第23話 赤備えの騎士
最悪だ。敵との相性も、そして準備不足という意味でも危機的状況だった。慢心のせいと言われたなら返す言葉もない。オレ達が駆けつければ何とかなる、そんな甘い見通しでやって来たのだから。
「師匠、ボヤッとしてるヒマなんか無いです! 早くと倒さないと皆が!」
「ゴリラ女ばかりに手柄をくれてやらない。価値ある大将首は私のもの」
「待てお前ら、うかつに飛び込むな!」
右からアイシャ、左からエミリアが襲いかかった。ノイズマンは振り向きもしない。だがそれでも、背筋の凍るような殺気が放たれていた。
オレはすかさず飛んだ。アイシャ、エミリアと両脇に抱え込み、可能な限り距離を取った。その刹那、右足の先が何かに触れた。途端に感覚を失い、たたらを踏んで倒れ込んだ。
「いたた。師匠、何をするんですかぁ」
「戦闘中に欲情したのね、今は堪えて。後で好きなだけ発散させてあげるから」
「お前ら、状況をよく見ろ! あれはただの悪霊じゃない、ワイトキングだ!」
「ワイトキングって、もしかして、あの3Sクラスの……!?」
「強さは個体差によるが、厄介なのはあの『夕闇の衣』と呼ばれる霧だ。触れてしまえば魔力を奪われちまうぞ」
足の先にまだ痺れがある。ほんの一瞬であっても、片足に巡っていた魔力の大半を吸われたという事だ。尋常な能力ではない。
「クソが。せめて日中なら、衣の端まで見えるんだが、夜中じゃ概形すら読めねぇぞ」
「どうするんですか師匠。アタシら打つ手ナシってやつですか?」
「近接戦闘どころか、近寄るだけで危険だ。倒すとしたら強力な印の施された矢でも打ち込むか、あるいは聖属性の力を借りるか」
「マスター、近寄れないなら攻撃魔法を浴びせれ良い。サーシャがまだ近くに居るはず」
「そんなもんで倒せるなら3Sになるもんか。むしろ下手な魔法を撃つと……」
その時、王城から詠唱が響き渡った。城門の上で煌めく炎。それがいくつも浮かび上がると、一斉に放たれた。炎の矢、そして炎の飛礫(つぶて)が、幾筋もの赤い軌跡を描きつつノイズマンへと突き刺さる。
いや、それは寸前で赤黒い衣によってかき消された。凶々しい気配が更に圧力を高めてしまった。
「やっぱりか、攻撃魔法の魔力すら吸い取っちまった」
「あわわ、こんなん無敵じゃないですか! ここは逃げ……背後に向かって前進してみます?」
「マスター、私も撤退に賛成。そもそも3Sレベルの怪物を杜撰に管理してた、王家にも問題がある。このまま一夜にして滅びてしまえばいい」
国の滅び。それも場合によっては有りかとも思うが、今は状況が悪すぎた。
眼前では逃げ遅れた人々がノイズマンの脅威に晒されている。魔力を吸われて昏睡するか、あるいは橋から水堀に飛び込むかのいずれかだった。助かる術はない。逃げ道は城門によって固く閉ざされている。
せめて眼前の人だけでも助けてやれないか、その想いが思考にゆとりを与えてくれた。
「ワイトキング、というか悪霊系は生前のしがらみに依存して動くんだったな。ノイズマンが城を目指すのも、取り憑いた奴が王家を恨んでいるからだ」
「倒せない、近寄れない、目的は王城。私達に出来ることは何?」
「ひとつ妙案がある。その結果次第では好転できるし、ノイズマンが助かる可能性も読めるな」
「本当ですか? 格好つける為の嘘とか止めてくださいね?」
「今ここで格好つけるメリットなんか微塵もねぇよ」
オレは再びノイズマンの背後から迫った。やはりコチラには見向きもせず、鈍い足取りのまま城門を目指している。
ここが1つの分岐点。完全にワイトキングに取り込まれたなら、悪霊ごと消滅するしかない。城内に逃げ込んだであろう聖職者を、総動員するなりして。しかし自我が残されていれば、何か手立ても見つかるかもしれない。
「ようノイズマン。随分高そうな剣を引っさげてんだな。借金は返し終わったのかよ?」
足音が止まる。振り向く仕草もぎこちない。それはワイトキングの意志とノイズマンの意識が反発しあっているせいか。
もうひと押しくらい試す価値はありそうだ。
「こんな所で油売ってる場合か? 頭の悪いお前に教えてやるが、借金には利子ってもんがあって積み上がってくんだよ。こうしてウロついてる暇があるなら、鉱石のひとつでも拾ってこいやバァ〜〜カ!」
気炎、膨らむ殺意。怒りに歪んだ横顔も、在りし日の姿に告示していた。
「イアクシル……殺す! ブッ殺してやる!」
「あぁやってみろやクソ雑魚野郎が。まぁお前なんて悪霊の力を借りたとしても、オレの足元にすら及ばんがな」
殺意は瞬間的に収束し、鋭さを増した。成功だ。ノイズマンのヘイトは完全にオレの方へと向いている。
「よしよし。じゃあ後はこっちに引き付ければ……!?」
その時ノイズマンが飛んだ。またたく間に距離が詰まる。これまでの緩慢さとは別次元の動きだ。
「やべぇ、吸われちまう!」
咄嗟に背中から倒れるしかなかった。眼前をかすめる刃。がら空きの腹を蹴り飛ばし、どこぞの屋敷まで吹っ飛ばした。
「やりましたか師匠!?」
「やってねぇ。貴族様のお屋敷に風穴が空いただけだ」
「ともかく逃げましょう、立てますか?」
「魔力をやられた。足の感覚は戻らんし、目眩まで……」
「分かりました。じゃあ抱えますね」
「頼む……って、うぉい!?」
背中に回された手、そして足の方にも空いた手で抱えられている。この作法はもしかしなくても例のアレだ。
「お前、姫抱っことかやめろ! 恥ずかしいだろうが!」
「ギャアギャア言ってる場合じゃないですよ、ホラ」
アイシャの視線の先で一棟の屋敷が崩壊した。恨みがましくオレの名を呼ぶのも、灰燼(かいじん)の中できらめく赤い瞳も、奴が健在である事を物語っていた。
「しぶといですね。じゃあ師匠、逃げますよ」
「逃げるって、このままかよぉ!?」
飛んだ。王都の夜空を高く高く。そして屋根に着地すると、道には降りず高所ルートを駆け続けた。
アイシャの横顔、なびく白銀の髪。その向こうには満天の星空が見える。だが胸に去来するのは素敵とか恋心とか頼もしさとか、そんなものは一切ない。ただ恥じ入る想いだけがある。
「アイシャ、もう良いから降ろせ!」
「だめですよ。せめて身体が回復するするまでは」
「エミリアも止めろよ。お前だってこんなの嫌じゃないのか!」
「異論は無い。交代で抱っこするから」
「お前はこんな時ばっか物わかりが良いのな!」
「さぁ交代。マスターを返して」
「別にアンタのもんじゃないですよ、ホラ」
一応はコイツらにとって大事なオレは、乱雑に投げ渡された。フワリと夜空を舞い、エミリアの両腕に収まると、獰猛に微笑む顔が見えた。
「フフッ。ゴリラ女に抱かれて汚れちゃった。さぁ存分に甘えてくれて良い」
「お前ら戦闘中って事忘れてんだろ」
「ところでマスター。亡霊男を助ける可能性ってあるの?」
「そうだな。アイツの意識は残っていた。だから亡霊だけ退治できればノイズマンを元に戻せるぞ、理論上はな」
「亡霊だけって、どうやるの?」
「縁の品を破壊する。この場合は剣だろうな」
「剣を破壊って、大変そう。何か手立ては?」
「それは今から考える……」
しかし、のんびり検討する時間は無かった。背後から、凶々しい形相を浮かべつるノイズマンが猛追していた。オレ達の悪フザケが怒りを煽った部分も、少しはあるのかもしれない。
「それはともかく、回復だ……!」
残り僅かな魔力薬を懐から取り出し、少し口に含んだ。身が縮む程に苦く、生ぬるく、そしてドロリとした口当たりも不快だ。劣悪な三重苦を、覚悟だけで胃の方へと追いやった。
だがその甲斐あって、身体には活力が戻ってきた。魔力を取り戻した感覚もある。
「もう良いぞエミリア、降ろせ」
「あとちょっとだけ。臀部の質感が堪らない」
「お前も悪霊とまとめて退治してやろうか」
やっと自由を取り戻したオレはエミリアから脱出し、屋根の上を滑っていった。反転し、ノイズマンを迎え撃つ姿勢に入る。
陣形は、付かず離れずの一列横隊。それぞれ違う屋根の上で身構えた。やがてヤツが来る。月明かりに照らされたノイズマンは、首を大きく傾けつつ薄笑いを浮かべた。もう勝った気で居るのだろう。
「例の霧が消えてますよ。力を使い果たしたんじゃないですか」
「これは好都合。首ポロンのチャンス到来」
「お前ら油断すんな。闘気そのものは衰えてねぇぞ」
確かに霧がなければ戦える。仕掛けるべきか。遠目から探っていると、ノイズマンの剣から赤い閃光がほとばしった。その瞬間、反射的にに足が動いた。本能に従って真横に転がる。
すると凄まじい風切り音が脇を駆け抜けていった。赤黒い塊。それは夕闇の衣が形を変え、超高速で走る音だった。まるで大砲の玉でも過ぎ去ったかのようだ。
「なるほどな。霧を漫然と出さなくなったのは、攻撃モードに入ったせいか」
続けて2発、こちらに向かって飛んできた。剣の太刀筋に併せて放たれるらしい。
凄まじい速度だが直進的だ。避けられない物でもなかった。転げ回りつつ大通りに飛び降り、路地裏へと駆け込んだ。すると苛烈な攻撃は鳴りを潜め、静まり返った。
「アイシャ、エミリア、屋根から降りろ! その攻撃は遮蔽物で守れるぞ!」
「さっすが師匠、もう攻略法を見つけたんですか!」
「マスター素敵すぎ。ムラムラしてしょうがない」
「安心するには早いからな。対抗策は何も浮かんでない……」
その時、小砂利混じりの風が吹いた。ノイズマンが家屋を粉砕し、オレ達を隔てる物全てを吹き飛ばしたのだ。
「遮蔽物で守れる。ただし守りきれるとは言ってない」
「路地だ、路地裏を駆け回るぞ!」
それからはジグザグに、とにかく物陰の多い方を選び続けた。肉薄するノイズマンを、時には転んで、あるいは壁を駆け上がって追撃をいなした。
「師匠、このままじゃジリ貧です。どうしたら良いですか!」
対抗策、無いわけではない。しかし勝ちの薄い賭けだった。オレの薬師としての力量にかかった、人生屈指の大博打だ。
「ゴリッゴリに聖属性が強い薬を作る。それで倒せるかもしれない」
「そんなもの出来るんですか?」
「成功率は期待すんな、だが他にやりようはないぞ」
「じゃあそれを作らないと……キャアッ!」
ノイズマンがアイシャの脇を疾駆し、剣を振り上げた。狙いはオレ。赤い閃光、そして袈裟斬りが仕掛けられた。
その攻撃は、足で小刻みなフェイントをかける事で惑わし、回避した。弾みでバランスを崩して道の上を転がる。殺気。もう1度前に飛んで転がる。背後で剣の突き立つ音を聞きつつ、再び走り出した。
「狙いはオレだけに向いてやがる。せめて調合するだけの時間を稼がねぇと」
「稼ぐったって、こんだけ素早いの相手に無理ですよ!」
「誰かにヘイトを、狙いを向ければ良いんだが。せめて調合する間だけでも」
「さようならゴリラさん。短い間だったけど、アナタの事はそこそこ嫌いだった」
「てめぇエミリア。シレッとアタシを人身御供にすんのやめて貰えます?」
「お前らじゃ無理だ。ノイズマンとの縁が浅すぎる」
ヘイトを振れないなら調合を任せるか。いや、それこそ不可能だ。貴重な素材を浪費して失敗に終わる未来しか無い。
いっその事、王都から抜け出して森の中を逃げ回ってやろうか。暗がりなら撒く事も難しくない。そう思った矢先、道の先で怒号が轟いた。人の気配すら消えた闇夜に、それらは待ち受けていたのだ。
「臆するな。近衛騎士団、突撃せよ!」
いくつも重なる馬蹄。総赤備え。騎乗の騎士も馬具も全てが真っ赤に染まる騎馬隊は、確かに近衛兵の一隊だった。
なぜ、誰が。馳せ違う騎馬隊はオレ達に目もくれない。そして攻撃命令が降ると、一斉に手の槍を投げ始めた。銀色の輝きが闇夜を切り裂きながら飛び、ノイズマンの身体に深々と突き刺さった。
こうして執拗な追撃は止まったのだ。唖然としながら成り行きを見守っていると、不意に声をかけられた。どこか聞き覚えのある声色のものが。
「ごめんよ。僕の名前が軽いから、50騎集めるのがやっとだったよ」
「お前はもしかして……アルケイオスか!?」
「そうだよ。あれ、言ってなかったっけ。僕の正体を」
兜を脱いだ男が微笑んだ。間違いなく知った顔だった。
「初耳だぞ。近衛兵を操れるって、やっぱり只者じゃなかったのか」
「一応は王家の端くれさ。もっとも、王位継承権は下から数えた方が早いくらいだけどね」
「それよりも、のこのこ参戦しても大丈夫なのか。アイツは並の敵じゃねぇ。ワイトキングっつうとんでもない化物だぞ」
「分かってる。だから出来る限り対策はしてきたよ。鎧にはアンチドレインを、さっきの槍も聖職者に加工させた物だよ。さすがの3Sと言えど、相応のダメージを……」
ノイズマンに視線を向ければ、それも虚しい期待だと分かる。肉体を貫いたハズの槍はほとんどが消滅しており、今、最後の1本が見えざる手によって引き抜かれた。そして地面に投げ捨てられると、槍は燃え尽きたかのように黒化し、散り散りとなった。
「ダメージを、何だって?」
「いやぁ、これは参ったね。ウチの聖職者は徳とやらが足りてないのかな」
「それよりもアルケイオス、時間を稼げるか?」
「長くは保たないね。何か作戦でも?」
「死霊特効の秘薬を作る。それさえ出来ればカタを付けられる」
「それって最上位の代物で、成功の見込みなんて無いよね。任せちゃっても良いのかい?」
腹にズシリとした重みが走る。命を預けられたかのような錯覚を覚えた。
「絶対だ。必ず成功させてみせる」
「良い心意気だ。どうせ手をこまねいていても、国の滅びを待つだけだしね。だったら友達に賭けるのも悪くないさ」
「頼んだぞアルケイオス」
「君こそしっかりね、イアクシル」
互いに拳を重ね、別れた。オレを追跡しようとするノイズマンには、アルケイオスの部隊が立ちふさがる。
「亡霊よ。この私を捨て置こうなどと考えてはおるまいな。我が名はアルケン、第7王子だ。貴様が甦ってまで恨む王家の俊英だぞ!」
雄叫び、風切り音、重なる馬蹄の響き。それらはみるみるうちに遠ざかり、その姿すら見えなくなった。
「今の内だ。アイシャ、エミリア、急ぐぞ」
「分かりました……って、どこにです?」
「中央教会。そこに必須素材が眠ってるハズだ」
オレ達は一息で駆けた。静まり返った夜の街を。亡霊どもの蛮行に終止符を打つために。
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