第5話 出店大作戦

 アイシャが雑巾片手に廊下で突っ伏していた。腹が減るあまり動けないらしい。どうりで午前の作業に集中できた訳だ。


「昨日あんだけ食ったろ。あと2日は絶食しても平気なんじゃないか?」


「なんて事を! 人は食い溜めのできない生物なんですよぉ」


「ふぅん。オレは平気だけど」


「骨の髄まで貧乏に慣れてますね」


 無理だというなら仕方ない。食卓まで連行して、食事の用意をしてやった。


「あの、これは……」


 アイシャがかつてない顔を見せた。さすがに水を置いただけじゃ、当然の反応か。


「慌てんな。これからやるんだよ」


「ほぇ?」


 向かい合うコップに、出来立ての丸薬を放り込んだ。すると甲高い音とともに無数の気泡が生まれ、水面を目指して昇り始めた。


「えっ! 一瞬で沸騰した!?」


「違う違う。冷水のままだ」


「泡立ってるのに冷たいんですか?」


「ともかく飲んでみろ。ビックリするぞ」


 例によってオレから飲む。仕上がりはイメージ通りだ。体内を突き抜けるような爽快感がある。花の蜜を混ぜ込んだおかげで、少し甘めの味わいだ。試作にしては上々だと思った。


 アイシャも安心したのか、コップに口を付けた。フゥフゥと息を吹きかける辺り、話半分にしか信用していないらしい。そして長い時間をかけて一口飲むと、途端に騒がしくなった。


「何コレ! シュワッとしたんですが?」


「ふふ。これは新薬の魔泡玉だ」


「えぇーー。この不思議な感覚、病みつきになりそうです」


「そうだろう、そうだろう」


「ほんのり甘いのも素晴らしいです。グイグイ飲めますから」


「胃袋が膨らむから、空腹も紛れたよな」


「えっ……?」


「じゃあ今日の昼飯はこれくらいで」


「ちょっとぉ! 今のでお終いですか!?」


 やっぱりアイシャが飛びついてきた。オレの背中で顔を拭くようにして、頭を左右に振り続ける。


「あのな、オレだって金があれば腹いっぱい食いたいよ。でも昨晩、無計画に食いまくったのは誰だ?」


「うぐっ。あの時はつい、ワァッとなって……」


「それにトイレも壊したろ。金が無いのに修繕費を捻出しなきゃならないんだぞ?」


「えっと。あの時はつい、オラァッてなって……」


「だから当分は切り詰めるぞ。これまでの暮らしが裕福と思える程にな」


 この時、アイシャが真顔になった。彫像のような生気の無い表情に。


 かと思えば、途端にテーブルを叩いて、満面の笑みまで浮かべやがる。感情の揺れが激しいやつだ。


「師匠、今とんでもない名案が浮かびました! これを売って稼げば良いんですよ!」


「薬なんか売れないぞ。それはもう身をもって確かめただろ」


「いえいえ。このシュワシュワな水を売るんです! 王都民は新しいもの好きですから、すぐに食いつくと思いますよ!」


「あんまり気が進まないな」


 王都には見知った顔が多い。気の良いヤツも少なくないが、ゴーガンのような連中にやたらと出くわすのだ。だからあまり気乗りはしないし、屋敷に籠もっていたいというのが本音。しかしアイシャは言い出したらきかない所がある。


「やりましょう、行きましょう、今すぐにでも!」


「分かった分かった。じゃあ修繕費は、テーブルの分も追加で」


「あっ……」


 愛用し続けたテーブルは足がポッキリと折れていた。コイツの馬鹿力だけは本当に、どこかで矯正すべきかもしれない。


 やがて、大荷物を背負ってやってきたのは王都。大陸の覇権国家であるセントローデルの都は、いつやって来ても人混みで溢れていた。都民はもちろん流れ者や冒険者、様々な文化圏の人間がひと所に集まる光景は圧巻だ。


 その賑やかな大通りからは外れ、路地裏の更に路地をひたすら進んで行く。到着したのは中央通りから遠くかけ離れた、閑散とした場所だった。


「ここでやるんです?」


 アイシャは渾身の不満顔だ。


「出店料を払えないからな。タダで商売できるとしたら、こんな場所くらいだ」


 店と言っても敷布を敷いただけの貧相なもの。人の往来も閑散。物を売るスタイルとは思えない。


 しかし仮に大通りで店を構えようものなら、場所代だけでも1日1万ディナだ。更に露店を組むにも金が掛かる。よほど手堅い自信が無ければやるべきではない。そもそも支払えるだけの金も無いが。


「こんなとこでも、やらないよりはマシ。とっとと始めましょう!」


「どうぞお好きに」


「さぁさぁどーぞいらっしゃい、アナタは世紀の大発明を試したかな? まだだと言うならそりゃマズイ、流行の最先端に乗り遅れて恥かくよ! それが嫌なら1杯飲んできな。普段は50ディナのところ、なんと30でのご奉仕でい!」


 随分と滑らかに口が開くもんだと感心した。事前にウリ文句を用意していたのだろう。思えば道中は妙に口数が少なかった。


 しかし人通りは少ない。辺りには打ち捨てられた公園や公民館、他には廃屋があるくらいで、そこにアイシャの声だけが響くという有様。たまに誰かが通りがかっても、辺鄙(へんぴ)な場所で未知なる代物なんか買うはずもなく、怪訝な表情を残して立ち去っていくばかりだ。


 まぁ予想通りの展開だ。負けじと声を張るアイシャには悪いが、今回も空振りだろう。そんな事を考えていたのだが。


「へぇ、面白いものを売ってるね」


 ふと若い男が話しかけてきた。蒼い長髪の優男。初対面なのに、なぜか心がざわついた。胸元の緩いローブに半丈ズボンという質素な服装から、一般人だとは思うが、漂わせる気配に隙が見当たらない。自然と腹の奥が引き締まっていく。


 まぁ、アイシャは全く別の感想を抱いたらしい。攻勢に拍車がかかった。


「どうですお兄さん。30ディナで世界初の体験ができますよ! これで今日の話題はバッチリです!」


「アッハッハ。まさかとは思うけど、ご禁制のおクスリかい?」


「違いますよ。嗜好品です、しこーひん!」


「うんうん、そうなんだ。この界隈で売るには高価すぎるけど、ひとつ試しに貰おうかな」


「まいどありぃ!」


 男はコップを手に取り、一口飲むなり微笑んだ。心から笑っているのかは分からない。


「こりゃ凄いね。君らが作ったのかい?」


「えへへ。これぞ天才薬師イアクシルが作った、世紀の大発明なんですよ!」


「へぇ。噂には聞いてたけど、若い女性とは思わなかったな」


「イアクシルはオレだ。そっちはツレ」


 一歩前に進む。男と眼が合った。視線を逸したくなる気持ちには、ひとまず堪えた。


「あぁ、君の方なのか。僕はアルケイオスって言う暇人でね。普段からそこらを歩き回ってるよ」


 飲み終わったコップとともに代金を受け取った。ただ手渡されただけで、何か起きたりはしない。


「そうかい。それで?」


「またちょくちょく遊びに来るから。僕の顔を覚えておいてよ」


「気が向いたらな」


 この雑な返しでも満足がいったのか、アルケイオスは片手をヒラヒラと振りながら通りの向こうに消えた。腹に響く緊張感も途端に和らいでいく。


「気持ちの良い青年でしたね」


「まぁ、そうだな」


 とりあえず言葉を濁しておいた。アイシャは今でさえも、見た目通りの印象を受けたらしい。


 それからは何をするでもなく、アルケイオスの消えた方を眺めていた。するとそちらから、初老の男が現れたかと思うと、おもむろに歩み寄ってきた。


「ここかね。アルさんの言ってた、珍しい店とは」


「えっと、多分そうだと思いますよ!」


「そうかい。じゃあ1杯貰おうか」


 この老人を皮切りに、次々と客が押し寄せてきた。主婦らしき一団や学院帰りの学生。とりわけ女性が多い気がする。人が増えるにつれ「アル様の紹介よ」だなんて、甲高い声も聞かれるようになった。


 だが今は観察なんかより目の前の作業だ。あまりの忙しさから2人では中々さばけない。アイシャには会計と品渡しを任せ、オレは回収したコップをひたすら井戸で洗った。もう少し器を用意すべきだったと悔やまれる。


 どれだけ洗い続けたろう。気がつけばアイシャが「完売宣言」をだしており、客も全てが引いた後だった。


「凄い売れ行きですよ。なんと3千ディナも稼いじゃいました!」


「そうか。月収分の金がたった1日で」


「やりましたね師匠! 明日からもガッポリ稼ぎましょう!」


「いやいや。それは原料の都合が……」


「ほんじゃ大勝利を祝ってパーッといきますか!」


「聞いちゃいねぇなこの野郎」


 ただ、浮かれてしまう気持ちは分かる。細かい説明なんか後回しでも良いだろう。


 荷物をまとめ、再び中央通りに戻って来た。アイシャは右に左にと忙しく顔を振る。やはり財布が膨らんでいると、視界も違うものを映し出すらしい。


 やがて通りの端まで歩き、曲がり角を歩んだ時の事だ。前を行く浮ついた足がビタリと固まった。


「あらあら。奇遇ですわねアイシャさん」


「げぇっ。カテリーナ!?」


 アイシャの知り合いらしき女は、2人の従者連れだった。装飾品は金銀の主張が激しく、上下も総シルク。手にする扇子なんかコカトライスの羽があしらわれていて、かなりの上物だと分かる。


 かなり高位の女なんだろう。それでも、先程のアルケイオスと比べたら与(くみ)し易そうな人物に見えた。


「どこぞの下働きがうろついてるかと思えば、まさか貴女だとはね。ガイウス閣下がお知りになったらどうなる事やら」


「アタシ……ワタクシは薬学の勉強中なんです。史上最高の超絶天才と謳われしイアクシル様のもとで!」


 そこで背中を押されてしまったので、とりあえず会釈をしておいた。


「それは大志ですわね。さぞや過酷なものでしょう。貧困にもがき苦しみながら道を極めるのは」


「違います! 金ならメッチャクチャ余らして困ってるくらいなんです!」


「見栄を張らなくても宜しくてよ。貧しさは罪、ではないのですから」


「師匠の天才的発明で潤いすぎてマジやばいんですから! 今も、あそこのテーブルを買おうとか相談してたくらい!」 


 アイシャが指差したのは家具屋だった。そこには、いかにもデザイン重視で扱いづらそうな、実用性の薄い品ばかりが並んでいた。そして店先には「大感謝価格! 今なら2980ディナ!」と描かれた看板も置かれている。


 この瞬間、オレは今日という1日の結末を悟った。


「もっと身の丈にあった品を探しなさいな。庶民向けに、500ディナ程度の家具もあると聞きますよ」


「うるっせぇです! 即決で買ってくるから見てやがれ馬鹿野郎ですよ!」


 絶叫しながら駆け去るアイシャ。カテリーナはその背中から視線を外すと、今度はオレを見て微笑んだ。


「貴方も苦労なさるわね」


「もしかして、わざと煽ったのか?」


「そうね。あの娘はいつも全力でしょう。だからつい、からかいたくなってしまうの」


「次からは程々にしてやってくれ」


「ええ。善処しますわ。ではご機嫌よう」


 そう言うなり彼女は従者ともども立ち去っていった。大きなテーブルを背負ったアイシャの帰還を待たずに。


「あれ、カス女は?」


「買い物してる間に帰ったぞ」


 アイシャが横を向いて舌打ちした。浮かべた表情は邪悪で、初めて見るものの様に思う。


「そうだ師匠。お代ですけど、今日の売上を全部使っちゃいました」


「またか。有り金を使い切るクセは改めろ」


「でもでも、また明日から頑張れば良いじゃないですか。もっともっと薬を用意して、目指せ100万ディナ……」


「いや、だから今年はもう打ち止めだって。薬の在庫はほとんど無いし、来年まで原料の収穫も出来ないぞ」


「えっ?」


「しかも育成の難しい品種だ。量産するとか不可能だぞ」


「それ初耳ですけど!? 酷い、乙女の純真を踏みにじるだなんて!」


「お前が聞こうとしなかったんだ!」


 それからは口論もそこそこに帰宅した。大きなテーブルを担ぎながら。


 やはり金とは、勢いで稼ぐべきではないのだろう。堅実に、着実に、地に足つけて得るものなのかもしれない。両手の痺れと共に、そんな想いを抱くのだった。


 ちなみに稼いだ金は右から左へ流れてしまったので、しばらくの間ガッツリと倹約した。


 

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