第24話 背中の2人
セントローデル中央教会は静寂によって支配されている。石畳に倒れたかがり火や、屋内を照らす照明石が放置されているのが、かすかな不気味さを感じさせた。
「無人ですね。まぁ皆逃げた後ですもんね」
「マスター、必須の素材って?」
「聖水だ。強ければ強いほど良い」
「ふむふむ。それってどこにあるんです?」
「知らん。シラミ潰しに探すぞ」
そうは言ったものの、敷地は広い。中庭は無視して良いものの、部屋数が多く、探索しようにも難航するばかりだった。
「しなびた野菜、洗ってない下着。聖職者なのにルーズって許されるんです?」
「連中にはそんな奴も居るだろう。聖水は見つかったか?」
「これはスゴイ。なんと書きかけの恋文を発見」
「えっマジですか、誰宛て? シスターとの禁断の恋とか?」
「おい、聖水探せよ!」
礼拝堂に倉庫、司教の私室と手当たりしだいに探し回ったのだが一向に見つからない。経典や祭事用具、他にも取るに足らない物が目に付くばかりだ。
「もしかして、ユレェ祭で使っちまったのかな。1つも無いなんて想定外だぞ」
「マスター、ちょっとこれ見て」
「エミリア。おふざけだったら怒るからな」
「違う違う。謎の取っ手がある」
「取っ手?」
エミリアが礼拝堂の隅で指さした。そこは通路や椅子から遠く、石像の陰に隠れている事もあり、わざわざ注目しなければ見落とす位置にあった。
木の床にポツリと埋まる鉄の金具。目を凝らせば、周囲に切り取ったような線も見えた。
「これはもしかして、隠し部屋か?」
「まぁなんてこと。人目を忍んでやる事と言ったらアレしかない」
「まぁ、アレだけだろうな」
「まさかアレがこんな場所でだなんて……」
次の瞬間、オレ達は同時に告げた。
「密造酒だろ」
「逢い引きですよね」
「濃厚な変態プレイ」
「ん?」
「えっ?」
「ともかく、なんだ。ここにお目当てのもんがあるかもな」
「そ、そうですね。パパッと調べちゃいましょ!」
かすかな気不味さを振り払うように、取っ手を静かに引いた。きしむ音とともに湿った空気が肌を打つ。中はかなり暗い。向こう側は下り階段で、光源の乏しさから見通しが悪かった。
そうして覗き込んだ瞬間、鋭い声が耳に突き刺さった。
「あっちへ行きなさい、悪霊退散!」
「ぶわっ! な、なんだ!?」
階下で女が叫び、液体を浴びせかけてきた。2度、3度と続き、また金切り声。出迎えはあまりにも熱烈過ぎた。
「落ち着け、オレらは亡霊でも泥棒でもない!」
「えっ、それじゃあ、アナタ方は?」
「薬師……お菓子屋さんだ。故あって無断で立ち入ったが、危害を加えるつもりは毛頭ない」
「お菓子屋さん? もしかして助けに来てくださったのですか?」
「広義的な意味ではそうなるな」
階下から喜色を浮かべる顔が現れた。灯りに照らされたのは若い女で、擦り切れた麻のローブを身にまとっていた。そして目の前に立つなり恭しい仕草で頭を下げた。
「これはとんだ失礼を。私はシスターコンヒュナンス、ここの修道女です」
しめた、中央教会の関係者だ。内部事情に詳しいかもしれない。
「よしコンヒュナンス、外の化物を倒すために協力してくれ」
「お言葉ですが、私は生まれつき魔力が弱く、大敵と対峙する程の力を持ちません」
「別に戦列に加われなんて言わん。聖水のありかを教えてくれ。できるだけ強力なやつを」
「聖水、ですか……?」
「そうだよ。もしかして知らないのか?」
「申し訳有りません。先程のが最後です」
「先程って、さっきオレにぶっかけたヤツか!?」
コンヒュナンスが力なく頷いた。これはいよいよ手詰まりなのか。
「念の為聞くが、お前に作れたりは?」
「とんでもない。聖水とは高位の方のみに生成できる貴重品です。私ごとき下卑た者が真似したとて、何の加護も得られないでしょう」
「そんな大事な物を、手桶の水感覚でバラ撒いたってのか」
「申し訳有りません、気が動転してまして」
「これはヤベェぞ。完全に手詰まり……」
その時、シスターの手元に視線が流れた。両手に抱える小瓶の底には、かすかに黄色い筋が見えた。
「待て。その聖水、ちょっと残ってるぞ!」
「あら本当ですね。ほんの僅かですが」
「それ貰うぞ。化物を倒すのに必要なんだ」
「承知しました。私物ではありませんが、神も必ずやお許しくださるでしょう」
「ようやく手に入れたな。だが、これじゃあ1回分がせいぜいか」
試作すら許されない、正に一発勝負。ただでさえ高い難易度が更にカチ上げられていくのは、何の因果なのだろう。懺悔室が空いていたら説法の1つも聞いてみたいもんだ。
「師匠、これで素材は揃ったんですか?」
「あと1つ。カグナシソウの根っこが必要だ」
「カグナシ……何ですかそれ」
「無味無臭の花を咲かす万年草だ。と言っても、花そのものは枯れてるハズだから、手当り次第に探し回るしか……」
「無味無臭の花……」
その時、オレとアイシャの瞳が重なった。そして同時に高らかな声をあげた。
「匂いのしない花、ガストン少年!」
「あの子がいつぞや持ってたヤツじゃないですか!」
「あの周辺を探すぞ、きっとすぐ見つかる」
オレ達は教会から飛び出した。理解の追いつかないエミリアも、やや遅れて続く。
やがて貧民窟にたどり着くと、素早く周囲を探し回った。花壇と呼ぶにはお粗末な荒れ地では、弱々しく雑草が揺れている。
暗がりで選別する時間は無い。まとめて引っこ抜き、目当ての根を探した。すると大きな束に隠れて、白い膨らみが混じっているのを認めた。
「あったぞ、これがカグナシソウだ!」
「おおっ。だったら全部揃ったんですね?」
「そうだ。屋敷に戻る時間も惜しい。ここで調合するぞ」
「良いんですか、何の器具もないですけど」
「あったとしても難度は同じだ。始めるぞ」
まずは下ごしらえ。カグナシソウの根を井戸水で洗い、外皮とひげ根を取り除く。すると粘ついた中身が露わになる。品質はどうか。端っこを齧れば、舌先にピリッとした刺激があった。鮮度に問題は無い。
「この根にはカラミニャンという成分がある。それが重要だ」
「カラミニャン。初耳ですね」
「この根はすり潰してペースト状にする。そこらの石を使うか」
手頃な石を半分に割り、キレイな面を使って根を加工した。粒の粗い、ドロリとした形状の物が出来上がる。
「次に傷薬を少し混ぜる。主原料はオットキレソウ。物質の安定化を促す成分があり、今回はそれが活躍する」
「なんか、ペーストの方が固くなってません?」
「安定化しようとするからな。液状ではなく固形に傾いたんだ」
最後に取り出したのは聖水。金色の液体は、何度見ても哀しいくらいに少ない。
「ここからが重要だ。聖水をかけて、この塊に属性を封じ込める」
「属性を封じる、ですか」
「本来、属性を封じるなんて高等技術だ。不安定でうつろう物を閉じ込めるんだからな。しかも中央教会の聖水を使うだなんて、生半可な作業じゃない」
「それで、どうするんです?」
「決まってんだろ。根性だよ!」
「えぇーー!?」
オレは瓶の栓を抜き、すべての聖水を振りかけた。粘性の強いカラミニャンに反応して、聖水の雫が踊ったように蠢き、弾ける。聖属性の要素が大気に逃げようと変じているのだ。
そこへすかさず魔力を注ぎ込んだ。最上位の薬は多大な魔力も要求される。術式や印も必要だ。しかしどちらも知らないオレの場合、文字通りの力技に頼らざるを得なかった。
「やっぱり、要求される魔力がバカでけぇ。神学とか、錬成術も履修しとくんだった!」
手のひらから放出させた魔力は、砂地の水のようだ。放つ傍から消失し、それは果てしなく感じられた。あるいは巨大な扉でも押す行為にも似ている。体力が目減りするだけで、全く手応えのない感覚がソックリだった。
「クソッ。流石に無謀だったか……」
目眩に気を取られていると、手の甲の上に別の手が添えられた。アイシャとエミリア。2つの手のひらから膨大な魔力が注ぎ込まれ、状況が好転し始める。
「大丈夫ですか、師匠!」
「よせアイシャ、下手すりゃ魔力耗弱で昏倒するぞ」
「アタシは魔力オバケなんで。こんな時には超絶役に立ちますよ!」
「エミリア、お前も手を出すな。危険だぞ!」
「私はマスターの背中にくっついてく。楽しいことも辛いことも半分こ」
「今その話が関係あんのか!」
「背中に寄り添うのは、普段は甘えるため。そして倒れそうになったら、いち早く支えるため。そう心に決めてる」
「お前……」
「ちょっとエミリアさん! 大活躍のアタシを差し置いてカッコイイ台詞言わないでもらえます!?」
「こんなにも夜が美しいのにゴリラがうるさい。繁殖期?」
「グギギ……。後で覚えてろですよ」
「何やってんだよ、こんな時に……」
血の気が引く目眩、魂ごと吸われるような錯覚。それらを前にしても、なぜか笑えてくるのはバカ2人のおかげか。強烈な苦痛に晒されているというのに、口元が歪んでくるから不思議だ。
「まったく、お前らは本当にバカだよな」
「何笑ってんですか、正念場ですよ!」
「悪い悪い。最初から真面目だよ」
魔力を強め、圧力をかけていく。すると素材の形状が変わり、純白の光を発するようになる。経過は順調だ。
しかしオレ達は既に全力だ。アイシャも懸命に魔力を流し込んでいる。しかし放出という行為に慣れていないせいか、酷く手間取っているようだ。発する魔力に比べ、それほど注入出来ていないように見えた。
エミリアも必死だ。注入効率も悪くない。しかし魔力総量が少ないせいか、早くも額に汗をかいている。これ以上の圧力に期待すべきではない。
だとしたらオレだ。院長として、責任ある人間として、ケリをつけてやるんだ。胸元の魔力薬、最後の一口。それを飲み込み、全精力を注ぎ込んだ。
「これで終いだ、気合いれろ!」
全力の放出。白い輝きは一層に眩くなる。反発する属性が風を生み、辺りに暴風が吹き荒れた。そして次の瞬間、目もくらむ程の閃光がほとばしった。それはやがて収束し、光の柱となり、やがて消えた。
後に残ったのは一つまみの砂だ。闇夜に燦然と輝く粉薬だ。それをすかさず両拳に塗りつけた。今度は両手が暗闇で輝くようになる。文献通りの成果だった。
「聖水が少なすぎたな。どうせなら全身を覆えるくらい作りたかったが」
「ししょー。もう、終わったんでしゅ?」
「助かったぞアイシャ、物陰で休んでろ。エミリアもありがとうな」
「私、もう無理。気持ち悪い」
「後は任せろ。ノイズマンはオレがきっちり……」
言い終える前に殺気が飛んだ。路地の方に眼をやれば、歩み寄る男の姿があった。探す手間が省けたってやつだ。
「待たせたなノイズマン、準備完了だ。これでオレとお前は五分。いや、地力を考えたらこっちが圧倒的有利か」
「イアクシルルル、殺じでやるるるる」
「だいぶ出来上がってきたな、だがオアソビも飽きた頃だろ。ボチボチ幕にしようぜ」
真っ向から、他のものには目もくれず、互いに歩み寄る。ノイズマンに初めて闘技場で絡まれた時も、こんな風だったかもしれない。
深夜の武闘会はクライマックスだ。その為の前準備なら全て終わっている。
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