第3話 本物の味
朝の食卓を飾るのはライ麦のおかゆ。それがお互いに一皿ずつ。そろそろまともな食材をと思い、残り僅かな穀物を持ち出したのだ。
「さぁ、遠慮せずに食え」
「ええ、まぁ、いただきます」
反応はいまいちだ。だがその気持ちは理解できる。量が異様に少なく、麦の姿などほとんどないからだ。ほんのり白濁した汁の味も想定通りで、やたらと薄い。とてもじゃないが、ニッコリ微笑んで食べる品とは言えなかった。
「そうそう。口つける前にこの粉末をかけてみろ」
薬紙に乗せたのは金色の粉。まずは自分の皿に振ってから、対面に差し出した。
「なんですコレ? 初めて見ますけど」
「安心しろ。身体に悪いもんじゃない」
「食わなきゃいかんパターンですよねコレ。お借りします」
アイシャはオレの動きを真似た。おかゆに降り注いだ粉がジワリと白い水面に溶け込んでいく。
「じゃあいただきます」
早速食べてみると、粉は問題なく機能していた。絶妙な味わいに思わず笑みが溢れる。
その様子を見て安心したのか、アイシャも小さく一口だけ食べた。すると次の瞬間、大きな両目が飛び出るほどに見開き、遅れて絶叫を響かせた。
「えぇっ! コーンポタージュ!?」
「アッハッハ、どうだ。本物みたいだろ」
「なんてクリーミィ、薫りも濃厚じゃないですか!」
「ほらサッサと食っちまえ。冷めると美味しさが半減するぞ」
しかし、アイシャが笑みを見せたのも束の間だった。
「あぁ……。こんなんじゃなくて、ちゃんとしたヤツを飲みたいですよ」
「そんな金があると思うか?」
「いや、それは分かってますって」
そう言うなり、アイシャは皿を掲げて一息で食べた。その顔は怒っているような、哀しんでいるような。そして口の中もおかゆのようでコンポタ味。彼女の心は大きく混乱しているかもしれない。
腹を満たせば労働だ。裏庭に出て薬草畑へと向かった。
「よし。今日も栽培がんばっか」
「おぉ〜〜」
返事の響きに芯が無い。きっとこれから待ち受ける労働にウンザリしてるんだろう。何せ他人の敷地が存在しない環境なので、畑は広げたい放題なのだ。そのせいでいつの間にか、手に余る程の広さになってしまった。
「じゃあオレは見回りするから。水やりを頼んだぞ」
「あいあい、やっときま〜〜す」
気の無い返事を聞き流しつつ、とりあえず畑の様子を確かめる事にした。
真っ先に向かったのはマゴトゴマの木。これは一年で枯れる種で背丈も低い。果実は黒々としたもので、含有毒素にさえ気をつければ、下剤や整腸剤として利用できる。昔はこれでランタンの油を作ったりしたそうだが、その非効率さから市場には流通していない。
「よしよし。順調だな」
天候不順だった昨年とは比較にならない。逞しく開く新緑の葉。眺めていると、ついつい頬が綻ぶ想いになる。
「オットキレソウはどうかな」
この薬草は主に傷薬の原料として扱う。葉の湯で汁に包帯を浸せば、それだけでも殺菌と止血の効果がある。また、茎の汁は虫刺されに効く。街道ではたまにお年寄りが、すり潰した葉を包帯に馴染ませる光景を見つけたりする。きっと若い奴らは知らない知識だろう。
その頼れる薬草は、まだまだ生長途中だった。最も効力を持つのは葉脈に紫の線が走った頃で、今は青々としている。それらの色が変わった時を想像しては、眼を細めてしまう。
そうして眺めていると、不意に過去の記憶が蘇った。じょうろを片手に微笑む母、その向こうに広がる青空。今日も良い天気だけど暑いね、などと言ったりして。
物思いに耽りながら立ち尽くしていると、今度は強めの風が吹いた。手を動かせと叱られた気分になる。
「じゃあ、そろそろ草むしりでも……」
「師匠、水やり終わったでぇす」
「はいよ、お疲れさん」
オレもそろそろ仕事に取り掛かろうと腰を屈めた。
「ねぇ師匠。1個聞いてもいいです?」
「何だよ改まって」
「こんだけ薬草を育ててんですから、これを売れば稼げるんじゃないですか?」
当然の疑問だと思う。そして、それは世間知らずゆえの発想だとも。
「そんな浅はかな考え、本当に上手くいくと思うのか」
「そりゃ、色々大変かもしんないですけど。でも食べるのに困るくらいだったら、たまには薬草農家さんになっても良いかな、なんて」
「そこまで言うならやってみろ。倉庫に積んであるヤツなら、好きなだけ持ち出して構わない」
「えっ。本当に良いんですか?」
「今そう言ったろう」
その瞬間、アイシャの気配が変わった。飛び跳ねる程に喜んでいるのが背中越しでも分かる。
「そんじゃひとっ走り王都まで行ってきます。今晩はゴチソウですよ!」
「はいはい。期待しないで待ってるから」
「よっしゃぁ! 分厚いステーキ、小麦パン、バターにチーズにとうもろこし! いっぱい買ってやんぞーー!」
アイシャが絶叫を撒き散らしながら風のように去っていった。あいつも現実を知るには良い頃合いだ。論より証拠。都で色々と学んで来たまえ。
やがて草むしりを終え、予定の仕事を全て片付けた頃、空がほの赤く染まっていた。つい熱中するあまり、昼休憩を挟まずに続けていたのだ。渇きや空腹も今頃になっての襲撃だ。
それからアイシャの戻る姿を見たのは、晩飯をどうしようかと考えた矢先の事だ。大きく膨らんだ麻袋を見て、やはり売れなかったのだと確信する。
「ただいま、戻りやしたぁ……」
「お帰り。どうだった?」
「どこへ行ってもダメでした! 売るどころか、話すらロクに聞いてもらえなくって!」
「そうだろうよ」
完全に予想通り。仮に薬草を売って生計を立てられるのなら、既にやっている。
「ところで診療所の様子はどうだった?」
「シンリョージョ?」
「魔術で治す病院だよ。そこらにあったろう」
「ああ、それならもう沢山! アッチにもコッチにも、とにかく一杯あったし、新しいのも建設中でしたよ!」
「王都は相変わらずのようだな」
昨今の魔法技術の発展は目覚ましく、飛ぶ鳥を落とす勢いで成長している分野だ。そのあおりを食ったのはオレのような薬師。何せ街の人達は怪我をすれば魔法、ちょっと頭痛がしたら魔法と、やたら魔術式の治癒を望むようになったのだ。しかも競合の激しさから、診察料も安価ときている。
だから、わざわざ薬を飲もうだなんて人間は極僅かだ。そんな事情から薬草も全く売れず、見向きもされないという事だ。
「それにしても残念だったな。少しは世知辛さを理解できたか?」
「はい。もう二度とやりません」
「そんじゃあ夕飯の話をしようか。これから食べられそうな木の皮を……」
「ああ、それなら良い物がありますよ!」
麻袋から取り出したのは大振りなとうもろこしだ。他にも人参やたまねぎなど、新鮮な野菜がいくつかある。
「薬草は売れなかったんですけど、見てください! こんなに食料が!」
「どうしたんだよソレ。金なんか持ってないだろ」
「これはですね、とある食品店に売りに行った時の事です。やっぱり薬草は売れなくて。でも店主のオッサンが『お嬢ちゃんを一晩好きにして良いなら500ディナ払う』だなんて言ったんですよ」
「ナメた態度だ。いっそ殴ってやれば良いのに」
「はい。だからブッ飛ばしました」
「マジでやったのか」
となるとこの野菜は強奪した盗品になるんだろうか。そうだとしたら面倒になる前に、頭を下げに行かなくてはならない。
「そこでオッサンをシメてたらですね、その奥さんが現れまして。事情を説明すると色々くれたんです」
「何でだよ。過剰防衛なのに相手が謝ったのか?」
「女癖が酷かったらしくて。これで大人しくなるだろうって言ってくれました」
「なるほど。そういう着地点か」
「いやいや、経緯なんかどうでも良いんです! 早くご飯にしましょう!」
「分かった。分かったから押すなよ」
「コンポタさん、コンポタさん♪」
アイシャに急かされて屋敷へと戻り、すぐさま夕飯を迎えた。湯気の立ち上る皿には、朝方に食ったまがい物ではない、本物の姿があった。ひと啜りするだけでも身体が喜ぶのがわかる。やはりオリジナルは別格なのだと痛感した。
今夜の食卓は随分と明るい。弱々しいランプの灯りが、アイシャの満面の笑みを照らすからだ。そんな喜びようを見て、これで良かったのだと思う。「とうもろこしを薬の原料にしよう」とか言わずにおいて。
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