第26話 冤罪と報い
高く高く昇った太陽は、いつしか傾きだし、空を赤く染めた。しかし待ち続けてもゴーワンの姿を見せるどころか、一報すら届かない有様だった。
「さすがに遅すぎる。探しに行ってやるか」
オレがダイニングで立ち上がると、アイシャとエミリアも倣った。
「まぁ、疲れきって眠りこけてるだけだと思いますがね」
「そろそろ夕刻だ。寝過ごしたにしてもな」
「助けた美女と楽しく過ごしてるかも。それはもう代わる代わる」
「そうだとしても報せくらいは寄越すだろ、生真面目なヤツだから」
貴重品、念の為薬の類も持って玄関を開けた。すると何者かが飛び込んできて、ちょうどオレの鼻っ面とぶつかり、ツンとした痛みが走った。
「いてて。誰だよ」
「イアクシル、良かった。無事のようだね!」
「アルケイオスか。そんなに慌ててどうした」
すっかり息を切らしている。よほど急いでいたようだが正装だ。シルクの上下に、赤い肩章。その装いは城勤めを、そして王族の身分を示すものだった。
王子様という肩書は嘘じゃなかったようだ。
「3人とも居るね、端的に言うよ、今すぐここから逃げてくれ。出来るだけ遠くに!」
「ハァ? 何だよそれ」
「説明してる暇はないんだ! もう騎士団は進発してる!」
「まるで意味がわかんねぇ……。それよりもオレ達はゴーワンを探しに行きたいんだ」
「だめだ、彼ならもう既に……」
押し問答の最中、近くで大太鼓が鳴るのを聞いた。ドン、ドォン。間延びした響きとは裏腹に、血生臭いものを連想させる。
アルケイオスを押しのけて飛び出すと、眼前にはおびただしい数の人が押し寄せていた。銀色に冷たく光る武具。赤縁、青縁と複数種の装備で身を固めた軍勢で、丘の道が埋まった。
千、いや2千はいるだろうか。
「何だよこれ。戦争でも始めようってのか」
成り行きを見守っていると人垣が割れ、正面向こうで仁王立ちする将校と眼が合った。その隣で磔(はりつけ)になる男。その姿を認めるなり、血液が燃え上がるのを感じた。
「ゴーワン!」
「おっと動かないでもらおう。少しでも怪しい動きをすれば血を見る事になるぞ」
剣の切っ先が隣に向き、首元に添えられた。それでもゴーワンが動きを見せずに項垂れるのは、気絶しているからか。
「師匠。アタシがこっそり助けに行きましょうか?」
「ゴリラじゃ人質ごと粉砕しちゃう。私が行く」
「そこの2人も動くなよ。姿を消したと見れば、こやつの命は無いと思え」
「……とりあえずお前たちは大人しくしてろ」
将校は立場を知らしめてやったとばかりに、鼻息を強く吹いた。そして手招き。求められるがままにオレだけが歩み寄ると、軍勢の中央で止まれとの声があった。
その場で足を止めるなり無数の槍がこちらに向く。穂先はいずれも微かに揺れており、脅威らしい脅威は感じられなかった。
「そこから動くな。下手な事をすれば、分かっておるな?」
「うるせぇな、さっさと要件を言え」
「フン、その余裕はいつまで保つかな」
将校は唾棄する仕草を見せながら懐を探った。取り出したのは羊皮紙で、まるで神への供物のように掲げ、読み上げた。
「国家最終勧告令。反逆人イアクシルに告ぐ。先日に犯した罪は真、許されざるものなり。大人しく投降し、極刑にて罪に報いよ。さもなくばかつてない程に苛烈で、冷徹に塁は及ぶであろう。国王代理 宰相カスメイル」
オレは言葉が理解できず、つい呆けてしまった。大上段過ぎる単語の数々が頭上を通り過ぎていったかに感じられた。
「罪って、何の話だよ? オレはついさっきワイトキングを撃退したんだぞ、表彰される事はあっても、償うべきもんなんか……」
「黙れ。貴様は薄汚い冒険者と結託し、王家の墓を荒らしたではないか。それだけに留まらず、王都に住まう民を手に掛けるとは不届き千万。これを罪と言わずしてなんと言う」
「フザけんなよ。オレは共犯者じゃねぇし、むしろ王都を守ってやったんだぞ。お前も騎士なら、城の中から見てただろうが」
「弁明など無用。ただ国のために死ね」
「そうか。お前みたいな使いっぱしりには、お偉いさんも真意を話してくれなかったと」
「なぁ!? つ、つ、使い走りだと!?」
「だったら言ってみろ。一応は墓荒らしの捜査に協力し、自発的に化物を退治したオレを討とうとする、その意味をな」
「世迷言を申すな、犯罪者ごときが講釈を垂れおって!」
だめだ、コイツは典型的な媚びへつらいだ。どんな命令でもただ従い、自分で考える脳を持っていない。
だとしたら推測してみよう。実際に見聞きした事に加え、こいつらのお粗末さ、姑息さを加味してみる。そうして浮かんだ1つの推論は、自分でもウンザリするほど低レベルなものだった。
「お前らは実態が明るみになるのを恐れたんだな。ヤバイ化物をあっさり解き放たれ、尻拭いをするどころか城で震えてたんだから。大兵が役に立たない中で、小勢の、しかも一般人が解決してしまった事が恥ずかしくて堪らんと。だからオレを英雄視するのではなく、化物をけしかけた張本人として晒した方が都合良いいって所か」
「貴様……盗み聞きをしていたのか!」
「マジかよ、当てちまったのか。不正解であって欲しかったぞ」
「ともかく、大人しく縛につけ。それとも後ろの女どもを陵辱し尽くした挙げ句、無様な死をくれてやろうか? アーーッハッハ!」
やれるもんならやってみろ、血の海にしてやるぞ。そう言おうとした矢先、背後から鋭い声があがった。凛とした響きは気品すら感じさせた。
「そこまでだラフィーネル、救国の士に対して無礼であろう!」
「おやぁ、誰かと思えばアルケン殿下。このようなむさ苦しい所に何用で?」
「詮索は無用。それよりも軍を解き、都へ戻れ。これ以上の無法は許さぬ」
「聞こえませんなぁ。残念ながら殿下に我らの指揮権はございませんので、従う道理もありませぬ」
「だとしても正義はこちらにある!」
「正義で腹が膨れますか、敵を打ち倒せますか、女を抱けますか。理想論を垂れ流すのは勝手ですが、若造は遊歩道でもウロついていれば宜しい」
「若造と申したか!」
「そうそう。殿下がこの場に居らっしゃるのは大変都合がよろしい。筋書きは、うん。逆上した犯罪者共に斬り殺された、というのが程良いですな」
「私まで亡き者にするつもりか。たとえ我らを闇に葬ったとしても、人の口に戸は立てられぬ。無実の罪を着せて誅殺するとは、セント・ローデルの威信を地の底まで失墜させるぞ!」
「ならば罪を立証させるまでです。造作もなき事」
将校はそう言うと、剣の腹でゴーワンの頬を叩いた。
「おい、そろそろ起きろ。死ぬにはまだ早いぞ」
「う、うぁ……?」
「目覚めたか。では自白してもらおう。王都の騒乱は全て貴様らが仕組んだ事であると」
「イアクシル……殿」
「これ以上苦しみたくはあるまい。白状すれば楽に死なせてやろうではないか」
将校の注意が逸れつつある。もう少し待てば救出のチャンスも見えるだろう。ただ静かに、息を殺しつつ足に力を込めた。
「さぁ罪を認め、許しを請え。千を遥かに超える聴衆の前で!」
その時、ゴーワンの視線がこちらに向いた。虚ろな瞳だ。小さく頷いてやる。ここは言われた通りにと伝えたつもりだが、果たして。
「イアクシル殿は稀代の英傑にして英邁! 小悪党どもの浅はかな企みなど、一切及ばぬ高みに居られる御仁である!」
「何を申すか、その首をかっ切るぞ!」
「こんな安い脅しに乗ってはなりませんぞ、イアクシル殿。このラフィーネルという男、女にモテたいが為か、自分のモノを大きくしてもらおうと企みましてな。街中の診療所を巡り、断られれば騎士の名をチラつかせるという愚者。かつて院長だった私も手を焼いたものです、ワッハッハ!」
なんだそのエピソード。そんな都合の良い魔法がある訳ないだろ。つい失笑を漏らすと、それは周囲にも伝わり、やがて兵の端まで笑いが起きた。
ヤツが言った通り、千を超える人々が醜聞を耳にしたのだ。
「おのれ……これに勝る侮辱などあるものか! 私自らの手で引導を渡してくれよう!」
「さらば、我が友にして偉大なる師よ。生まれ変わったなら、次こそは正式な弟子に!」
激情に顔を染めたラフィーネルが剣を振り上げた。今だ。渾身の力で地面を蹴り、矢のように駆け抜けた。
間に合うか、間に合え。袈裟斬りの太刀筋。迎え撃って放つ蹴り。弾ける鉄甲、地に突き立つ剣。
鮮血はある。しかしゴーワンではない。ラフィーネルが赤い血を滴らせながら、こちらを強く睨んでいた。
「どこまでも腹立たしい連中だ! 者共、蹂躙しろ! 人も屋敷も全てだ!」
号令があると兵士たちは槍を構え、向きも屋敷へと向けた。いよいよ戦争だ。負けはしないが問題はその後だ。もうここには居られない。身を隠しながら国外へと逃れるだけだ。諦めと覚悟が脳裏を過ぎ去っていく。
その時、不意に歌が聞こえてきた。丘の下から、次第にこちらへと迫ってくる。あまりにも場違いな雰囲気に、戦場は時間が止まったかのように静まり返った。
――
ワンちゃんニャアちゃんどこ行くの
そこ行くの じゃあまた遊ぼ
おでかけワンちゃん帰れない
大雨ザァザァ帰れない
――
妙に伸びやかで、それでいて調子はずれな歌い方。懐かしさが衝撃を連れて脳に響き、目眩にも似た感覚を味わった。
「その歌声は……間違いない!」
「イアクシルぅ〜〜。元気にやってたぁ〜〜?」
「やっぱり母さんかよ!」
「そうよぉ、何年ぶりかしらねぇ〜〜」
姿よりも先に、背負ってるであろう荷物が先に見えた。それは次第に2段3段と高くなり、段数を数えるのが馬鹿らしくなった頃にやっと本人登場だ。
幅広の白帽子から溢れる青緑色の長い髪。泥と油で汚れきった麻のシャツにズボン、擦り切れたレザーコート。背中の大荷物を除けば、昔の姿そのものだった。
「あらあら、随分とお客さんが多いのねぇ。お紅茶を買ってきた方がいいかしら?」
「あのな母さん。コイツらは客じゃなくて……」
オレの言葉に被せてきたのはラフィーネルだ。よりにもよって禁句を、大きな大きな声で。
「者共、早く掛かれ、皆殺しにしろ! あんなババァに気を取られるな!」
あっ、死んだぞアイツ。そう思った瞬間には手遅れで、傍らで化物級の闘気が溢れ出し、風が吹き荒れた。
「どうやら躾(しつけ)のなってない子が居るみたいね、いい歳なのにね」
背筋も凍る台詞とともに荷物は降ろされた。その拍子に地面が揺れ、耐えかねて尻もちを着く兵士たち。連中は早くも恐怖に駆られて叫びだすが、当然こんなものでは済まされない。
「口は災いの元、覚えておきなさい」
母さんの姿が消えた。かろうじて眼で追いかけると、既に攻撃の姿勢に入っていた。人類の限界を遥かに超えた動きだ。
そして振り上げられる拳。直撃を許したラフィーネルは、鎧の破片を紙くずのように撒き散らしながら、天高く舞った。尋常でない飛距離で、王都を軽々と飛び越して消え去った。
「さてと。アナタ達も折檻してほしいかしら?」
出た、お得意の滑らかな脅し。暴虐的な闘気を笑顔で包み込み、静かに迫るという手法だ。オレにすればトラウマでしかないそれは、この場面においても的確に機能した。
「ひぃぃ、殺さないでぇーー!」
恐慌状態となった兵士たちは我先にと逃げ始めた。だが、恐怖の化身から逃げ切る事は出来ない。
「待ちなさい。無闇に走ったらぶつかって危ないでしょ。キチンと並んで帰るのよ」
そんなのどうだって良いだろ。オレを含めて全員が思っただろうが、すみやかに実行された。
妙に活気のない、静かな行進が丘の道を下っていく。去りゆく隊列を見送った母さんは、1つ伸びをして、再び荷物を背負いだした。
「あぁ〜〜喉乾いたぁ。お茶にしましょう、美味しい茶葉があるのよ」
眩しい笑みを浮かべると、そのまま屋敷の方へ。入り口で唖然とするアイシャ達には愛想よく手を振り、ドアの向こうへと消えた。
皆が茫然自失する中、真っ先に我を取り戻したのはオレだった。胸にこみ上げる物はたくさんあるが、ひとまずゴーワンを自由にする事から始めた。
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