最終話 影は並んで

 手に馴染んだ匙、要る。フチの欠けた計量陶器、要らない。微妙に計りの狂った天秤、保留。


 荷物をまとめるとは、こんなにも難しい事だったのか。部屋中を物取りのように荒らしながら溜息を1つ。物が不足すれば困るし、多ければ嵩張る。絶妙な案配を探すのは大変な作業だった。


「これじゃ母さんを笑えねぇよ、マジで」


 あの大荷物を散々に指摘してやったもんだが、オレも二の舞いになりかねない。言った手前コンパクトにまとめるべきだ。そう思って天秤を棚に戻し、荷造りを再開した。


「道具や必需品だけでこの量か。薬草やら素材まで併せたらどうなんだよ」


「量がどうかしました?」


「うわっ! アイシャか!?」


 振り向けば銀の髪が揺れるのを見た。気配に全く気づかないとは、我ながら間抜けだと思う。


「ノックくらいしろって。何度言わせんだよ」


「すみません、お昼になったんで呼びに来たんです」


「もうそんな時間なのか」


 ダイニングに向かえば温かな香りが出迎えてくれた。肉に野菜にパンといった料理が卓上を埋め尽くしている。我が家とは思えない食事風景だが、母さんが戻って以来定番となりつつある。


「オークロードの香草焼き、ふっくらエスカルドンのバターソテー、そしてゴズテイルのスープ! 今日もゴチソウですね!」


「うふふ。アイシャちゃんが凄く喜んでくれるから。つい頑張っちゃうのよね」


「お母様の手料理は最高です! 腹が裂けるまで堪能したいですもん!」


 劇的に改善された食事を、アイシャは満面の笑みで受け入れた。母さんとも相性が良いようで、時々、本当の母子なんじゃないかと錯覚するくらいだ。料理の方はしっかり美味いので、オレとしても反抗するポイントはない。


 食事を終えるなり、製剤室へとやって来た。粗方は置いていくとして、最低限の原料は持っていきたい。怪我がもとで大病を患うとか、食あたりで野垂れ死ぬとか笑えない。


 基本的に素材は現地調達になるが、未知の大地で都合よく素材が見つかる保証は無い。その一方で積載量は限られるので、アレもコレもと持ち出す事は難しい。


「何をどれだけ持っていくか、悩ましいな」


「イアクシル殿、今よろしいかな?」


「うおっ、ゴーワン。ノックくらいしてくれよ」


「失礼。ドアが空いておりましたので」


「あぁそうか、悪い。んで何の用……」


 話を聞く態勢に入った途端、通路側から母さんが割り込んできた。


「ゴーワン君、話なら私が聞こうかしら? 息子は今忙しいから」


「左様ですか。ではお尋ねしますが、先日に作成した回復薬の効果が今一つでして。理由をお聞かせいただければと」


「ふむふむ。この色味は熟成期間に問題がかるわね。気温の兼ね合いも考えなくちゃいけなくって……」


 それから2人は話し込みつつ、どこかへと向かった。静けさの中で再び吟味に戻る。やはり何度計算しても、望むもの全てを持ち歩くのは難しかった。


「だとするとオットキレソウを多めにするか。そこそこ万能だからな」


 葉の熟成具合を確かめては振り分ける。期間の十分なもの、そして浅いものと2種類。


 そんな折に窓の方から風切り音が聞こえてきた。覗き込んで見れば、ナイフを手にして構えるエミリアの姿があった。


「マザー。これでどう?」


「踏み込みに問題があるわね。腕を振るタイミングが僅かに早いの。そのせいで体重が乗り切ってないのよね」


「難しいことを言う。クセがついちゃってる」


「そうかもね。でもそこが改善されれば、もっと強くなれるわよ」


「分かった。信じる」


 エミリアは珍しく真剣で、丸腰の母さん相手に連綿と打ち込み続けた。刃が触れている様にも見えるが、血は一滴も見えない。本当に紙一重で避けているのだろう。


「なんだかんだ言って、皆うまくやってるよな」


 出立は夜更けが良い。自分の部屋で1人、壁のシミを眺めながら時間を潰した。不思議と退屈さは感じない。脳裏に押し寄せる幼い頃の記憶が、心を騒がせたからだった。


 1人が寂しく泣き腫らした日々。耐えかねて王都へ行けば見知らぬ人ばかり。そうして幼心が孤独に慣れ親しんだ頃、学院の連中と衝突を繰り返すようになった。当時は鬱陶しく、叩き潰す事ばかり考えたものだが、今思えば寂しさが紛れていた。


 そんな深層心理から、ノイズマンを最後まで見捨てなかったのかもしれない。


「せっかくだから、アイツに別れの言葉を告げてやるか」


 そう思って止めた。ノイズマンは極刑こそ免れたが、収容所送りとなり、過酷な労働を強いられる予定なのだ。ここで別れでも告げれば、嫌味と受け取るに違いなかった。


 ちなみに取り巻き連中は、事件当時の活躍が認められ、功罪相殺という事でお咎めなしだ。今はノイズマンの保釈金を稼ぐために奔走中だとか。本当に固い絆なんだと驚かされる。


「他人(ひと)は他人、オレはオレ。誰かに人生を賭けてまで尽くそうってのは分からんな」


 ベッドで横になり、天井の端を眺めてみた。なんの変哲もない梁や板目も見納めか。そんな事を考えていると、不意に耳元で囁きがあった。


「ベッドで寝転ぶのはオッケーのサイン」


「うわぁ!? 何だよ急に!」


「ノックしたのに気付いてくれなかった。だからお誘いだと確信した」


「そうか、それは完璧な誤解だぞ」


「今日は仕事をしないし薬も作ってない、珍しい。どうかしたの」


「たまにはこんな日だってある。そんで何の用だ?」


「晩ごはん出来た。オタノシミはその後で」


「飯食ったらさっさと寝てしまえ」


 晩餐もやはり品数豊富で、称賛や舌鼓のうるさい時間になった。カルータのトマト煮込みだとか豪勢だったようだが、味は今ひとつ覚えていない。腹が膨れたと感じたくらいだ。


 それからは部屋に戻り、時が過ぎるのを待った。そして寝静まり、イビキが聞こえるようになると、窓を開けた。


「おっと。その前に一筆残していくか」


 まずは簡単なメモ書き。魔泡玉のレシピ。ゼリアと約束した手前、作れませんでは迷惑をかけるだろう。まぁ母さんなら勝手に開発するだろうが、念の為だ。


 そしてもう1つ。こちらも端的にしたためた。



【バカどもへ】

後は勝手に過ごしてくれ。

屋敷に残るなり立ち去るなり、好きなように。



 これで良し。テーブルに添えればもう未練もない。窓に足をかけ、裏手の森まで一気に飛び立った。


 目的地は決まっている。地図で言う西の方、大陸から少し離れた群島で、ニシクトーレという国だ。そこでは冬の終わりとともにソレイヤシノという花が咲き誇り、国中が桃色に染まるんだとか。さすがに誇張だと思うが、楽しみではある。


 獣の気配どころか虫の音すらしない森の中、木のウロを見つけて身体を休めた。比較的眠たい。しかし眠気に反して、なぜか眠りに落ちる事ができない。静寂が重たいのか。元々は独りだったのだと言い聞かせつつ、浅い眠りを繰り返した。


 そうして陽が高く昇った頃、まどろみから意識が戻ると、耳慣れた声に飛び起きてしまった。


「師匠、今日も美味しいご飯を食べましょう!」


「アイシャ! どうしてお前が……」


 辺りを見渡したが誰も居ない。どうやら寝ぼけたようで、夢で起きたことを現実だと誤認したらしい。


「夢に見るとか。どこまで馴れ合ってたんだか」


 のろのろと身を起こして、傍の葉っぱに手をかけて抜いた。ミョーダの根がほの赤い色味を帯びている。季節はまだ冬のうちだが、探せば多少の実りを得ることが出来た。


 湖で泥を落として生で齧る。辛い、だが食えない程でもない。立て続けに3つも食うとウンザリしてきたので、荷物を背負って歩き出した。


「アイシャが食ったら何て言ったかな。草の根っこを食べるだなんて、飢饉じゃなきゃやりませんよ、とかかな」


 しかしそのアイシャは居ない。他の連中は今頃、屋敷で温かな料理を楽しんでる頃だ。


 自分で選んだ結果だ。羨む気持ちは毛頭ないが、不思議と風が冷たく感じられた。


「森を抜けたら街道を一気に西だな」


 深い木々は次第に拓けてゆき、視界も広くなる。そして平地に出たところで、驚きのあまりに足を止めてしまった。眼前には顔を真っ青にし、息も絶え絶えな男が待ち受けていたのだ。


「お前、どうして」


「ゼヒィ、フヒィ……。き、奇遇ですなイアクシル殿。私も見聞を深めつつ世界を回りたいと、考えましてな」


「何言ってんだよ、体力ねぇヤツが。薬学なら母さんに習うのが一番だぞ。独学だとか、オレに教わるよりもずっと……」


「いやいや、誤解なさるな。主目的はコチラですぞ」


 ゴーワンは両手を開いて見せつけた。そこには相変わらず封印が施されており、魔力の放出を阻害していた。過去の事件とはいえ痛ましい光景だ。


「私は、封印を解ける魔術師を探したいのです。なにせ上級の薬を作るのに魔力が必要ですからな。いつまでも現状に甘んじる訳にはいかんのです」


「言っとくが、楽な旅じゃねぇぞ。とにかく金が無い。宿に泊まるどころか、まともな食料を買えるかも怪しい」


「覚悟の上です。君と居ると学びが多く、退屈しませんからな」


 ゴーワンが一束だけ長い前髪をつまみ上げ、指先で弾いた。いつぞやは苛つく仕草に見えたものだが、今はなぜか微笑ましく映る。


「後悔するなよ。へバッたらすぐに屋敷へ送り返すからな」


「よろしい。足を引っ張らぬよう精進致しますぞ!」


 それからは2人並んで街道を進んだ。それなりの道のりだったが、ゴーワンは不満1つ漏らさず歩き通した。その足が止まり、荷物を降ろしだしたのは、前方に立ちふさがる大河を見た時だ。


 水の流れは穏やかだが、向こう岸は霞んで見える程度には遠い。オレ1人なら、大木の枝をバネにして飛び越す事も出来るのだが。


「ゴーワン。お前、泳ぎはどうなんだ?」


「面目ない。沈む方が得意でして」


「そうか。掛け橋でもあれば良いんだが、どこにあるかな」


「イアクシル殿。あそこに渡し舟がありますぞ、幸先良いですな」


 ゴーワンの指差す方には確かに小舟が1艘浮かんでいた。船主らしき女も控えている。


 渡し賃を不安視しながら近寄れば、思わず眼を見開いてしまった。幅広の帽子から突き出る、後ろ縛りにした長い栗色の髪。そして不自然な程に裾の短いスカート。たとえ顔を隠していても何者か理解できた。


「エミリア。何でこんな所に居るんだよ」


「マスターが旅に出るって言うから。私も行く」


「屋敷に残れよ。母さんから武芸を学べるだろ。オレは人に教えられるほどの熟練者じゃない」


「そんなものは二の次。それよりも大事な事がある」


「何だよそれ」


「マスターはこの世でたった1人。一目見たその日から、この人以外に仕えないと決めてる」


「キツイ旅になるぞ。貧乏だからな、まともに食えるかどうかも怪しい」


「そうはならない。あなたの背中は私が支えるから」


「お前……いや、もう何も言わねぇよ」


 それからは舟に助けられて河を渡った。ちなみに船主は近くで休んでおり、渡し賃に1人あたり50ディナを要求してきた。


 2人は舟に乗せ、オレだけ天高く舞うことで突破したのだが、早くも100ディナ失うという大損害。幸先が良いとは。


「ハァ……いよいよ先行きが不安になってきたな。もっと貯金しておくんだった」


「マスター大丈夫? おっぱい揉むと気分が落ち着くって」


「そうか。だったら自分で好きなだけ揉んでろよ」


 初日くらいは村に立ち寄りたかった。そして軒下や蔵でも借りて眠り、多めに渡した謝礼で余った食材でもと考えていた。


 それも今はお預け。早い所、仕事のクチでも見つけない事には飢えるしかない。節約がてら、雨風凌げる洞窟を求めて彷徨いだした。


 しかしそんな時だ。不意に強烈な圧迫感を覚え、その場で身構えた。轟音が鳴り響き、空気の壁を切り裂くような速度。それは東の空から現れた。


「ギャアアア、どいてどいてぇーー!」


 甲高い悲鳴が通り過ぎたかと思うと、人型の何かが激しく吹っ飛び、巨大な岸壁を打ち崩して止まった。


 誰だが知らんが、今のは死んだだろう。手の1つも合わせてやるか。崩れた岸壁の亀裂まで歩み寄り、膝を折った所で隙間から顔が飛び出してきた。


「プハァ! お母様ったら加減がヘッタクソですね。アタシじゃなきゃ死んでますよ!」


 泥とホコリに塗れた銀の髪、能天気を疑いたくなる程に屈託のない笑み。そして全身を覆うほのかな光。落命必至の事態に見舞われても、手傷すら負わない強靭な女など、世界に何人も居るとは思えない。


「アイシャ、お前もかよ。砲弾みてぇに現れやがって」


「良かった、追いついたんですね! いやぁつい昼まで寝過ごしてたら出遅れちゃって。その結果お母様に協力いただいて、こうして参上しました、はい」


「あのなぁ、屋敷で面白おかしく過ごせば良いだろうが。お前の大好きなご馳走もある訳だし」


「いつぞやも言いましたけど、師匠が薬師として大勝利した上で美味いもん食べたいんですよ!」


「魔泡玉で儲けられるくらいには成功しただろ」


「そんなの小さい小さい。師匠は世界に名を轟かせる程の器をお持ちです。アタシは師匠が名声まみれになるのを傍で見ていたいんです!」


「過酷な旅だぞ。年中腹を減らして、お前の嫌いな薬草とか食う羽目になると思う」


「うぐっ! まぁ、そうならないよう頑張りますよ。冬眠中のクマでも狩れば、当面はお肉に困りませんし!」


「ハァ……。分かったよ、文句を垂れ流しても聞かねぇからな」


「やったぁ! これからも宜しくですよ、師匠!」


 陽が傾きだし、影が伸びる。寝床を求めて歩く4人の影。それは寄り添うような、支え合うような距離を保ち続けた。


「そろそろお腹が空きましたね。今晩はどうするんです?」


「食える草の根とか探す形になるな」


「いきなり全力ですか! 草食動物の気持ちを知れと!?」


「文句あるなら帰れば。マザーの手料理をウホウホ食えば良い」


「フン。別に嫌だとは言ってませんから!」


「まぁまぁお二方。冬とは言え春は目前。探せば何かしらの食料が手に入りますとも」


 まったく、うるせぇ連中だな。朝とは打って変わって騒がしくなる道程を、オレはどう感じているんだろう。比較的笑っていたかもしれない。


 ちなみにそれからのオレ達は、長い時間を掛けて確かに有名になり、人々に知られるようになった。しかもアダ名付きで。


 神療師イアクシル。そんなのは良い方で、破壊神だとか、暴風王なんて呼ばれる事もしばしば。酷い時には「そんなに美人を侍らせて何する気だイアクシル」だなんて、腹立たしくも実用性の乏しい名で呼ばれる事すらある。


 そんな極端な評価を受ける日々だが、仲間たちは決して離れようとしなかった。故郷を出たあの日からずっとだ。


 いつまでも変わる事無く、そして欠ける事無く。



〜完〜


 

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