第19話 嫉妬ペナルティ
調子狂うなと思う。あのゴーワンが、対抗意識の塊でしかなかった男が、今はこんな姿を晒しているのだから。
「イアクシル殿、何かお仕事はありますかな?」
「い、いや。まだ準備がな。後で呼ぶから、それまで休んでて良いぞ」
「では自室にて書見の時間とさせていただきますぞ!」
そう言って颯爽と立ち去っていった。装いも高級スーツを脱ぎ捨て、粗末な麻の服で揃えている。ほんの半年前と比べても別人としか思えなかった。
「ゴーワンさん、マジなんですね。1日もブレた事ないですもん。このまま薬師を目指すつもりですかね?」
「そうだな。誰かさんよりも熱心に学んでいる。オレの片腕になる日も遠くはないさ」
「うぐっ。アタシはほら、実地で学ぶタイプなんで。本を読み漁って、知識だけ先走ってもねぇ……」
「まぁ、そうしたいなら構わん。ゴーワンから学ぶ事になっても堪えられるならな」
「それは嫌ですね……。師匠、『イラストで分かる優しい薬学書』みたいなの無いです?」
「無い。だから腹をくくれ」
オレはそう言い残すと、ダイニングから製剤室へ。そして仕事の準備を終えると、2階の小部屋へと向かった。元々は物置だったのをゴーワン用の私室に変更した部屋だ。
「仕事が出来た。ちょっと手伝ってくれ」
呼び出しに対する返事も快活としたものだった。
「承知しました。すぐに参りますぞ」
これだもんな。やはり調子が狂う。いっそのこと、草いじりの貧乏人めとでも罵られた方がシックリくるというのに。
「春に植える種の選定をしたい。水に浮かべて、水面まで上がったものは避けてくれ」
「なるほど。ちなみに不要な種は廃棄なさるので?」
「いや、すり潰して原料にする。だから捨てずに選り分けるだけに留めてくれ」
「委細承知しました。では始めましょう」
ゴーワンは、こんな作業でも真剣だった。どんな些細な異変も見逃さぬよう、眼を見開いて、仕事と真正面から向き合っている。
その情熱はどこから生まれるのか。詮索の情が腹の底から込み上げてくる。
「学生時代も、そんな風に熱心だったらな」
口からついた言葉は、そんな言い方だった。聞こえ様によっては嫌味にもなってしまうか。しかしゴーワン、顔を曇らせずに答えた。
「お恥ずかしい限りです。若気の至りから軽視しておりましたが、実際やってみると奥深く、楽しく感じられます」
これを以前のゴーワンに言わせれば、無能者の為の逃げ道、とでもなったんだろうか。魔術で稼げない人間の為の学問だと。
この変節は何だ。疑うというよりは、心境の変化に興味が湧いた。
「やはり面妖に思われますか。私の振る舞いに」
「まぁな。オレもアイシャも驚いている」
「先月は恥を晒しました。そのついでに昔話でもしましょうか」
その言葉を切っ掛けに語られたのは、彼の生い立ちだ。セントローデルの王都から馬車で3日ほど行った先にある片田舎で、ゴーワンは生まれ育った。15歳になったのを機に、王立学院に入学。慣れない寮暮らしに堪えつつ、魔術を学ぶ事になったのだが。
「当時の私は、武術こそ奮わなかったものの、勉学に優れておりました。大人達はこぞって、神童だのと褒め称えたのです」
「そうか。期待が重たいな」
「それが私の場合はそうならず、むしろ得意になっておりました。自信はやがて慢心となり、学生だけでなく大人たちですらも見下すようになりました」
「うん。確かにあの頃のお前は偉そうだった。いつもふんぞり返ってたし」
「まさに愚か者。戻ることが出来るのなら、一発頬を張ってやりたいくらいです」
「んで、それが薬学の話と繋がるのか?」
「はい。イアクシル殿を知った途端、私の人生は大きく揺さぶられました」
「そこでオレが出てくんのか」
言われた所で腑に落ちない。学生時代、ゴーワンとはそれほど接点が無かったからだ。たまに顔を合わせれば嫌味を浴びせてくるやつ、という認識だった。
しかしゴーワンから見たオレは、もっと大きな存在だったようだ。
「君は凄まじい傑物でした。座学は軒並み優秀。それどころか走れば俊足、闘えば無敵。私は人生で初めて、痛烈な敗北感を覚えたのです」
「オレは魔法を履修してない。お前が負けた事にはならんだろ」
「しかし座学は同じ授業を受けたではありませんか。私も必死に勉強しましたが、君はその遥か先を行った。そこで負けん気を利用して奮起すれば良かったのですが、あろうことか、嫉妬心の虜となったのです」
「じゃあもしかして、お前がやたらと薬学を馬鹿にしたのは」
「嫉妬です。どうあがいても君の才覚に敵いませんので、卑下する事でしか自尊心を保てませんでした」
「そうか。そんな理由があったのか」
「愚か者の発想です。今のように、素直に教えを請えば豊かな人生を歩めただろうに。どうやら、負けを負けと認めぬ場合、重いペナルティを課せられるようですな」
ゴーワンが寂しげに笑った。ここで慰めの言葉も返すべきだろうが、オレは認識違いを真っ先に正した。
「お前はオレの才能がどうのと言ったが、別にオレは天才とか、そんな部類の人間じゃないぞ」
「まさか。あれだけ優秀な成績を残したではありませんか」
「全て母さんによる教育の賜物だ。生き地獄のような教育のな」
「……それは如何なるもので?」
「色々あったぞ。丸腰で魔狼のウロつく森に放置されたり、メシに毒を混ぜられたり。食あたりしようものなら自分で薬を作って治すとか。他にも数え上げればキリがないくらい」
ゴーワンは眼を見開いて肩を震わせた。まぁ、その反応は普通だろうな。オレだっておかしいと思ってる。
「それは何とも苛烈な……」
「だから、オレは学ばなきゃ命が危うかった。死ぬ気でやったよ。まぁその課程で薬草や毒物は全部覚えたし、身体の使い方や身の守り方も理解したがな。学院の授業なんて味気なく感じたものさ」
「なるほど。そんな生い立ちだったから、あれほど優秀だったのですな」
「だから天才なんかじゃない。血の滲むような努力の跡が、そんな風に見えただけだ」
「あぁ、やはり嫉妬などするものではありませんな。人生の浪費です」
弾けたように笑う顔に屈託は無かった。もちろん好ましく映る。同じ薬師として歩む者と認めたくなるくらいには。その日の作業は比較的和やかに終わった。
さて、手放しで喜んでいられないのが貧困層の辛い所。人が増えれば出費が増す。これは動かさざる真理というやつだ。
「やべぇな。この調子だと、1ヶ月後には蓄えが底を尽くな……」
ここ最近は金の事ばかり考えてしまう。以前のような、行商で稼ぐ方法もダメだ。お触れのせいで堂々と売りつける事が難しい。
「せめて冬じゃなければな、原料も豊富なんだが……」
「先生。冬がどうしたんですかい?」
ヤバイ、今は診察中だった。相手が常連のネタネさんだからと言って甘えは禁物だ。むしろ常連だからこそ真剣に向き合わなければならない。
「失礼しました。診察を再開しましょう」
「先生。お悩みあるんなら、このババァが聞きますけんども?」
「いや、その、何と言いますか。最近ヒマを持て余していて、どうしたものかと」
さすがに貧乏過ぎて困ってますとは言えない。嘘とも真とも言い切れない実情を話してみた。それはさして深刻さを与えず伝わったようだ。
「そうですかぁ。忙しいあまりブッ倒れちまうよりはマシですわなぁ」
「えぇ。おっしゃる通り」
「あのぅ、申し訳ないんですがね。知り合いのジジイどもを見てやってはくれねぇですか?」
「ネタネさんのお知り合いですか?」
「いえね、魔法屋の病院に通ってたんですが、最近は滅法高いそうでね。前は200ディナくらいだったもんが今じゃ3千もかかるってんで、医者にかかれず参ってるんですわ」
それは暴利だ。独占したのを良いことに、好き放題やっていると言うことか。その金額では、高給取り以外は躊躇してしまう事だろう。
「構いませんよ。無為に時間を浪費するより、1人でも多くの患者を助けたほうが良いので」
「ありがとうございます。ほんと先生は立派な方だぁ」
その日、ネタネさんを見送ったあと、すぐに結果に現れた。膝を悪くした人、息切れに悩む人と、不調を訴える患者さんが訪れるようになる。
これは助かったぞ、などという感想は早計だ。噂が噂を呼んだのか、患者は日毎に増していき、ついには丘の道に長蛇の列が出来るようになった。
「師匠、混乱に乗じて客をかっさらうとか、知略家ですね!」
そんな狙いは無かった。ただ家計の足しにと考えただけだ。
「国の命令に逆らって貧しい病人を救う。マスターの格好良さが眩しい」
そんな義侠心は持ってない。もっと金を稼ぎたいと思っただけだ。
ともかく浅はかだったと思う。宣伝するにしても、もう少し言葉をぼかすなどの工夫が必要だったようだ。そんな後悔の念から始まり、間もなく大きな面倒事が多忙とは別の形で訪れた。
数騎の兵、磨き上げられた鎧とともに。しかも立て続けに2隊。どう見積もっても凶事だった。
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