第27話 三色重鎮
音階のない鼻歌、立ち上る湯気。予期せぬ来訪者によって、ダイニングは見慣れぬ光景に染め上げられた。
「ニシクトーレって国ではね、お茶を粉末にして飲むのよ。これがまた美味しくってねぇ」
準備をしながら背を向ける母。その様子をアイシャ達は眼を見開いて眺めた。包帯姿のゴーワンですらも、傷の痛みを忘れたかのように凝視してしまう。
ちなみに傷の手当には母さんの傷薬が使われた。不気味なくらい強力で、粗方の怪我はふさがっていた。
「あの、師匠。この人は……」
「母さんだよ。オレの母さん」
「師匠のお母様? あれ、たしか亡くなられたんじゃ?」
「別に、死んだなんて一度も言ってねぇぞ」
「えっと、そうでした……かも?」
「まぁ10年も顔出すどころか手紙の1つも寄越さなかったからな。死んでたようなもんだ」
エミリアも普段の仏頂面を捨てて、鋭い視線で観察している。
「マスターのマザー、何者? あの強さは尋常じゃない」
「何で強いかは知らん。尋ねてもはぐらかされるしな」
「さぞや高名な武芸者だと思う。名前は?」
「カレン。あだ名はたくさんあって……」
「もしかして、暴虐妃のカレン!?」
「そんな呼び名もあった気がする」
「何てこと。たった1人で暴れ火竜を討ち滅ぼし、生肝の熱でバーベキューを堪能したと言われる、あのカレン……」
他にも大旋風とか、微笑みの奇婦人とか、地ならし姫とか。基本的には世の中を騒がせてるんだろうなと感じるものばかりだ。
「はいお待たせ、お友達もどうぞぉ〜〜」
茶の用意が終わるなり陶器が宙を舞った。強烈な回転が加えられたので、テーブルに乗った瞬間に底で滑り、オレ達の前で止まった。並んで5つ。極めて精密な位置で、一滴も溢れる事もなく。
茶ぐらい普通に出せよと思う。
「それよりもだ。何しに帰ってきたんだよ」
「そろそろかなって思ったのよ。アナタの評判が聞こえるようになったからね」
「評判って。大したことしてねぇが」
「美味しい味のする薬を開発したのよね。子供でもキチンと飲めるって好評だったわ」
成り行きで作ったものが、そこまで世間に受け入れられるとは。思い返せば、日に日に子供の患者が増えたような気もする。
「じゃあ教えて貰えるかしら。私が出立してから、今日に至るまでの全てを」
求められた通り、オレはこれまでの出来事を語った。学院時代はかいつまんで、直近のものは事細かに。食うに困って薬草を口にしたり、魔泡玉などの開発、そしてワイトキング。
静かに耳を傾けていた母さんは、何度も頷くと、一層ゆるやかな口ぶりで答えた。
「そうなの……いよいよ初孫の顔が拝めるのね」
「開口一番がそれかよ!」
「だって、こんなに愛らしいお嬢さんと暮らしてるのよ。何も無い方が不自然でしょう」
「その不自然が現実にはだな……」
否定しようとするオレに割り込んだのはアイシャで、半身を前に乗り出した。
「お母様、お嫁さんには是非アタシを! もし選んでいただけたら、故郷より季節のうめぇものギフトが毎年届きます!」
「あらぁ、それは楽しみよねぇ」
続けて、予想通りにエミリアも身を乗り出した。挟まれる位置のオレは物理的に肩身が狭くなる。
「待ってマザー。こんなゴリラ女を娶ったら孫までウホウホしちゃう。私は研ぎが得意。刃物という刃物を新品同然に出来ちゃう」
「そうなの。それも助かるわねぇ」
母さんは小首を傾げたまま唸ると、こちらに目線を送った。
「この際だから、どっちも貰っちゃう?」
「ショッピング感覚で言うんじゃねぇよ」
「フフッ。奥手な我が子に免じて、冗談はさておき」
「さておき?」
「ここまでの成績を判定します」
その言葉で腹の奥が引き締まる。母の唇は少し持ち上がったままで動かない。膠着の長さを無限のように感じた後、ついにそれは開かれた。
「おめでとう、合格よ!」
「よっしゃあ! マジかよ!」
「もちろんよ、まぁお屋敷はちょっとばかり傷んだようだけどね」
「じゃあ約束のヤツくれよ」
「はいどうぞ。秘伝のお薬集レシピ付きよ」
「おぉぉ! これだよコレぇ!」
感極まって頭上に掲げていると、水を差すような困惑が投げかけられた。
「えっと、師匠。それは何です?」
「一族に伝わる、世界に2つと無い薬学本だ。立派な薬師として活躍できた暁には受け継ぐという約束だった」
「そんじゃあもしかして、このお屋敷に住み続けたのは?」
「約束に含まれてたからな。だから極力ここから動かなかった」
「そんな理由だったんですか、知りませんでしたよ……」
それはさておき、中身の素晴らしさといったら。めくる度に真新しい世界を覗き見たような気分にさせられる。手始めに何を作ってみようか、素材は足りるのか、そんな事を考えるだけでも胸は踊った。
「喜んでもらえたようね。そんなに嬉しいかしら?」
「当たり前だろ。前は指1本触らせなかったじゃねぇか」
「そりゃそうよ、劇薬ばかりで子供には危険なんだもの」
「その子供も今や立派な大人だ、止める意味も義理も無い」
「じゃあしばらくは読んでてね。母さんは野暮用があるから」
「何する気だよ、買い物か?」
「色々と状況が荒れてるでしょ。少し整えておかないと面倒よ」
そこで母さんはアルケイオスを見た。不意に話題を振られたことで、珍しく狼狽えていた。
「あの、僕が何か?」
「あなた王族なんでしょう? ちょっと案内してくれるかしら、都も城も昔と変わってるだろうし」
「案内と仰いますが、いかなる要件で?」
「まぁまぁ、説明なら移動中にするから。よろしくね」
母さんは瞬時にアルケイオスの傍に飛ぶと、話をロクに聞かず小脇に抱えてしまった。抗議の声には生返事。そして開け広げた窓に足を掛けたかと思えば、そのまま夜空へと消えてしまった。
「詠唱も術式展開もなく飛翔魔法とは。しかも速度も異様。君の母上は何者ですかな?」
ゴーワンも気になったようだが、やはり誰も答える事が出来ない。息子のオレでさえも説明する術が無いのだから。
とりあえず手元の渋い茶を揃って啜りだした。慣れない味わいに眉を潜めても、苦情を口にする者は居ない。そうして皆が飲み終わった頃、窓辺が騒がしくなる。母さんの帰宅を知らせるものだが、想像以上の事態になっていた。
「ただいまぁ。少し手間取っちゃった」
気安い言葉とともに、3人の男を伴って現れた。1人は顔を腫らした小太りの男、もう1人も顔を腫らした痩せこけた男。最後の1人は寝間着に身を包んだ青白い顔の老人だった。
「何やってんだよ。オッサンかき集めてどうする気だ」
「やっぱり話し合いは面と向かってやらないとね」
「アルケイオスは?」
「お城が騒がしくなったから、彼に任せといたの」
「騒がしくなったって、じゃあコイツらは……」
「左から大将軍、宰相、国王よ」
「重鎮だらけかよ!」
「王様には薬が必要ね。はい、この紙の通りに薬湯をお願い」
あぁいつものパターンだと痛感した。母さんは勝手に物事を始め、そして勝手に終わらせてしまう。特に今回は城に突撃して要人を拐うとか、いつもに増して強引だった。こんな時は何を言っても無駄な事を知っていた。
渡された紙に眼を通すと、解毒要素の強いものだと分かる。
「まさか食あたり……なわけ無いよな」
診察室のベッドに寝かせ、薬を投与した。国王だと紹介された老人からは生気が感じられず、為政者の気配は微塵も感じとれなかった。
「そなたは、カレン殿のご一族か?」
弱々しい声で問いかけがあった。なんと答えようか迷っていると、さらに老人は続けた。
「愚問であった。生き写しのような目元だのう」
「まぁ、なんつうか、息子ですよ」
「そうか。余はカレン殿に救われた。そなたの母上には感謝してもしきれんよ」
「寝起きを拐われた様にしか見えませんが」
「城に幽閉されていたのよ、いわゆるクーデターだ。息子のアルケンとソリアーズなどは救出を試みていたが、ことごとく失敗した。最後にモノを言うのは腕力らしい」
「母はお役に立ったのですか」
「余にとっては天の助け。カスメイルにすれば、そうさのう、破滅の使者といった所か」
それきり、老人は瞳を閉じた。寝息は微かだが穏やかで、容態の安定を感じさせた。
ここの対処もう良さそうだ。まだダイニングに居るであろう、母さん達の所へと戻った。
「治療は終わったぞ。後はなにをすれば……」
その時見た光景は衝撃的だった。砥石で片っ端から刃物を研ぐエミリア、テーブルでペンを片手に書き取る仕草を見せるアイシャ。ここらはまだ良い。問題児の母さんは、それぞれの手で男たちの頭を鷲掴みにし、大きな図体でも構わず宙吊りにしていた。
「何が始まってんだゴーワン」
「尋問のようですな。なかなか口を割らんので痺れを切らしたものかと」
「母さんはああ見えて気が短いからな」
外野と化したオレ達の事など他所に、母曰く「話し合い」は続いた。
「ホラホラ。早く話してくれないと、どうにかなっちゃうわよ」
「マザー。言いつけ通り、微妙に切れ味を悪くしておいた」
「ありがとう。そろそろ欲しくなってきた頃なのよ」
「やめてくれぇ! 話す、何でも話すから!」
思わず同情しそうになる悲鳴があっても、尋問はマイペースに進められていく。
「初めから素直になりなさいな。さぁアイシャちゃん、準備は良いかしら?」
「任してくださいお母様! こちとら読み書きは完璧なんで!」
こうして本格的な聞き取りは始まった。母さんは普段どおりの表情だが、どこか生き生きとした声色を披露した。
「それじゃあ色々と教えてね。まずはそうねぇ、医療行為を独占したのは何故かしら?」
「わ、私は知らん! 宰相の肩書なんぞ張り子の虎でしか無いのだ!」
「色々とおかしくなりだしたのは、王様を幽閉してからよね。誰の差し金?」
「それも私ではない! 全ては有力な公爵家に持ちかけられたのだ、例えば隣のムノーノ殿のような!」
「カスメイル殿、それは何でも言葉が過ぎるというものぞ!」
「私にはまともな軍権を与えられていない。名前を貸すくらいの事はしても、悪巧み出来るだけの力がないのだ」
予想通りに水掛け論が繰り広げられた。物的証拠が無けりゃこんなもんだ。黒幕を前にしても真相に辿り着けるかは別問題だ。
しかしそれも普通の場合に限られる。母さんの発想は更に上をいった。
「エミリアちゃん、3番もらえる? 奥まで斬れるヤツ」
「マザー。5番の方がギザギザしてて痛そうだけど」
「うぅん、それは後にとっておきましょ。最初は程々のが良いのよ」
お気楽ムードで手にしたのは、掌サイズの金属棒。一見して工具の様に思えるが、母さんが持つだけで迫力が凄まじい。死神の鎌でも前にした気分になり、室内には冷え冷えとした空気が漂いだす。
だから男たちが震え上がるのも当然だった。どれだけ立派な肩書があろうとも、この場では何の防備にもならない。
「ヒィッ! 話す、何でも話すから止めてくれぇぇ!」
「本当に? じゃあ交互に話を聞いていくから。辻褄が合わないと感じたら、少しずつ切っちゃうからね」
さすがに上手いと思った。言い逃れをすれば話が破綻するので、連中は事実を語るしかない。
「魔術による治療はかつてない繁栄を迎えた。これを上手く使えば大儲け出来ると踏んだ」
「しかし国王は頑として認めなかった。王はある日体調を崩したので、治療と称して閉じ込めた。徐々に衰弱していくよう見せかける為、食事に毒を仕込んだ」
弱々しい自白に比べ、書き留める音は強い。カリカリ、カリカリと淀みのない響きが延々と続いた。
「それで、ウチの子が反逆者だったかしら? あれは誰が言い出したの?」
「ムノーノ殿だ。半ば強権的に進めていた」
「確かにその通りだが聞いてくれ。あの夜の事件が明るみになれば、我が国は侮られる。やがて諸外国から軽んじられ、場合によっては戦争となるだろう。そうすれば数十、いや数百万の人民が死ぬことになる」
「だからウチの子に罪を着せる必要があったと?」
「非常事態だ。国を守るためには仕方のない選択だったのだ」
「どうせ守りたかったのは自分の権威やプライドでしょうけどね」
母さんが振り向き、オレを見た。そこで話題を振るなよと思う。
「どうするイアクシル? 真相はこんな感じらしいけど?」
「どうするって、何が出来んだよ」
「色々と迷惑かけられたでしょ。今なら大体の事がやれちゃうけど、どう?」
だから、ここで振るなよと思う。
こいつらの処遇は、そこそこ考えさせられた。策謀だけ熱心でまともに働かない奴らだ。相手がオレ達だったから王都は守られたし、騎士団の暴走も悲劇を生まなかった。
では極刑とするのは重たいし、かと言って無罪放免だけは嫌だ。何というか、強烈なダメージはありつつも楽しめそうなものが良いな。
そんな発想から生まれたアイディアを提案してみた。すると真っ先に反応を示したのは母さんで、両手を打ち鳴らしてまで喜んだ。
「さすがは私の息子ねぇ。面白いこと考えるわぁ」
「ふぉぉ……師匠、相変わらずヤバイ発想力ですね、アタシが悪党なら裸で命乞いしちゃいます!」
「悪魔みたいな発想。どうしよう、ムラムラしてきた」
「国家中枢に巣食うダニども相手に、慈悲など無用ですからなぁ!」
一部気になるフレーズはあるものの、刑罰は決まった。これから少し忙しくなる。
一応アルケイオスにも報せを送っておいた。もちろん返事も色良いもので、文面から不敵な笑みが見えるようだった。
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