16.上野広小路駅で
厩橋の電停に着くと、康史郞は通学用のカバンを肩にかけ、
(あいつらなのかな。とりあえず、後で山本さんにトタンを捨ててた2人の恰好を聞いてみよう)
用心しながら康史郞が近づくと、軍服姿の方が声をかける。
「黄色のズック、持ってきたよ」
康史郞にはピンときた。八馬の言ってた合い言葉だ。
「ならもらおう」
すると学生服姿の方が服の下から紙包みを取りだした。康史郞は包みを受け取るとカバンにしまう。手触りは明らかにズック靴ではないが、それは言ってはいけないのだろう。
「じゃ、後はよろしく」
2人は足早にその場を離れる。後ろ姿を見送りながら康史郞は思った。
(俺も何色でもいいから早く新しいズックが欲しいよ。そのためにも早くアルバイトを片付けないと)
康史郞は足早に電停に戻った。
上野広小路駅に着いた康史郞は周囲を見回した。
(姉さんたちはまだ映画見てるんだろうな。見つからないうちに帰らないと)
帽子の向きを確かめ、肩掛けカバンを抱えていると、カーキ色のシャツと作業ズボン姿の男性がやって来た。無精ひげを生やしている。
男は康史郞の前に立つと「何色のズックを持ってきたか」と尋ねた。目が据わっている。康史郞は緊張しながら「き、黄色です」と答えた。
「ならもらおう」
男の答えを聞いた康史郞は、バッグから包みを取り出す。男は包みを受け取ると、一部を空けて中身を確認した。
「代金だ」
男はズボンのポケットから封筒を差し出す。康史郞はそのまま受け取ると一礼した。男はそのまま去っていく。
康史郞はおそるおそる封筒をのぞいた。お札が何枚も入っている。康史郞が今まで見たこともない金額だ。
(早くヤマさんに渡さないと)
帰りの都電が来るまで、康史郞は封筒の入ったカバンを抱えて生きた心地がしなかった。
弁当を食べ終えた後、かつらは
「この辺にあったと思うんだけど」
かつらはヤミ市に並ぶ露店の左右を覗いている。隆が尋ねた。
「何のお店ですか」
その時、かつらが不意に立ち止まった。
「良かった。まだあったわ」
かつらが足を止めたのは、中古の靴が無造作に並べられた露店だった。「特売 片方のみ」と段ボールに書かれている。
「
かつらは隆に言うと靴の山をひっくり返し始めた。
「良かったわ。白のズックがあって。少し傷んでるけど仕方ないわね」
無事買い物を終えたかつらは、右のズック靴を肩掛けカバンに入れた。
「しかしまさか、片方だけの靴を売っているなんて思わなかった」
隆は露天を振り返りながらつぶやく。
「私も初めて見たとき驚いたけど、底が片方割れたりした人が買っていくみたい。お金がないから仕方ないわね」
「このところ何でも値段が上がってるからな。また次回の映画まで倹約しないと」
隆の言葉にかつらは笑顔で答えた。
「私は映画でなくてもかまいませんよ。
「ありがとう。康史郞君も待ってるだろうし、そろそろ帰ろうか」
隆が上野広小路駅の方向に足を向けた時、向かいからカーキ色のシャツを着た無精ひげの男が歩いてきた。手に包みを抱えている。男は隆を見ると顔色を変え、突然呼びかけた。
「京極! 貴様は死んだはず」
隆は顔をこわばらせ、かつらの手を掴んだ。そのまま走り出す。
「待て、亡霊め!」
男の叫び声が遠ざかる。隆はそのまま走り続け、かつらは着いていくのがやっとだった。
ようやく上野広小路駅に着き、都電に乗り込んだ2人は息を整えた。隆の顔はこわばったままだ。
「すまない。今日はこのまま帰ってくれ」
隆はそれだけ言うと窓の外に目をやる。かつらは脳裏で、男の顔を思いだしていた。
(あの人、もしかしたら家に土地を売って欲しいと来た人かも)
しかし、かつらには一度だけ見た男の顔を断定はできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます