第14話 ぬくもりは形を変えて

 目の前にあるのは極限まで膨らんだ麻袋。中身は貨幣のみという、まさに夢みたいな代物が置かれている。降って湧いたような3000ディナを超える大金は、アイシャ達の荒稼ぎによって手に入ったものだ。しかし使い道が全く決まらず、いたずらに時間だけが過ぎていった。


「普通に考えたら貯金すべきだろうが……」


 我が家は金を保管できる環境に無い。やれ豪華な飯を食わせろだの、やれ物を壊しただのと、何かと要求が激しいのだ。下手すると勝手に持ち出されかねない。


 まさかそんな事はするまいと信用しきっていたのだが、ほんの数日の間だけでも5度は防衛を強いられている。日々の生業を続けながら資産を守り抜くというのは、やはり現実的ではない。いつの日か突破を許してしまうだろう。こうしてる今も、微かな視線が注がれている事を感じている。


「やっぱり、1度預けるべきか」


 こんな時は王都にある保管所を利用するのがセオリーだが、それも気が進まなかった。100ディナ単位で預けられるサービスは確かに便利でも、手数料として1割取られてしまう。今回の場合は300ディナを支払う事になり、ただ預けただけで失うには高すぎると感じていた。


「悩ましい……どうしたもんかな」


「突然に大金が入ってくると考えさせられちゃうよね。分かるなぁ」


「アルケイオス!? どうしてここに居る!」


 本気で驚かされた。ヤツはいつの間にか製剤室に潜り込み、更には椅子に腰掛けて寛いでいるのだ。どのタイミングでオレと並んで座ったのか、全く思い出せなかった。


「どうしてって、玄関からちゃんと入ったよ」


「入口に『休診中』の札をかけておいたろ! 他にも休みを知らせる旗を掲げてあったはずだ!」


「だって今日の僕は患者じゃないもの。いち友人として訪ったからOKでしょ」


「少しは遠慮しろよこの野郎……」


「それよりも金の扱いに困ってるようだね。欲しい物とか無いのかい?」


 アルケイオスはこっちの苦情など無かったかのように振る舞った。それも割とイラつく態度なんだが、追求するだけ無駄だろう。いっそ会話に乗った方が疲れないのかもしれない。


「有るには有るが、急ぎで買うようなものじゃない」


「投資とかどうかな。例えば農耕ギルド相手なら、額面に応じて食材を送ってくれる。商工ギルドなら事業の成功時に高額な礼金が貰えるよ」


「投資は当たり外れが大きいだろ。そういうのは金持ちに任せたら良い」


「じゃあ貯める? 堅実な手段だけど、アイシャちゃんとか反発しそうだよね」


「まぁ、おおよそ当たってる」


「お金は人の欲望を煽るからなぁ」


 アルケイオスは楽しげにケラケラと笑った。当事者でない奴は気楽でいい。


「じゃあさ、家の皆で分けちゃえば?」


「やっぱりそれが落とし所か」


「どうせアブク銭なんだから、無くなっても構わないでしょ。貯めた方が良いと思えば残せば良いし、パァーッと使いたい人は存分に楽しもうってね」


「あの2人は残さないだろうな、きっと」


「君もたまには贅沢しちゃいなよイアクシル。何だったら夜のお姉さんを紹介しようか? 1000ディナあれば、かなりの美人と濃厚な夜を過ごせるよ」


「いらん世話だ。さぁ、これから家族会議をやるから、お前は帰れ」


「えっ。同席させてはくれないのかい?」


「そこまでの義理は無い。いいから帰れ」


「仕方ないなぁ。後日談に期待してるよ」


 アルケイオスはそう口では言うものの、かなり未練がましい視線を送ってきた。製剤室を立ち去ろうとする間、何度も振り返ってはオレの言葉を待つ素振りを見せた。別に引き留めたりはしないし、前言を翻(ひるがえ)すつもりもない。むしろ手で追い払う仕草をして追い立てた程だ。


 やがて侵入者の離脱を見送ると、今度はアイシャとエミリア両名に声をかけた。何かを察したらしく、どちらも仕事道具を放り投げてオレの後をついてきた。


 2人を呼び集めたのは応接室。金の入った袋を見たせいか、どちらも鼻息を荒くしている。


「この金を3人で分ける事にした。1000ディナずつだ、好きな様に使ってくれ」


「師匠、アタシは食料を買い漁ろうと思います。ちゃんと保存のきく干し肉とか!」


 アイシャはやはり食い気を優先させるらしい。保存食という結論に家計を気遣った感が垣間見えるが、ものの数日で底をつく未来が見えた。事あるごとにツマミ食いして。


「エミリア。お前はどうするつもりだ?」


「椅子とか新品の毛布とか、新しい家具が欲しい。暇つぶしの本も必要」


「意外だ。けっこう堅実な物を買うつもりなんだな」


「でもマスターが望むなら別の物にする。際どい下着とか、スケスケスケベな服とか」


「そう来るか。オレの感心を返せ」


 そんなやり取りがありつつも金は均等に分けた。端数は家計に入れ、1000ディナの詰まった袋を3つ作る。アイシャなどは袋を受け取った時、大げさにも涙ぐむ表情を見せた。


「やっとなんですねぇ。師匠と豪遊できる日がやっと来たんですねぇ」


「お前はお嬢様だろ。1000なんて、はした金みたいなモンじゃないのか?」


「師匠の努力が認められた証だから嬉しいんです! もう、そこは読み取ってくださいよ」


 オレの努力ではなく、お前らのフェチズムが認められた結果だ。薬師としての成功というには大きな疑問が残る。


「それじゃあ都まで行くか。休診中の札と旗はそのままにしよう」


「キャホゥ! 生きてて良かったですよぉ!」


 子供の様にはしゃぐアイシャを先頭にして、オレ達は王都への道を降っていった。午後の日差しは暖かだが、吹き抜ける風は冷たい。冬に手の届きそうな時期だ。この機会に、防寒具を新調するのも良いかもしれない。


 やがて城門に着くと、アイシャは門番相手に親しげな挨拶を送った。ゴキゲンのおすそ分けみたいなモノだったが、相手は少し違うように受け取ったらしい。アイシャの通り過ぎていく姿をボンヤリと見送っていたのだから。


「やっぱり世間的には美人って感じなんだろうな」


 何となく漏れた呟きにエミリアが答えた。


「それは彼女を良く知らないから。色気よりもアホさ加減の方が強いのに」


 言わんとしている事は分かる。何が悪いというのではなく、そういう気質というものだろう。それをどう判断するかは好み次第か。


 考え事のせいで立ち止まっていると、道の先でアイシャが急かした。苦笑して後を追い、ひとまずは中央広場の噴水付近までやって来た。


「じゃあ各々、好きに過ごしてくれ。揃って帰る必要もないから、気が済んだら屋敷に戻るように」


 その言葉で全員が分かれた。まずアイシャは真っ先に食料品店へと向かった。有言実行とも取れるが、食い気に走ったようにしか見えない。


 一方でエミリアはというと、こっちも雲行きが怪しい。露店に並ぶ木彫りのクマを手にとってはシゲシゲと眺めている。家具だの本だのどうした、と言いたいところだが、やはり好きにさせた。アイツの部屋に民芸品が所狭しと並ぶ事になったとしてもだ。


「さて、オレも自分の買い物をするかな」


 足の向くままに中央通りを歩き、裏路地へ入った。そこは低価格帯の服屋が立ち並ぶエリアで、コートや手袋などの防寒具が多く見られた。品を細かく見る事無く、値段を最優先して一通り買い求めた。コートにマフラーと手袋で総額700ディナちょい。悪くない買い物だったと思う。


 そしてオレの買い物はここで終わり。意図せず暇を持て余してしまった。


「久しぶりに散歩でもするか」


 何となく足を歩かせる事しばし。付近の様子は次第に変化していく。貴族御用達のレストランを素通りし、観光客向けの割高な軽食屋の脇を抜けると、懐かしい小路を歩いた。10数年経っても変わらない景色を前に、自ずと古い記憶を呼び起こしてしまう。


 あれは夕暮れ時。母の手に引かれてやってきた店。こじんまりとした佇まいの手狭なレストラン。うちは昔から貧乏だったから、外食なんて年に1度、決まった日にだけ訪れたもんだ。


「あの頃はキツかったな。母さんは柔和なキャラのくせに、教育に妥協が無かったから」


 武芸と薬学については、これでもかと叩き込まれた。文字通りに血豆を潰す毎日に、母を恨んだ事すらある。そんな親子関係を繋ぎ止めるかのような出来事の1つは、馴染みのレストランにあった。普段は切り詰めた暮らしでも、この日ばかりは好きなだけ食わせてもらったっけ。


――今日はたくさん食べなさい。そして大きく逞しくなるのよ。


 オレはオレで、早く大人になりたい一心から、すげぇ食った。肉も魚もパンも口に詰め込んで、しかし野菜はつまむ程度で。そうしてパンパンに膨らんだ腹に、最後のひと押しはシメのデザート。甘くてほのかに酸っぱい味わいは、子供向けでは無かったが、オレは好きだった。次に食べられる日まで指折り数えたりするくらいには。


「店は無くなってるか。10年以上前の事だしな」


 そのレストランはよりにもよって魔術式診療所に変貌していた。長い行列が道端まで伸びている。順番待ちの患者達がコチラに視線を向ける中、オレは足早になってその場から離れた。


 世界は変わる。残しておきたいものも、そうでないものも等しく劣化し、やがて消えてしまう。その程度の事は理解しているつもりだが、口から溢れるため息が止まらなかった。胸を締め付けるものを取り払いたくて、手のひらを当ててみる。体温がいっそう煽るようで、結局はポケットに手を引っ込めた。


 息が白くなってきた。夜更けには一層冷え込むだろう。冬の便りが届くのも目前か。


「もう帰ろう。あいつらもボチボチ終わった頃だろ」


 空には夜のとばり。星々。空気は澄み渡っていて、三日月が鋭く見えた。次に外出する時はコートを着込んでおこう。帰路の坂道はそんな事を考えていた。


「師匠、お帰りなさい!」


「意外と遅かったマスター。買い物好き?」


 帰宅すると騒がしい連中が待ち受けていた。もしかしなくても上機嫌なのは、顔色だけで判断できる。


「お前ら、目当ての物は買えたのか。滅多にないボーナスタイムだぞ」


「私は抜かり無く。寝具に家具に木彫りのクマ。他にも面白そうな本を何冊か。夜が長くなる」


「夜ふかしは程々にしておけ。向こう数ヶ月は冷え込むからな。厄介な風邪にやられかねない」


「フフッ。ありがとう」


「何を笑ってんだよ」


「マスターはぶっきらぼうなのに、結局は優しい。最後は必ず気を遣ってくれる。控えめに言って私物化したい」


「うるせぇよ。良いから部屋に引っ込んでろ。歯磨きを忘れんなよ」


 立ち去るエミリアの背中を見送りつつ、オレも早く寝ようと思った。不思議と気分が優れない。こんな日は長々と起きるよりも早寝するに限ると思ったのだが。


「師匠、ちこっとだけ言いですか?」


「なんだよ。オレはさっさと寝たい気分なんだが」


「まぁまぁまぁ。お手間は取らせませんので、どうぞこちらへ」


「おい、引っ張るな」


 妙に強引なアイシャに連れていかれたのはダイニングだ。テーブルランプには灯りが灯されており、空っぽの皿が一枚置かれている。


「一体何を始める気だ」


「師匠はそこに座ってください。そんでもって目を瞑って」


「趣旨くらい説明しろよ……」


 一応は言われた通りにする。付き合ってやらない方が面倒な事が多いからだ。微かに伝わる物音、気配。やはり理解が及ばすに不安だけが膨らんでいく。


「はいどうぞ。目を開けていいですよ!」


 その言葉に恐る恐る目を開いてみると、皿の上には懐かしいものが一つだけ置かれていた。


「お前、この料理は……」


「お誕生日おめでとうございます、師匠!」


「誕生日……って、そうだっけ? そもそも今日は何日だ?」


「まったく。自分の生まれた日じゃないですか」


 冷静になって振り返れば、確かに25歳の誕生日を迎えていた。日々の仕事に追われるあまり失念していた。そうでなくても20歳を越えたあたりから意識しなくなっている。


「それにしても、コレはどうやって用意したんだ。あの店は無くなってたのに」


「えっへっへ。師匠の昔話から再現してみました! 店売りの方が美味しいと思ったんですけど、もう売ってなかったんで。だから自作したんです、みすぼらしくてもご勘弁を!」


「いや、みすぼらしい所か、良くできてると思う」


 皿の隣には木のフォークも添えられていた。しっとりとしたパイ生地はフォークで簡単に区切れた。その一片を突き刺し、頬張る。あの頃と同じ食い方で。


 そうして口の中に広がる粘っこい甘み、遅れて差し込んできたのはレモンの風味。微かな酸味も連れてくる。噛みしめると溢れてくるのは濃い油。食感は柔らかく、何度も噛み締めたくなる気にさせられた。そうだ、この味だ。かつての光景が鮮明に思い出されるような思いだ。


 大人になった今は甘味はそれほど好きではない。しかし完食するのに時間は要らなかった。


「すげぇな。よくここまで再現してくれたよ」


「実はですねぇ、お店に頼みこんで厨房をお借りしたんですよ。謝礼はちょいと手痛い金額になりましたけど、おかげでプロの手ほどきもあって大成功です!」


 いつの間にか対面に座ったアイシャ。ランプで浮かび上がる顔は達成感に満ち溢れていた。


「ありがとうな。わざわざオレの為に」


「これくらい別に。感謝の気持ちに比べたら些細な事ですってば」


「いやさ、今日はちょっと寂しい出来事があってな。おかげで元気が出た気がする」


「そうだったんですか。でもこれで明日からも頑張れますね」


 その何気ない言葉にハッとさせられた。記憶の奥にただずむ母のセリフと重なったからだ。


——お腹は満足したかしら。明日からも頑張れるわね。


 すかさずアイシャを見る。母に似ていると、なぜか思った。顔立ちも体格も面影はないのに、なぜか一瞬だけ酷似しているように感じてしまった。


「ど、どうしました? そんなに見つめられると、アタシはどうにかなっちゃいますよ?」


「いや、すまん。こっちの事情だ」


「もしかして、とうとうアタシの魅力に気付いちゃいました? そろそろ第2ステージに突入しちゃいます?」


「そういうんじゃねぇっての。ともかくご馳走様。美味かったぞ」


 それからは逃げるようにして自室に引っ込んだ。胸に宿る感情に説明がつかない。懐かしさに鬱陶しさを混ぜて熟成させたような、かつてない感覚に戸惑う。とりあえず初めて抱いた感覚なのは間違いない。


「まぁ、明日になれば忘れてるだろ」


 そう呟くと、まだ歯を磨いていない事に気づく。洗面所に向かおうとして椅子から立ち上がり、もう一度座った。食後の余韻を愉しみたい気分になったからだ。もうちょっとの間、あと少しだけと、意味もなく窓の外を眺め続けた。


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