一蓮托生(いちれんたくしょう)

大田康湖

第一章 恋の始まり

1.ヤミ市での再会

 昭和22年7月5日、東京。


 下町を流れる墨田川すみだがわ(現在の表記では『隅田川』)沿いにある総武線そうぶせん両国りょうごく駅前。バラックと呼ばれる簡素な作りの店舗が立ち並ぶ夕暮れの市場では、三つ編みを二つ縛りにした若い女性、横澤よこざわかつらが木箱の上に並べたズック靴を眺めていた。

「サイズはいかほどで」

 雑貨店の主人、八馬やまつかさが尋ねる。アロハシャツを着た20代の男性だ。

十文半ともんはん(約25センチ)はあるかしら」

 八馬の問いに答えるかつらは白いブラウスに紺色のスカート姿だが、足下は履き古した足袋に歯のすり減った下駄を履いている。

「お嬢さんには大きすぎやしませんか」

 八馬はかつらの足下を見ながら尋ねるが、かつらはかぶりを振った。

「履くのは中学生の弟よ」

「それは失礼。折角だからお嬢さんもひとつどうです」

「私はまだ大丈夫」

 かつらがきっぱりと断ったので、八馬は白いズック靴を取りあげる。

「十文半ならこいつでどうだい。100円にマケとくよ」

 ズック靴を受け取ったかつらは、縫製の具合を確かめるとうなずいた。

「それじゃ、いただくわ」

 かつらは肩掛けカバンからがま口を取り出すと、10円札を10枚数えて差し出す。

「まいどあり」

 八馬は代金と引き換えに新聞紙に包んだズック靴を渡すと、店の奥をチラリと見た。


 太平洋戦争の終戦からほぼ2年が経ち、新たな日本国憲法も施行されたが、日本は未だ連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領下にあり、市民は厳しい生活を強いられていた。国の配給のみでは足りない食料や物資をまかなっていたのは「ヤミ市」と呼ばれた非合法の市場だった。


(お店に遅れちゃうわ)

 新聞紙に包まれたズック靴を腕に抱え、かつらは足早にヤミ市を歩いていた。その時、背後から追い抜きざまに何者かが体当たりした。スリだと思ったかつらはとっさにがま口の入った肩掛けカバンを引き寄せる。その拍子に、ズック靴が腕から転がり落ち、雑踏に飲み込まれた。

「待って!」

 思わず声を上げたかつらの前を、子どもが走って行った。年頃は弟の康史郞こうしろうと同じくらいに見える。その先から、ぬっと立ち上がった人影があった。転がったズック靴の包みを拾い上げると、かつらに呼びかける。

「これは君のかい」

 かつらは声の主を見た。背の高い作業着姿の青年だ。眼鏡をかけている。

「はい、ありがとうございます」

 かつらに包みを渡そうとした男はそのまま立ち止まると、かつらの顔を見つめた。

「君は……この前食堂で介抱してくれた人じゃないか」


「ズックは取り返せなかっただと?」

 雑貨店の裏手で、八馬はかつらに体当たりした二人の子どもに詰め寄っていた。顔立ちが似ているのできょうだいなのだろう。

「アニキが拾おうとしたら先に男の人に拾われちゃったんだ」

 リュウが説明した。戦闘帽を目深に被りボロボロの学生服を着ている。

「今度はちゃんとやるから、勘弁してくれよ」

 大きすぎる軍服を巻き付けるように着ているカイが懇願する。

「お前ら最近ドジ踏むことが多すぎるぞ。警察サツが嗅ぎ回ってるの分かってんのか」

「ヤマ、そのくらいにしてやれよ」

 店先から入ってきたのはカーキ色のシャツに作業スボン姿の男性、廣本 久ひろもと ひさしだ。年は八馬と大差ないが、無精ひげを生やしているため老けて見える。

「お前にいい話を持ってきた。それとこいつも」

 廣本は手に持っていた新聞紙包みを椅子代わりの木箱の上に置くと、ズボンのポケットから小刀を取り出した。

「うまそうなスモモが売ってたんでな」

 廣本が包みを広げるとスモモが数個現れる。そのまま新聞紙の上で二つに割ると、種を取り除いてから子どもたちに差し出した。

「夕飯代わりだ。ちょっと外に行ってろ」

「ありがとう」

 スモモを持って軽く頭を下げるリュウを、カイが引っ張って店の外へ出て行く。二人きりになったのを見計らい廣本は話し出した。

「頼まれてた土地の候補を見つけた。うまや橋の近くだ。被災地域でまだバラックだらけだから、立ち退かせれば広い土地が手に入るぞ」

「分かった。明日にでも案内してくれ」

 八馬はにやりと笑うと、スモモを掴んでかぶりついた。

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