第6話 厄日
診察室には1人の老婆が腰を据えている。彼女はネタネさん。常連の患者さんで、渡すべき薬の決まった相手だった。
「経過は順調ですね。薬も変えない方が良いでしょう。気になる副作用は出ていませんよね?」
「お陰様で。ほんに良い薬出してもらえましてねぇ。先生はお若いのに確かな腕前だよぉ」
「まだまだ若造です」
「持病の腰痛もめっきり良くなりましただよ。今朝も日が昇る前から野良仕事をやってきましてね……」
「あまりムリをしないでください」
ここから大抵は世間話が始まるのだが、いつも長い。この一見ムダとも思える時間は、治療のヒントが見つかる事もあるので、最後まで聞くようにしている。
人が変われば治療も変わる、とは母の言葉だ。その教えを疎かにした時は、大抵なにかしらの問題に襲われたものだった。
「あらやだ。オラったらつい話し込んじゃって。先生もお忙しいのにスミマセンねぇ」
「お気になさらず。これも治療のために大事な事です」
「ほんに良く出来た方だぁ。それに引き換え、魔法屋連中の酷いこと酷いこと。雑草みてぇにポコポコ店を出したかと思えば、ロクに働けねぇときたもんだ」
「それは魔術式診療所の話ですか?」
そこからの話も長かったものの、これも違う意味で興味深いものだった。彼女は一度だけ診察を受けた事があったそうで、その時の扱いに憤慨しているようだった。
診療所の入り口をくぐるなり、事前に症状を紙に書き出す事を要求された。それを受付に手渡すと、たいした問診も無しにいきなり治療が始められたらしい。しかも患者を一列に並べての流れ作業だ。もちろん、今のように雑談するゆとりすら与えられなかったとか。
「家畜の方がまだ丁重に扱われるってもんですよ。しかも次の日には痛みがぶり返すしで、アイツらとんでもねぇヤブ医者どもだわ」
「あまり知られていませんが、魔法による治療は生命力に依存するのです。その為高齢者には効果や身体への負担を考慮して、薬による養生をオススメしています」
「さよかぁ。そいつは知らなんだ」
「ただし薬は副作用というデメリットがあり、即効性にも欠けます。体質や症状を見極め、時間をかけさえすれば、いずれは健やかな暮らしを取り戻せますよ」
「あぁ、先生はオラみてぇなバッバには勿体ねぇな。お代の100ディナぽっちじゃ感謝を表しきれねぇです」
「正当な料金ですよ」
「そうだ。オラの孫娘さ紹介しますけ? 乳も尻もでけぇ身体に育ってよう。きっと気に入って貰える……」
また別の話題が始まるかと思ったが、乱入したアイシャが止めた。
「すいませぇん。次の患者さんがお待ちしてるんで、そろそろ良いですか?」
「あらやだ。オラったらつい……」
「ではネタネさん。薬は5日分お渡ししておきます。代金はアイシャにお支払いください」
「んだな、そんじゃあ失礼しますだ」
「お大事にどうぞ」
アイシャの言う次の患者とは方便だろう。退室する2人を見送りながら、そう思っていたのだが、入れ替わりで若い男が入ってきた。
「お前は……」
「やぁイアクシル。お邪魔するよ」
現れた男は忘れもしない、アルケイオスだ。前回同様に柔和な笑みを浮かべているが、向かい合うと肌にヒリつくものを感じた。やはり油断のならない男だ。
「オレは薬師で、ここは薬を出す所だ。それを理解しているのか?」
「もちろんさ。冷やかしなんかじゃないよ」
「なら聞こう。どんな症状だ」
「ここ最近は夜アソビが続いててね。何ていうか、頭がシャキッとするものを出しておくれよ」
呆れよりも怒りが先にきた。薬学を馬鹿にされたような気すら覚える。
「だったら早く寝ろ。飯もしっかり食え。それだけで改善出来るぞお大事に」
「ぞんざいだなぁ。悩める人々を救うのが君の仕事じゃないか」
「ワガママに付き合う気が無いだけだ。いっその事、気付け薬と偽って睡眠薬をくれてやろうか。半日は目覚めない強力なヤツをな」
「患者を騙すってのかい? そんな真似をすれば評判が地に落ちるだろうねぇ」
殴りたい。時々正論を吐き出すその口に、熱い拳を叩きつけたい。その衝動に堪えた自分を誰かに褒めて欲しいもんだ。
「ともかくだ。薬は堪えがたき病魔と戦う為に使っている。お前には必要無い。理解したなら出て行け」
「分かったよ。じゃあ夜の女性を愉しませたいから、精力が高まるものを……」
「アイシャ。患者さんがお帰りだ、つまみ出してくれ」
そう告げるなり、アイシャはすぐに入室して執行しようとした。しかしアルケイオスは追い出されるどころか、依然として居座り続けた。アイシャの馬鹿力をものともせず、涼し気な顔のままで。
「誤解しないで欲しいんだけど、僕は夜アソビに溺れてしまった哀れな好青年じゃないよ」
「何が違うってんだ。それから自分で好青年とかホザくな」
「僕はね、色々な人から学びたくて出歩いてるんだ。薬師の君もそうだけど、他にも大工に石工、仕立て屋や鍛冶屋に酒場の売り子。文豪とか魔術師の所にも顔を出してるかな」
「そんだけ歩き回って何を求めてやがる」
「ほんのちょっとの交わりでも、もの凄く勉強になるからね。生の声っていうのかな。書物と向き合うより、ずっと大切なものを学べる気がしてね」
「だから必然的に夜ふかしになると」
「その通り。ライフワークのしわ寄せってやつさ」
今の言葉に嘘は無いようだ。真っ直ぐな瞳に混じり気は見つけられなかった。少なくともアイシャなどは、感心したような声をあげている。
「だったら女遊びを控えろ。それだけで寝る時間を確保できる」
「それも無理な相談だね。多くの女性と触れ合うことも勉強なんだ」
「やっぱり自堕落なだけじゃねぇか」
「違う違う。真実の愛を見つけるには、不特定多数の人と交わる必要があるんだよ」
ここでアイシャが眼を見開いて叫ぶ。
「えっ! そうなんですか師匠!?」
「何でオレに聞くんだよ」
その問いかけはお門違いも良い所だ。質問なら、この偏った持論を並べる男に聞けば良い。
「身体の相性にしろ心の距離感にしろ、ある程度熟知していないと良し悪しが分からないじゃないか。だから、なるべく違う相手と肌を重ねる必要があるのさ」
「そうなんですかッ!?」
「だからオレに聞くな!」
「君たちも、あれこれ悩む前にくっついてみたら? 頭で考えるより、身体が見出す答えもあるものだよ」
「余計なお世話だ帰れ」
コイツの相手を続けるのは面倒すぎる。オレは卓上でクエンサワーの薬剤を水に溶かし、一口分の水溶液を作った。それをすかさずアルケイオスに手渡した。
「これは何かな?」
「眠気覚ましだ。一気に飲め」
「普通の水に見えるけど、逆に効きそうだなぁ」
アルケイオスは躊躇を見せながらも、一息で煽った。木のコップが机の上で、カツンと音を立てた。
「ありがとう、バッチリ効いたみたいだ」
「そりゃ何より」
「お代はいくらかな?」
「ロクな事してない、20でいい。ついでに迷惑料も付けて貰いたいもんだ」
「アハハッ。そっちについては後日まとめて払うよ。とりあえず今日は言われた分を置いておくね」
アルケイオスは卓上に銅貨を2枚並べるなり、颯爽と去っていった。アイシャもお見送りにと、その後を追いかけた。
「あぁ……妙に疲れた」
2人分の診察とは思えない疲労感がある。特にアルケイオス。アイツの相手だけは勘弁して欲しい。次からは出禁にしてやろうかと思わなくもない。
「その辺は後でゆっくり考えるか。次は製剤の作業を……」
応接室を出ようとした、まさにその時だ。廊下に1人佇む女が居る。両目を真っ赤に光らせたアイシャだ。
オレはすぐさま応接室に戻り、扉を施錠した。だが2度、3度と打ち込まれた拳打によって、扉は完全に粉砕されてしまった。
「真実の愛ィィ」
アイシャはアルケイオスに何か吹き込まれでもしたのか、相当なまでに仕上がっていた。見送りの時間だけでどんな会話が交わされたというのか。
「師匠ォォ。アタシと永遠ノ愛をォ、育みマショうゥゥ!」
まずい。もはや話の通じる状態ではなかった。
「今日は厄日かよ、この野郎!」
アイシャが力強く踏み込んだ。凄まじい脚力が生み出すスピードは、もはや人間の視力では認識できないほどだ。
だがオレはアイシャのつま先と、視線の向きから跳躍位置を予測。跳んだ瞬間に目測を補正。それだけで正確に動きを掴む事が出来た。
後はいかにして宥めるかだが、手元にはおあつらえ向きな薬があった。
「眠れやオラァ!」
「へぷっ!」
はせ違う瞬間、アイシャの口に睡眠薬をイン。効果はテキメンだった。辺りに舞う粉が床に落ちる頃には、暴れ牛のような女がその場で膝を折って倒れた。すかさず高イビキも聞こえるようになる。
「アルケイオス。マジで出禁だ。立入禁止だ
からなクソッタレが」
叶うことなら二度と会いたくはない。診察代は惜しいが、平穏は何よりも勝る。少なくとも20ディナ程度で売り飛ばせるものではないのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます