第18話 かつての学友は

 窓から降り注ぐ豊かな日差し。本日は冬晴れで、珍しく暖炉が要らないとも感じる陽気だった。迷った挙げ句、節約を優先させた。


 ダイニングに来るなり暖炉は無視して、パンと水を3つ並べておく。昨晩は豪勢だったから、翌朝はこんなもんだ。しばらくすると2人分の寝ぼけ顔が見られるようになる。


「おはようございまぁす」


「おはようマスター。なんか頭が痛い」


「朝飯にするぞ、顔を洗ってこい」


 それからは3人揃って食事。質素すぎる献立のせいか、正面の顔はどちらも浮かないものだった。


「あの……師匠。1個だけ聞いても良いですか?」


「もっと食いたいのかよ、アイシャ。先に言っとくが、昨晩みたいなゴチソウは当面無いからな」


「マスター。私も質問したい」


「お前の頭痛は二日酔いだ。今後酒を飲む時は気をつけておけ」


「ええと、そうじゃなくて」


 珍しく2人が声を揃えた。


「どうしてゴーワンさんが床に転がってるんですか!」


「そんな事か。ソイツは盗みを働いてたから捕まえておいた」


「師匠って、たまに驚くくらい容赦ないですよね」


 昨夜、我が家でゴーワンを見かけた時のこと。とりあえず話を聞く前に絞め落とし、縄で縛っておいた。事情を聞こうにも遅い時間だったし、警備隊に突き出すなら事情なんか知る必要もない。


「ともかく、こいつは盗みを働こうとした。何らかの報いを受けるべきだろ」


「ゴーワンさん、どうして……」


「知らんよ。人の事を散々貧乏だとか罵ってたのに、落ちぶれたもんだ」


「お金を持ってる事だけが取り柄だったのに……可哀想です」


「お前も容赦ねぇな」


「だって、やたら突っかかってくるし。そのくせ毎回許された気になってますし」


「確かに鬱陶しいヤツだった」


 それはさておき、気絶顔を眺めながらの朝食というのはキツイものがあった。オレはパンを一気食いすると、気付け薬を塗りつけてやった。効果テキメン。ゴーワンの意識を夢の世界から引きずり出す事に成功した。


「臭ァ! 何だこれは、臭すぎる!」


「おう目覚めたか。これからお前をしかるべき所に突き出してやる、覚悟しておけ」


「なぜ私が……ハッ!?」


「思い出したか。天下のゴーワン先生が干し肉を盗むとか意味わからんが、罪は罪。昼までには警備隊とのご対面だ」


「待ってください。これには深い事情があるのです! 罪を問うのであれば甘受しましょう、しかしどうか今しばらく!」


 ゴーワンの真摯な声色。これは面倒だ。アイシャと顔を見合わせると、お互いが似たような顔をしていた。そんな中でも、仏頂面でパンを食い続けるエミリアからは、王者の風格らしきものが感じられた。


「まぁ知らねえ仲でもない。言い訳くらいは聞いてやるか」


「ありがたい。頼みついでに、水を1杯いただけますか?」


「要求が多いな。おらよ」


「両手が縛られているので、飲ませてくれませんか?」


「面倒臭ぇなマジで……」


 仕方なく縛めを解いてやった。逃走の心配なんか無い。オレ達3人の追跡から逃げ切る事は不可能だからだ。


 ゴーワンは喉を鳴らして水を飲み干すと、これまでの経緯について語り出した。両膝を床につけた姿勢は、真摯さの現れだろうか。


「君もご存知かと思いますが、医術について前例のない王命が下されました。王家、あるいは公爵家の許しが無ければ、治療をしてはならぬというものです」


「知ってる。だからお前も窮地に陥ったハズだ。でも散々稼いできたんだろ、落ちぶれるにしても早すぎる」


「財産の一切も奪われました。診療所だけではなく、我が屋敷、資産に至るすべてのものを」


「……それは本当か?」


「先日まで5千万ディナを超える貯蓄がありました。そんな私が食うにも困っているのです。お察しを」


 話のインパクトが強烈すぎて、どこに食いつけば良いのか迷う。たぶん、財産没収に注目するのが自然なんだろうが、なんだよ5千万って。それだけ儲かるなら、王家が専有に乗り出す事もあり得そうに思えた。


「酷い話ですね」


「アイシャ、お前もそう思うか」


「ものの数年で5千万って。随分な荒稼ぎじゃないですか」


「気持ちはわかるが、ポイントはそっちじゃないぞ」


「それにしても財産没収ですか。ずいぶんと強引な方法ですね」


「見せしめ、なんだろうな。ゴーワン、お前は抵抗したり、何か小細工を企んだか?」


「騎士団が急に押しかけましたので、反射的に結界を張ってしまったのです」


「それが反抗的だと扱われ、特に厳しい処罰を受けたという訳か」


「左様。それからは部隊が代わる代わる現れて、大勢の騎士から詰問されてしまいました」


 職を失い、財産も奪われた。しかしそれでも腑に落ちないのは、なぜ盗みを働いたのかだ。人一倍プライドの高い男だ。無一文になっても、こっそり治療して回り、飯代くらいは稼ぎそうなものだが。


 そんな疑問も、ゴーワンが掲げた手のひらを見て、理解が及んだ。


「お前、それは……!」


「極めて強力な魔力紋です。これにて私は生涯、魔術を扱う事ができません」


「マジかよ。そこまでするか、普通……」


「私もさすがに信じられず、数日は腑抜けのようになってしまいました。同じ処遇を受けた者も少なくない。今も都には似たような者達がウロついている事でしょう」


 見るものを威圧するかのような漆黒の印。この紋章は恐らく消えない。それこそ世界で指折りの魔術師が解呪でもしない限りは、延々と刻まれたままだろう。


 一体何が起きているのか。この強権ぶりは何なのか。目に見えぬ怪物でも現れたかのようで、謎の殺意に身が凍る思いだ。一同が言葉を失う中、いつもの調子で口を開いたのはエミリアだった。


「マスター、ひょっほひひはいんだへほ」


「喋りたいなら口の中を空にしてからだ」


「ちょっと聞きたいんだけど、この国の王様ってヤバい? 聞いた事ないくらいに残虐」


「いや、特別良くもないが、決して悪くない。むしろ医療分野には理解があったのか、多額の奨励金を配ってたくらいだ。その甲斐あって回復魔法が発展した訳で」 


「だったら尚更。その王家が治療師を排斥するのはおかしい。税を重くするとかは有り得ても、その力を封じるなんて」


「確かにな。言われてみれば無茶苦茶だ」


「裏がありそう。まぁ私たちには関係ないけど」


 そう、今ばかりは他人事で居られる。連中に許されているうちは、だが。


「ゴーワン。お前これからどうする気だ」


「えっ、師匠。その流れは! もしかして雇うつもりですか!」


「無一文で魔術も使えない。そんなヤツを追い出すのはさすがにな」


「でもでも、こいつは薬学をクソ馬鹿にしたヤツですよ! しかもあろうことか、食べ物を盗もうとしたり!」


「ゴーワン、お前はオレに保護を求めようとしたら、皆揃って寝てた。そこから翌朝まで待てないくらいに飢えていた。そうだろ?」


「ご明察。それが全てですよ」


「不自然だからな。貧乏と知ってて盗みに入るのは。だから、予定を急遽変更したと考えるしかない」


 自分で言ってて哀しくなるが、事実だ。蓄えは1千ディナにも満たず、食料も黒パンに干し肉、しなびた野菜とロクなものがない。一時期よりマシになったとはいえ、家計が苦しいのは相変わらずだった。


「そこまで察して居られるなら話は早い。私をここで雇ってはいただけませんか」


「お断りです。とっとと縛られて牢屋送りになると良いですよ」


「アイシャ。ちょっと黙ってろ」


 この流れでそんな言葉が出るとは、嫌いすぎだろ。


「ゴーワン。ここで暮らすからには働いてもらう。お前が散々馬鹿にした薬師の仕事だ」


「異論はございません。犬馬の労もいとわぬ覚悟です」


「ふぅん。まぁ、真面目に働くってんなら」


「師匠、ダメですって! こんなシュショーな事言ってますけどサボるに決まってます! 草むしりテキトーに済ませたり、水撒きも端っこまでやらなかったり」


「ほぅ、随分と描写が的確だな。実体験か?」


「いやいや、そんなまさか。有り得そうな事を並べただけですから」


「ともかく、そう決めたから。エミリアも分かったな?」


「わはひはへふに、はんはっへひひ」


「まだ食ってんのか。早く食い終われよ」


 こうして、厳しい視線と無関心の間で始まった新たな暮らしは、思いの外順調だった。それを実現させたのはゴーワンの姿だろう。毎朝誰よりも早く目覚め、屋敷の掃除を終えてしまう。日中は雑用をこなし、夜になれば薬学書を自室に持ち込んで、月明かりを頼りに読み耽る。


 そんな日々が1か月も過ぎた頃だ。さすがにアイシャも態度を軟化させ、受け入れるような言葉を出すようになった。


「どうせ3日もすれば逃げてくと思ってましたが、意外と根性を見せますね」


 ダイニングで、アイシャが白湯を啜りながら言った。オレも同じく木椀に口を付けながら相槌を打った。手っ取り早く温まるにはコレに限る。なにせ水と燃料はタダ同然なのだから。


「それなのに師匠はゴーワンさんのやる気を見抜いてたんですから、さすがです! これも学友の絆とか、そんな感じですよね」


「おっそうだな」


「えっと、そのリアクションはもしかして……」


「いや、オレも同じだ。腹が膨れたらそのうち消えるだろと思って、だから安請け合いを」


「えぇーー! アタシ、結構感心しちゃったんですけども!」


「まぁ、細かい事はどうでも良いだろ。こうして熱心なやつを雇えたんだから」


「そうですけど。釈然としないなぁ」


 細かい事。自分で言っといて何だが、果たしてそうなのだろうか。あの姿は熱心な姿勢か、それとも良からぬ企みの片鱗なのか。


 どこかで探ってみるべきかもしれない。そんな想いを浮かべつつ、白湯の空いた椀を静かに置いた。

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