!」

「何で俺があれこれ言い訳する彼氏っぽくなってるんだよ!?」

「彼氏!? へ、へへへっ、海ちゃんも大胆なことを言うね。これがシティーボーイの力……!」


 シティーボーイを何だと思っているのか。

 だが、色気より食い気かと思われた七海も、彼氏との単語に頬を薄っすらと染める程度には興味があるとは。

 何だかんだ言っても年頃の娘さんか。


「そういえば、七海は彼氏とかいるのか?」

「うへえい!? と、突然どうしたの!!?」

「突然ではないだろ。一応、流れに沿ってるって。んで、どうなんだ? 七海も花の女子高生だし、彼氏の一人や二人ぐらいいるんじゃないか」

「ひ、一人や二人って海ちゃんの倫理観が疑われるよ!」

「…………」

「何でツッコミがないの!?」


 すまない。

 許されるならハーレムを形成したい従兄ですまない。

 そもそも、彼女できたことすらないけど。


「昔と変わらないなと思ってたのに、大事なところが歪んじゃってた……!」


 前半部分、七海も同じ感想を抱いていたのかと嬉しくなる。

 

「何で嬉しそうなの!? 歪んでるって言われたから!? 罵倒されたら喜んじゃうタイプなの!!?」

「……そんな趣味はない」

「即答してよ!」

「いや、内なる自分と対話をだな。ほら、万が一ってこともあるし」


 どちらかと言えば、イジメる方が好きとの結論が出た。

 でも、興味がないのかと言われれば嘘になっちゃう。男の子だもん。


「複雑な年頃だからな」

「複雑すぎるよ! 皆目見当がつかないよ!」

「思春期男子ってのは、そういうものなんだ」

「海ちゃんだけだと思うんだけどなあ!」

「失礼な。俺はちょっぴり欲望に素直なだけだ。多分、自重できる。あ、多分だからな、多分。絶対じゃないぞ」

「念押しされると不安しかないんだけど……」

「素直なのが俺の長所だから」


 できない約束はしないし、自信がなければ予防線を張りまくる。


「いや長所でもあり、短所でもあるか」

「自覚してるなら気を付けてよね」

「自覚してるから開き直ってるだけだぞ」

「最悪だー!」

「七海、最悪って最も悪いって書くんだぞ。よーく考えるんだ。本当に最も悪いことか? ほら、もっと酷いところがあるかもしれないだろ」

「そこ気にするの!? と言うか、まだ知られざる短所があるんだぞアピールはやめて!」


 バタバタと両手を振りながら取り乱す七海の姿に愉悦を覚える。

 やはり、振り回されるより、振る舞わす方が楽しい。

 待てよ。だが、あの謎のクールビューティが相手なら振り回される方が一興なのではなかろうか。

 だからこそ、時折見せる歳相応の反応が引き立つというもの。


「じー」


 口元に手をやり、しばし考え込んでいると七海は不満げに半目でこちらを見てくる。

 わざわざ効果音を口で言わなくても、至近距離で見られれば嫌でも気づく。


「なんだよ」

「なんでもない」

「なんでもなくはないだろ」


 先ほどまでとは一変、言葉の温度が下がっている。

 女心と秋の空とは聞くが、急転直下すぎてジェットコースターかよと言いたくなる。


「ふんだ。折角、久しぶりに出会った従妹を前にして、他の人の事を考えるとか最低だよ」

「よくわかったな」

「やっぱりー!」

「やっぱりって確信あったんじゃないのかよ」

「あったけど、なかったの!」

「さいでっか」


 感覚で生きる人種ならではの物言いに半ば感心してしまう。


「それで……その、女の子?」

「何が?」

「さ、さっき考えてた人だよ……」


 七海にしては珍しく歯切れが悪い。

 別に聞かれて困ることはでないが、何と説明したものか。

 確かに女の子は女の子なのだが、本当に実在していたのかは怪しい。

 暑さにやられた脳みそが見せた幻覚。……なるほど、それなら好みの容姿をしていたのも頷ける。

 しかし、だがしかし、あれだけ可愛い子が、


「うーん、女の子、なのかな?」

「……どういうこと?」

「もしかしたら男かもしれない」

「どういうこと!?」

「世の中はそう単純にはできていないってことだ」

「訳が分からないよー!」

「強いて言うなら夏の妖精さんだな」

「大丈夫? 病院行く?」

「平静に戻るのはやすぎませんかね!?」


 いや妖精はないですよとのアイコンタクトが飛んできた。

 言葉にするのもはばかられると申すか。


「オーケーオーケー。俺が悪かったから、この話はまた今度にしてくれ。正直、俺もよくわからん」

「う、うん。わからないけど、わかったよ」


 彼女とはまた会える気がする。

 七海に話すのはその時でも良いだろう。

 会えなかったら俺の妄想が具現化したってことで一つ。


「で、でも一つだけ教えて」

「何でもは無理だが、できる限り答えてやろう。エロ本の隠し場所は教えられないぞ」

「やっぱり、持ってるんだ」


 墓穴を掘ったかもしれない。

 七海の眼が完全にハンターのそれになっている。

 これは隠し場所に苦心しそうだ。

 つーか、乙女なら恥ずかしがれよ。意気揚々とすな。


「エロ本はいいから、聞きたいことって?」

「それはそれで捨て置けないけど」


 そこで言葉を切り、頬を赤らめ、もじもじと落ち着きがない様子で問うてきた。


「海ちゃんは、その、彼女とかいる、の?」

「………………」


 未来のチャンピオンの強烈な一撃に天を仰ぐ。

 ああ、今日の空は一段と綺麗だな。

 澄み渡った青空は、いつも変わりなくそこにある。

 そうさ。世界と比べれば俺の彼女いない歴などちっぽけなもの。何を恥じる必要があるのか。

 むしろ、はっきりと男らしく言ってやろうではないか。


「イナイヨ」


 完全に声に動揺が表れていた。


「良かったあ!」


 一方で七海は満面の笑みを浮かべる。

 悪魔か、こやつは。


「あ、前に彼女がいたとか」

「ねーよ! あったらもっと堂々としてるわ!」

「完璧だね!」

「どこがだよ!」

「う、海ちゃんの歪んだ倫理観の被害者がいなくて良かったなって!」

「今まさに俺が言葉の暴力の被害者なんですけど!」

「えへへ、私と海ちゃんの仲じゃない」


 それに私だって頭振り回しとか耐えてるんだよと言われれば、言い返す言葉もなかった。


「よーし、家まで走ろう!」

「はあ!?」


 やけにご機嫌な七海が謎の提案をしてきた。

 提案と言うか、既に走りだしていた。


「ま、待てよ! 俺、荷物あるんだから!」

「ふぁいとふぁいとー!」

「おま、この野郎!」


 家まであとどれくらいだろうか。

 距離も道もはっきりとは覚えていないので、案内役の七海を見失うと迷子になる恐れがある。


「待て! 待って! 待ってくださーい!」


 情けない声をあげながら、必死に七海の後を追うのだった。


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