第4話 勝利と晩餐

 今日は朝から製剤作業。数少ない患者さんの薬をそろそろ切らしてしまうからだ。


「ネタネさんは腰痛、ニンジェさんは頭痛だったな」


 工程に難しいものは無いが、だからと言って手は抜かない。常に全精力を注ぐのがプロというもの。だから静かな環境を必要のするのだが。


「師匠すんません! トイレの床をブチ抜いちゃいました!」


 しかし我が家の台風が作業を許さない。


「お前……修繕にいくら掛かると思ってんだ」


「はい! 以後気をつけます!」


「トイレはもう良いから。別の所を掃除してくれ」


「承知です、全速前進ッ!」


 昨日は珍しくまともな飯を食えたもんだから、ウザいくらいに元気だ。そしてこんな日は散々な目に遭う事を、経験から知っている。


 液剤の量を測る時には遠くから皿の割れる音が聞こえ、葉を煮詰めようとしたら、ンガァァという絶叫と大量の本が崩れる音がした。思わず「何もせず大人しくしろ」と怒鳴りたくなるが、そんな言いつけが通じる相手ではなかった。


「まったく。困ったヤツだよ……」


 ようやく調合を終え、作業に一区切りがついた頃だ。アイシャを叱りに行こうとしたところ、ドアノッカーが2度鳴らされた。


「もしかして来客か? こんな朝早くに」


 ともかく応対だ。書斎に赴き、床に散らばる本の山を切り崩した。すると中からムカつくくらい爽やかな顔がヒョッコリ現れた。


「プハァ! 助かりました!」


「誰か来たらしい。片付けは後回しにして水を持って来てくれ」


「了解でっす!」


 もしかすると患者かもしれない。失礼の無いよう最低限の身支度を整えると、玄関先で応対した。


「お待たせしました。私は当院の責任者、イアクシルと……」


「やぁやぁ久しぶりですねぇ。世紀の大天才イアクシル君」


 現れた男は見知った顔で、それどころか朝っぱらから拝みたくないヤツだった。


 短く切りそろえた金髪は、なぜか前髪のひと束だけ異様に長く、思わずちょん切ってやりたくなる。ストライプ柄のスーツも袖や裾の先が広がっていて、こっちも切り詰めたくなる。


 生地からして上等な代物だが、見かける度に真新しいものを着用していた。金が有り余って仕方ないとでも言うかのように。


「帰れよゴーワン。今は時間外だぞ」


「そんな堅い事を……せっかくこの私が、多忙すぎるスケジュゥゥルの合間を縫って会いに来たんですよ」


「知るか。呼んだ覚えはない、消えろ」


「まぁまぁ。同窓生の誼(よしみ)で、お茶の一杯も飲ませてくださいよ」


「おい、勝手に入んな!」


 ゴーワンはドアの隙間から滑り込むと、そのまま応接室に押し入った。しかも来客用のソファにどっかり座り込むというオマケ付き。家主に対する敬意や遠慮はカケラも無かった。


「相変わらずしみったれたお屋敷。仕事は繁盛してるんですか?」


「見たら分かんだろ」


「おんやぁ? 全課程を主席で学院を卒業したお方とは思えない現状ですねぇ、ウッフッフ」


 ゴーワンはテーブルの端を指先で触れ、その指先を見つめると、鼻で笑った。そして胸元から、純白のハンカチを見せびらかす様に取り出し、大きな仕草で手を拭った。


「私の魔術式診療所は大変な賑わいですよ。ニワトリがコケェと鳴いて、フクロウがホウホウと歌うまで働いても、全く終わりが見えない程に」


「あっそう。オレには関係ない」


「いつまで薬師を続けるつもりです? 魔法技術の発展著しい昨今では、もはや無用のお役目でしょうに」


「お前も暇なんだな。そんな嫌味を言うためだけにワザワザ来たのか?」


「いえいえご冗談を。目的なら別にありますから」


 その時、応接室のドアが開いた。アイシャがトレイを手にやって来たのだ。


「お待たせしました、お水をどうぞ」


 それを聞くなり、ゴーワンは手を叩いて笑い弾けた。


「何て事でしょう。安茶が出される事は想定してましたが、まさか水だなんてぇ!」


「お客さんってゴーワンさんだったんですね。追い出します?」


「いや、一応は用があるらしい。もう少し様子見だ」


 オレはひとまず、腹を抱えたままのゴーワンからコップを奪い取った。そして胸元から取り出した小瓶の液体を数滴だけ加え、コップを再び突き出した。


「今のは?」


「水じゃ不服なんだろ。茶の味にしてやったんだ」


「まさかとは思いますが、せっかくの薬学知識を小細工の為に活用なされてると?」


「嫌なら飲むな。そもそもお前を歓待する義理なんか無いんだぞ」


「いえいえ、いただきますよ。その涙ぐましい努力を味わおうじゃありませんか」


 ゴーワンは、いささか渋いと呟きつつ、コップの水を飲み干した。次に見た瞳は、さっきよりも見下ろす様な角度になっていた。


「んで、そろそろ言えよ。用件は何だ?」


「お話しましょう。アイシャさんもお見えですしね」


「えっ。アタシですか?」


 ゴーワンは困惑するアイシャに気遣うこと無く、一枚の羊皮紙を取り出した。そして咳払いの後、高らかに読み上げた。


「ガイウス・デキア伯爵がご息女、アイシャ・デキア様を我が診療所にお招きしたく存じます」


「それはつまり、アタシを雇いたいって事ですか?」


「そんなそんな恐れ多い。アナタ様のようなお美しい方がいらっしゃるだけで、極めて華やかになりますので。院内にて微笑みを配るだけで十分でございます。いかがですかな?」


 ゴーワンがちらりとオレを見た。侮蔑と自信に満ちた、思わず殴りたくなる顔だ。


「我が下であれば、何不自由無い暮らしを約束しましょう。下女まがいのような真似は無用ですし、日に2千ディナほど謝礼を……」


「みくびらないでください!」


 アイシャが提案を遮った。その声はどこか震えている気がする。


「アタシは、師匠の才覚に、清貧な人格に惚れ込んで弟子入りしてるんです。雑用もこっちからお願いして任せてもらってるんです!」


「つまりは現状に満足なさっておられると?」


「それも違います! 今はちょっとアレでも、師匠の力が求められる日は必ず来ます。その時、誰よりも傍で支えられる人でありたいんです!」


「果たして来るのでしょうか。今や魔術全盛の時代ですよ。向こう数百年は望めないのでは?」


「ともかく、アタシ達の仲をお金で引裂こうだなんて止めてください。ひとつ屋根の下で培った信頼関係は、そんな安っぽいものではないんです!」


「交渉決裂……ですか。貴女とはね」


「ちょ、ちょっと師匠! 何を見てるんですか!」


 オレがゴーガンの羊皮紙を隅々まで眺めていると、腰に強い衝撃が走った。アイシャが力任せに突撃したらしい。


「どうして突っ返さないんです? アタシは要らないってんですか!?」


「だってお前、普段から肉食いたいって言ってたじゃねぇか。こんだけお小遣い貰えたら毎日高級店に……」


「師匠と一緒が良いに決まってるじゃないですかぁ! 薬師で大勝利して食べたいんですよ!」


 アイシャはそれきり、オレに抱きついたまま号泣してしまった。まるで親とはぐれた迷子みたいだ。オレより背がデカイくせに。


「ゴーガン、見ての通りだ。回れ右して帰れ」


「本当によろしいので? アイシャ様をお預けいただければ、アナタにも同額をお支払いしますよ」


「こんだけ泣いてるヤツを突き出す訳にいかんだろ。それに、金なんか無くとも楽しく暮らせる」


「フンッ、やせ我慢を。俗に言う『酸っぱいブドウ』というヤツですかね」


「うっせぇ。いいから消えろ」


「まったく……。後学の為に教えてあげます。人とは欲の塊です。ゆえに高級な暮らしを求め、夢見ます。そしてその想いが活力となり、成長していくのです」


 羊皮紙を胸元にしまったゴーガンは、おもむろに立ち上がったかと思うと、オレに人差し指を突きつけた。こいつが確信に迫るときのクセだ。


「そこをアナタは、貧乏でも楽しいとは何事か。向上心のカケラも意地すらも無い。そんな言葉をのたまっても恥じぬだなんて、賢人ではない。ただの愚か者ですよ!」


 そう言い切ると満足したのか、荒い鼻息を撒いた後、部屋を出ていった。ドアが閉まった途端にアイシャが激しく地団駄を踏む。


「あぁムカつく、ムカつく! 今すぐ八つ裂きにしてやりたぃァァアア!」


「落ち着け。床が抜ける」


「師匠は腹立たないんですか? あんだけ好き勝手に言われて!」


「オレはまぁ、楽しみがあるからな」


「楽しみ?」


「そろそろか。窓の外だ」


 アイシャと並んで眺めると、その先にはゴーガンの姿があった。腹と尻を交互に押さえ、道を進んでは戻る事を繰り返している。


「見てみろよ。中々に良い踊りだろ」


「えっ、師匠。まさか盛ったんです?」


「オレは飲まなくて良いと言った。それを飲んだのはアイツだ」


「まぁ、そんな流れだった……かな?」


「そもそも、あんだけヒントをくれてやったのに気付けなかったんだぞ。落第レベルの認知力だ。いっそ免許剥奪した方が世の為だろうよ」


 そうこうするうちにゴーガンが戻ってきた。顔を赤くしたかと思えば青ざめるという、味わい深い表情をぶら下げて。

 

「貴様ァ! 私に何を飲ませた!?」


「下剤だよ、下剤。混ぜた時点で気付けよ、初歩も初歩の代物だったろうが」


「私に、こんな事して、タダで済むと……!」


 もう言葉はロクに交わせないようだ。どうやらカウントダウンが開始されたらしい、何のとは言わんが。


「トイレを貸せ、どこにある」


「今は故障中だぞ。使えない」


「見え透いた嘘を吐くんじゃない!」


「だったら確かめて来いよ。突き当りだ」


 仰け反るようにして出ていったゴーガンだが、再び戻った時には違う表情をしていた。その絶妙過ぎる顔は、思わず額縁に入れて飾りたくなるくらいだ。


「だったら薬だ! 中和剤を寄越せ!」


「おやぁ? 今をときめく大先生なら、回復魔法を使えば良いのでは?」


「こんな状態で魔力を練れるかッ。早く、早く薬をぉぉーー!」


 まぁ、ここで漏らされても困る。ポケットから錠剤を取り出すと、それを目の前に差し出してやった。震える手が伸びてくる。縋るような仕草で。


 それを華麗に避けて、今度はオレがゴーガンに指を突きつけてやった。


「おっと、薬師から薬をタダで受け取る気か?」


「チィッ……いくらだ!」


「1錠で100ディナとなっておりまぁす」


「それは吹っ掛けすぎだろう!?」


「嫌なら構わんよ。汚れたスーツのままで王都の中を歩けば良いさ」


「……おのれ! 100だ!」


「はいまいどあり」


 机に銀貨が1枚叩きつけられたのを見て、薬を手渡してやった。それでゴーガンも一旦は平穏を取り戻すのだが、再び踊り始めた。


「きっ、効いておらんぞ!」


「ふーーん、そっか。じゃあもう1錠飲んどく?」


「もっと寄越せ、ここに3千ディナある!」


「はいまいどぉ〜〜」


 卓上で錠剤が3枚の金貨に化けた。ゴーガンは立て続けに薬を飲むと、ようやくひと心地ついたらしく、恨み節とともに去っていった。


 あれだけ飲んだら、今度は便秘に悩みそうなもんだが、オレには関係ない。そもそも魔法で治すだろうし。


「さてと。こんなオレは清貧か?」


 アイシャに尋ねてみた。軽蔑されたかもしれないし、不気味がって逃げられるかもしれない。それを覚悟の上での事だったんだが。


 だが返答は想定外、予想を遥かに飛び越えるものだった。


「すごいです、さすがは師匠! あんなネットリ陰湿な復讐をしただけじゃなく、薬まで売りつけるだなんて!」


「おぉ、そう思うのか」


「最高です。いやほんともう、最高ですよ!」


「お前は悪趣味だって言われないか?」


「んな事は置いといて、そのお金どうするんです?」


「そうだな。せっかくだから肉でも食いに行くか」


「よっしゃぁーー! 一生ついていきます!」


 こうしてオレ達は意気揚々と王都へ繰り出した。たまには外食というのも悪くないもんだと思う。


 だがアイシャにとっては、そんな程度に感じなかったらしい。これまで抑えつけていた食欲が爆発し、大量に食らう、ただ食らう。皿を空けた途端に注文し、とにかく食い続ける。その結果、ゴーガンから徴収した薬代のほとんどを浪費してしまった。


 アンニュイな会計時にふと思い出したのは吟遊詩人が歌う一節だ。


――奪った金は夜露のように。やましい金は泡のように。


 まさにこの事だと痛感させられた。やはり稼ぐとしたら、真っ当な手段でなくてはならない。今日はゴーワンの踊りを見れただけで良しとすべきか。

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