第8話 顔見知りとの衝突

 どんよりとした雲の重たい昼下がり。どこかで一雨来そうな陽気だが、王都を散策する人々は気にしている風ではない。中央通りはいつもと変わらぬ賑わいを見せていた。


「いやぁ、いつ見ても凄いなぁ」


 アイシャが爪先立ちになりながら呟いた。


「遊びに来たんじゃないからな。早く仕事に取り掛かるぞ」


「分かってますって」


 オレ達が性懲りもなく都に来たのは、行商の為だ。


 ギルドや雑貨屋に卸そうとしても売れないのなら、道行く人々に売りつければ良い。出店する金が無くても、立ち話の流れで商売は出来ると、アイシャにそう助言されたのだ。


 悪くない案だと思う。例えば怪我のせいで移動が困難な人、遠出を嫌う老人なんかは、丘の上の診療所まで通いたがらないだろう。こうしてオレ達が出向いたのなら、意外と売れるかもしれない。


 などと言う考えは、実に稚拙だったと痛感させられた。


「半日かけて売れたのは胃薬が2本。しめて60ディナってところか」


 道ですれ違う人、特に顔色の優れない人に声をかけたのだが、結果はこんなものだった。


「うぇぇ。全然でしたね……」


「もしかして、だなんて期待して色々な薬を持って来たんだが、完全に空振りだ。見知らぬ他人からわざわざ薬を買う奴の方が珍しいんだろうな」


「ただの大荷物になっちゃいましたね」


「まぁ、一応の収穫はあったよ。思ったよりも魔術式治療法が浸透してるって学べたし」


 分かっていたことだがアチラは大盛況だ。どの診療所も院内は混雑し、場合によっては外に長蛇の列まで出来ている。顔ぶれも手傷を負った冒険者たち、顔色の優れない王都民に旅行者など、幅広く好評らしい。やはり魔術治療は時代の主流なのだと認めるしかなかった。


「はぁ……。お肉ライフはお預けかぁ」


 お互い疲労が溜まってきた頃だ。ここは一旦引き返すべきだろう。そう思っていた矢先、聞き覚えのある声に呼び止められた。


「おい。お前はイアクシルじゃねぇか?」


 最悪だ。一番面倒で厄介な知り合いと出会してしまったらしい。振り向けば、性質の悪そうな男女が5人。ほとんど見知らぬ顔だが、正面の男だけは馴染みがあった。


「そう言うお前はノイズマンか。学院以来だな」


「こんな所で何してんだよ。世紀の大天才だ傑物だとか謳われたお前が、まさか油売るほど暇してるってのか?」


「売ってるのは油じゃありません、薬です!」


 黙ってりゃいいのにアイシャが口を挟む。こういう連中は適当にあしらうべきなのに、真っ向から口撃するだなんて悪手そのものだ。


「薬を売ってる……? アッハッハ、マジで言ってんのかよ! どうかしてるぜ!」


 ノイズマンが笑い飛ばすと、取り巻き連中も口を揃えた。


「誰も買わねぇってそんなもん。罰ゲームか何かかよ」


「リーダーの言う通りだぜ。1ディナにもならない物を売り歩くとか、物乞いと変わらんぞ!」


 あっさり同調した取り巻きどもの顔を覚えておく。たとえ名前までは知らずとも、顔と背格好だけはキッチリと記憶しておいた。


「コイツはよぉ、学院時代からこうなんだ。母親の意思を継ぐだかなんだかホザいてよ、薬師になんか始めやがった」


「うわ悲惨。上手くいくわけないのに」


「人生棒に振ってんじゃん、マジでバカなんじゃねぇの」


「そこをいくオレ様は大出世よ。早くもBクラスの冒険者に認定されたんだからな!」


 ノイズマンのセリフを切っ掛けに、連中は胸元から金属板を取り出した。特殊加工が施されたギルドの会員証で、確かに目立つ場所にはBの文字が見えた。


 だが興味はない。そして、こいつらの無駄話(コント)に付き合う義理もない。その場から無言のまま立ち去ろうとしたのだが。


「おい、折角だから何か寄越せ。出世祝いによ」


「やめろ、勝手に漁るな!」


 ノイズマンはオレのリュックから1瓶を盗み取ると、それをシゲシゲと眺めはじめた。透明の瓶には薄桃色の液体で満たされている。


「なんだコリャ。見ねぇ代物だな」


「そいつは塗り薬だ。良いから返せ、それか代金を支払え」


「ハハッ。知るかよバァカ! ゴミカスのクソ雑魚野郎!」


 ノイズマンは高笑いを放つと、薬を両腕に塗りたくった。見せつけるように、敵愾心(てきがいしん)を煽る素振りで。


「オレ様のような有名人に使って貰えたんだ。テメェの商売にも箔がつくってもんだろ」


「なんてヤツだ、酷すぎるぞお前!」


「堪んねぇよな。クソ野郎の喚き声ってのはよ」


「チクショウ! お前ら全員呪われちまえ!」


 オレはその場から逃げ出した。すぐに笑い声が起こり、狭い路地まで響き渡った。


 しばらく駆け足でいると、背後から迫るアイシャの声が聞こえ、ほどなくして立ち止まった。


「師匠、いくらなんでも情けないです! あんな事までされて泣き寝入りだなんて!」


 アイシャは頬を紅潮させて叫んだ。事情を知らなければ、こんなもんだろう。


「勘違いすんな、さっきのは芝居だよ」


「どういう事ですか」


「あんな風に逃げ去れば、連中はもっと調子に乗る。あの薬も残さず使ってくれるだろうよ」


「えっ? それが何か?」


 まだ腑に落ちないのか、しきりに首を傾げている。


「あれは単なる塗り薬じゃない。7種のハーブに、オオモヨモギとコモヨモギを加えて精製したもので……」


「いや、モヨモヨ言ってないで、要点を教えて下さいよ」


 憤慨したアイシャが吠える。弟子を自称するならもっと薬品に興味を持てと思いつつ、端的に説明してやった。


「しゅーまこー?」


「一般的には訓練生が使うものだ。臭いに吸い寄せられた魔獣がウジャウジャと押し寄せるようになる」


「えぇ! それは……ヤバい事になるのでは?」


「オレはやめろと言った、それで不都合が起きても自己責任だ。もっとも、この辺に現れる魔獣は脅威じゃないがな」


 そこまで言うと、アイシャはにこやかな笑顔を浮かべた。今日一番に輝かしいものが。


「そんな魂胆だったんですね。ちなみに、この後は帰宅するんですか?」


「いや、もう少し残ろう。事の顛末(てんまつ)が気になる」


「だったら行商を続けます?」


「それが良いだろう」


 引き続きオレ達は都に滞在した。やっぱり売れない、足疲れた喉乾いたと何度かボヤいた頃に、待望のそれは起きた。時間は夕暮れ時、空の暗雲が赤黒く染まった頃、奴らはやって来たのだ。


「やっと見つけたぞイアクシル!」


 殺気みなぎる一団がオレ達に挟み撃ちを仕掛けてきた。もちろんノイズマン達だ。相手はやる気らしく、街中であるのに武器を抜き払っている。


 確かにここは衛兵詰め所からは遠いし、通行人もまばら。襲いかかるなら絶好のロケーションだった。


「随分とご立腹だな。薬が効きすぎたのか?」


「よくも騙しやがって……あんなヤベェもんだなんて一言も言わなかったじゃねぇか!」


「肌に使う塗り薬。別に嘘はついてない」


「へりくつ抜かすんじゃねぇ! おかげで死にかけたんだぞ!」


「死にかけた?」


 その言葉はさすがに想定外だった。発展の目覚ましい王都周辺では、もはや強力な魔物なんか見かける事はない。駆け出しのDクラスならいざ知らず、一般的なレベルであれば脅威なんかないはずだ。


 そこまで思い至ると、1つの推論が浮かび上がってくる。


「ノイズマン。まさかとは思うが、Bクラスの肩書を金で買ったりしてないよな?」


「何だとテメェ!」


「大群とはいえ、トゲネズミがせいぜいだろ。そんなのCでも余裕で凌げる……」


「ゴチャゴチャうるせぇんだよ、ブッ殺してやる!」


 逆上した連中が一斉に攻めかかってきた。アイシャはオレと背中合わせになると、愉快そうな声で叫んだ。


「師匠、こっちはアタシがやります!」


「任せて平気なのか?」


「こんな連中、余裕で倒せますよ!」


 あまり噛み合ってない。やりすぎるなと言いたかったんだが、まぁ良いか。


 向かい合うのはノイズマンと、お仲間の2人。抜き放たれた白刃が通りの松明に照らされ真っ赤に輝く。見栄えは立派、果たして中身が伴っているかどうか。


 構えられた剣を拳で打ってみると、たった一撃で粉砕出来てしまった。3人は半壊した武器を驚愕して眺めた。


「つ、剣が!?」


「クソ脆いな。お前らさ、仕事道具ぐらいこだわれよ」


 その時、背後で重たい音が立て続けに2つ鳴る。アイシャも対処が終わったみたいだ。


「さてと。まだ続けるつもりか?」


「チクショウ! いつか必ず仕返ししてやるからな!」


 捨て台詞と共にノイズマン達が逃げていく。遠ざかる足音は3人分だけで、少し足りない。おやと思って振り向くと、やっぱり想定通りの光景が広がっていた。


「楽勝でしたよ師匠。ビックリするくらい弱っちいです」


 アイシャの足元で、男が2人うずくまっていた。うめき声を上げるあたり、命はまだあるらしい。


「怪我させたのか。コイツらどうすんだよ」


「どうって、放っておけば良いじゃないですか」


「まぁ、そうなんだけどさ……」


 ふと足元を見ると、例のBランク会員証が目に止まった。そしてひとつの閃きがよぎる。


「どうしたんです? 今すっごいステキな顔してますけど」


「怪我人を放置するのは薬師として問題がある。魔術式診療所に連れてってやろう」


「えっ。本気ですか?」


「後遺症が残ると良くない。ジックリ治す為にも上等な部屋に入院させるべきだな。たとえばそう、ロイヤル・スイートハートルームなんか」


「それ、バカ高いやつじゃないですか! どうしてアタシらがそんな金を……」


「おいおい。支払うのはオレ達じゃないぞ」


 ギルド会員証にはリーダーの欄に「ノイズマン」とはっきり刻まれている。これはヤツがギルドから特別手当を受け取る代わりに、連帯保証人としての責務を負うと証明するものだ。


「全部コイツのツケだよ」


「最高じゃないですか、すぐに手配しましょう」


 それからオレ達は最寄りの診療所に向かった。ビビるくらい高額になってしまったが、痛むのはオレの財布じゃない。


 そうして全てを終えた頃には、心が晴れやかなものになっていた。やはり良いことをした後は気持ちが良いもんだ。


「ヤバい額面でしたね。貴族出身のアタシでもちょいと引きました」


「大丈夫だろ。Bクラスの仕事を請負えば、ものの数年で完済できるさ」


「そうですよね、きっと!」


 振り向けば空が赤黒い。暗雲の裂け目から本日最後の陽が煌めくとい、思わず見惚れる程に美しき光景だ。


 願わくば、ノイズマンも復讐心など捨ててしまい、自分の仕事に専念して欲しいと思う。この雄大に広がる絶景と、まだ見ぬ借金を背負いながら。

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