第9話 芳醇な薫りはいかが

 夜の食卓を月明かりが僅かに照らす。辺りは薄暗く、互いの顔が視認できないのは、ランプの油をケチッている為ではない。


 晩餐の内容を考慮した結果で、いわゆる演出というものだ。


「師匠、何を始めるんです?」


 アイシャが今にも泣き出しそうな声を出した。どんなメニューかと気を揉んでいるのだろう。


「待ってろ、今すぐ用意してやる」


 薄明かりを頼りに平たい陶器皿を食卓に起き、そこに新薬を注いだ。薄紫の液体が水面を覆うのを見ると、今度は火鉱石の粉末を皿の中央に撒いた。すると小さな灯火が生まれ、辺りを暖かに照らしだす。


「シャレた演出ですね。でも見た目に拘(こだわ)るなら、小皿の一品でも足して欲しいです」


「ただの灯りだと思うなよ。眼を瞑ってみろ」


「ええっ、そんな急に!? まだ心の準備が……」


「何を勘違いしてんだ。目ぇ閉じて鼻で呼吸してみろ」


 アイシャは言い付け通りにすると、分かりやすくも大声を出した。


「うわっ、何コレ! すっごいフルーティな香り!?」


「フッフッフ。今度は口呼吸してみろ」


「おぉっ今度は甘酸っぱい! 大量のベリーを頬張ったみたい!」


「存分に味わえよ。終わったら火を消すように」


「え……?」


「そしたら歯を磨いておやすみなさいだ、良い夢を」


「ちょっとちょっとぉ! まさかコレが晩ごはんって言うんですか!?」


 アイシャはオレの腰にしがみついては泣きじゃくった。多少の罪悪感を覚えるが、無い袖は振れないというヤツだ。


「仕方ないだろ。金が無けりゃ食い物なんか買えないんだから」


「分かってます、分かってますけども」


「我慢してもらうしかない。腹を空かせてるのはオレだって同じなんだよ」


「んん、待って下さい。油を都で売れば良いのでは?」


「油って、この『美臭油』をか?」


「そうですそうです。これは繁盛すること間違いなしですよ!」


 アイシャに悪い火がついた気がする。一晩挟んで忘れる事を祈るしかない。


「ともかく、今日は遅いから寝てしまえ。詳しい話はその時にでも」


「ここに1つのパンがあります」


「おい勝手に持ち出すな! それは備蓄用のヤツだぞ」


「良いんです。明日は大勝利なんですから、パンの1つや2つ」


「実際に稼いでからにしろ……って、もう食ってるし!」


 アイシャが残り僅かな食料を平らげてしまった。もはや背水の陣。是が非でも成果を出す必要に迫られた。


 翌朝。寝起きに1杯の水を飲んだだけで、王都へ向けて出発した。幸いにも晴天だ。賑やかな人出に期待できそうだ。


「師匠。手始めにどうします?」


「ひたすら大通りを歩き回るぞ。そんで、それらしい人を見つけたら声をかける」


「わっかりやした……って、あの人とかどうです?」


 アイシャが見つけたのは、しきりに自分の身体を気にする男だった。肩や胸に顔を近づけては、不満そうに眉を潜めていた。確かに商機かもしれない。


「すいませぇん。お兄さん、臭いが気になるんですか?」


「そうだけど……君たちは?」


「アタシらは通りすがりの薬売りですよ。もしかしたら、お役に立てるかな〜〜なんて」


「ええとね、昨晩なんだけど、酒場で知り合った娘とひたすらヤリまくったんだ。だけど今日は別の女性と会う約束をしていてね。臭いでバレやしないかと不安なんだ」


 割とクソみたいな悩みだった。アイシャの顔も大きく歪むが、すぐに営業スマイルを取り戻した。


「だったらこの油なんて良いと思いますよ。めっちゃフルーティで、まるで果実に包まれたかのよう!」


「へぇそいつは良いな。いくらだい?」


「ろ……80ディナでぇす」


「そこそこ張るな。でも証拠隠滅できるなら安いもんか」


 男は代金と交換で薬瓶を受取ると、油を身体に塗りたくった。


「ちょっとぉ、使い方を瓶に書いておいたんですけど!」


「あぁ分かってるよ。でもこうして肌に擦り付けたほうが効果的だろ?」


「そうかもしんないですけど、ええと……」


 困惑したアイシャを後ろにやり、説明役を代わる。


「確かに人体に悪影響はない。だが用法用量を守らないと、不測の事態に見舞われるぞ」


「無害なら良いじゃないか。僕は7股の恋を継続させる為だったら何だってする……」


 彼の言葉は最後まで聞けなかった。突然カラスの大群が沸いたかと思うと、全てが男に群がり始めたのだ。


「うわぁ、助けて!」


 男は転がるようにして路地裏へと駆け込んだ。騒がしいカラスの叫びも、やがて聞こえなくなった。


「大丈夫ですか、あれ?」


「まぁ、屋内に逃げ込めば何とかなるだろ」


 呆気に取られたオレ達は、しばらく立ち尽くしてしまった。だから気付けなかった。背後から忍び寄る人物に。


「面白そうな物を売ってるわね」


「ヒィヤァァ!」


 アイシャがかつてない叫びをあげた。急に現れた女よりも、そっちの方に驚かされる。


「な、な、何か御用で!?」


「香り付けの薬を売ってるんでしょ。私にも見せて」


「そりゃ、どうも。こちらですぅ」


 今度はオレが説明を担当する事にした。香りの強い灯油であり、直接肌に塗るのはオススメしないと。


 女は真剣に耳を傾け、最後にこんな質問を投げかけた。


「この油、口に入れたらどうなるの」


「まぁ食用としても使えなくはない。だが苦味があり、多用すると嗅覚をやられる可能性がある。あくまでも少量を使う程度に留めてくれ」


「ならいただくわ。完璧よ。臭いが誤魔化せるなら、後は何だって良いんだものウフフフ」


 不吉全開。女は意味深な言葉を残して立ち去ろうとする。何か犯罪の片棒を担がされた気になり、でまかせの言葉を背中に投げつけた。


「言い忘れたけど、その油は中和や解毒作用が強いからな」


 女は足を止めると、上半身だけで振り返った。コシのある髪が乱れる様子から、野生の蛇なんかを思い出す。


「そんな大事な説明は先にしなさいよ。無駄骨になる所だったじゃない」


「悪かったよ、返金は?」


「するに決まってんでしょ。早く返しなさいよ」


 女は荒々しい手付きで品を手渡すと、金をふんだくる勢いで取り戻し、雑踏の中へと消えた。


「何だったんでしょうね、今の人。マジ怖ぇ」


「深く考えるのはよそう。それよりも仕事だ」


 気持ちを切り替えて再開はしたものの、売れ行きはサッパリだった。この品は庶民にとっては無用の贅沢品だし、貴族連中は取引のない相手を信用しない。つまりは顧客がいないのだ。よほどの事情でも無い限り、興味を示す事もあるまい。


「思ったより売れんな。人通りも寂しくなってきたし、そろそろ潮時じゃないか」


「待ってください、あそこに泣いてる子が!」


 アイシャの指差す先には朽ちかけた民家があった。入り口付近では、1人の少年が両手に草花を抱えながらうずくまっていた。顧客とするには幼すぎるが、放って置けない気持ちも分かる。


「どうかしたんですか?」


 膝を折ったアイシャの顔と、濡れそぼった顔が向き合った。少年は物怖じしたようだが、アイシャの笑みにほだされたのか、事情を説明し始めた。


「僕のお母さんは病気なんだ。ここ最近は調子が良くないから、お花でも詰んでこようと思って」


「そうですか。優しい子なんですね」


「でも、ここら辺の花は匂いがしなくて。外を探しに行きたいんだけど、門から出してもらえなかった」


「だったら良い物がありますよ」


「えっ?」


 アイシャが品物を取り出した。悪くない提案だと思う。


「この油をお花に塗ってください。とても良い香りがしますよ」


「本当だ! でも、僕にはお金が……」


「気にしないで。どうせ売れ残りですし、捨てようと思ってたヤツですから」


 仮にも師匠の発明に何たる言い草。人前じゃなけりゃ叱責案件だぞ。


 一方で少年は花の香りを確かめると、家のドアを開けては手招きした。乗りかかった船だ。オレ達も続いてお邪魔する事に。


 室内は日当たりが悪く、夕暮れ時にしても暗すぎる。壁や家具などは黒ずみが激しく、床も足の動きに合わせて嫌な音が鳴る。アイシャがうっかり踏み抜いたりしないか心配だ。


「母さん見てよ、お花を摘んできたんだ」


 少年はベッドの傍まで駆け寄ると、両手一杯の草花を手渡した。母親の方はというと、身を起こさないままで贈り物を受け取った。


「まぁ、ステキな香り。こんなお花をどこで……」


「ええと、うんと、親切なお姉ちゃん達に教えてもらったんだ!」


「そうだったの。じゃあお礼をしないとね、何か、お礼を……」


「母さん?」


「どいてくれ。ちょっと診せてもらうぞ」


 不吉なものを感じて駆け寄った。脈拍に呼吸音、額に手を当ててみて杞憂(きゆう)だと分かる。


「安心しろ。眠っただけだ」


「良かったぁ……」


「医者に診せたりはしないのか?」 


「無理だよ。僕は酒場で掃除の仕事をしてるんだけど、お金なんて少ししか貰えなくて」


「そうなのか。足元を見られてるのかもな」


「だから朝晩に黒パンとチーズを食べたら、それでお終いなんだ。お金なんて全然残らないもん」


 ここでアイシャの視線が突き刺さる。この貧乏を絵に描いたような少年の方が、オレ達よりも良い暮らしだと言いたげだ。


「ともかく、一度でいいから診て貰うべきだ。だが金の工面は難しそうだな」


「僕らには頼れる人も居ないから」


「よし、待ってろ。一筆書いてやる」


 胸から羊皮紙の紙片を取り出すと、手早く書きなぐった。


――この少年の母親を治療しろ。さもなくばお前の歯という歯を全てへし折り、噛みしめる喜びを奪い去ってやる。


 それを4つに折りたたみ、魔術で印を施した後、少年に手渡してあげた。


「これを中央通りにあるゴーガン診療所に持っていくと良い。タダで治してもらえるはずだ。それでもダメな時は、丘の上のイアクシルまで連絡をくれ」


「本当に良いの? ありがとう。色々助けて貰っちゃって!」


「構うもんか。良いか少年、人は貧しくとも豊かに暮らすことは出来るんだ。貧乏なんかに負けるんじゃないぞ」


「うん! 僕、がんばるよ!」


 ここでも再びアイシャの視線が突き刺さった。お前はこの少年にすら負けてるけどな、とでも言いたいのだろう。その無言の攻撃は、少年のまばゆい笑顔を眺める事で中和させた。


 それから数日後、我が家に手紙が届いた。差出人は例の少年で、母親は無事治療を受けられたらしい。経過は順調そのもの、今は家事や炊事もこなせるようになったのだとか。拙い文面ではあるものの、はちきれん程の喜びが溢れる様だった。


 そして手紙はもう一通ある。差出人はあのゴーガンで、何が書いてあるものかと開けてみれば、真っ赤な文字で一言だけ書かれていた。


――生涯許すまじ。


 こんな物をワザワザ送りつけるあたり、暇を持て余しているのか。オレとしては先日の騒動と相殺したつもりだが、ヤツは違う勘定をしたらしい。こっちにはまともに付き合う気になれず、少年の方にだけ返事を出すことにした。


 負けるんじゃないぞ、毎日楽しそうに笑えと、力強い字で。

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