第50話 三角関係?

「んっ…お兄ちゃんとキスすると、温かい気持ちになるよ」


 由美はかなり長い間、俺の唇を奪っていて、正直言って呼吸困難になりそうなところだった。


 だが咲江とは違い、唇を重ねる以上の、いわゆる濃厚なキスはしなかった。

 そこは兄と妹という関係から自制しているのか、あるいは舌を絡めたり…という大人のキスを知らないのか。


 由美と恋人ごっこのような関係になってから、唇を重ねるキスまではするようになったが、それ以上は由美は求めて来なかったし、俺も自制している。


 だが由美も高3だ。周りでもう初体験を済ませたという話もチラホラ聞こえてくる頃だろう。

 俺が実際そうだった。

 特に男子はそう言う話を、自慢気に吹聴する。


(相手の女の子の気持ちを考えろよ…)


 と、俺はその手の話を聞かされた時には思っていた。


「ゆ、由美はさ…」


「ん?なーに?」


 由美が小首を傾げながら、俺の顔を覗き込む。俺が女の子のそのポーズに弱いのを知ってか知らずか…。


「あっ、いや、何でもない、うん」


「えーっ?怪しいな、お兄ちゃん!アタシに何か聞きたかったんでしょ?何よ?」


「うん、あの…。今度飲んだ時にでも聞くよ」


「何よそれー」


 由美はそう言って、ポカポカと軽く俺の肩を叩いた。


 その時だった。



 コンコン!



 玄関のドアをノックする音がした。


「えっ、誰だろう…」


 由美は怪訝な顔をして、俺に隠れるような仕草を見せた。


「時期的に由美は危ないかもしれないから、奥に行ってな。俺が出るから」


「うん、そうする」


 由美は奥の部屋の由美のスペースへと逃げた。その姿を確認してから、俺は慎重に玄関ドアを開けた。


「センパイ!いてくれた〜、良かった」


「サ、サキちゃん?」


「はいっ!石橋咲江ですっ。この度は由美ちゃんのインターハイ決定、おめでとうございますっ!」


 玄関先にいたのは、正樹の彼女、石橋咲江だった。

 そう言えば正樹は今日の昼間、由美のインターハイ出場決定について、電話で咲江と話していたのだった。


 だがその日の内にアパートに何かしらプレゼントらしき物を持ってやって来るとまでは、思わなかった。


「サキちゃん、予告無し登場だね、さ、サプライズ?」


 ちょっと俺は動揺していた。直前まで由美と抱き合ってキスしていたからだ。

 そんな場面を咲江に見られたら、その場で罵詈雑言を浴びせられ、三行半を突き付けられるだろう。


「はい!大学は夏休みだから、サークルの練習もしばらく無いし。でも、一応さっき電話はしたんだよ〜伊藤家に」


「ついさっき?」


 もし本当に咲江が電話をしたのなら、多分、俺も三者懇談で高校に行っていた時だろう。


「うん…。でも何回ベルが鳴っても、センパイも由美ちゃんも出なかったから、えーい、行っちゃえ!って、アパートに来たの」


「そ、そうなんだね。サキちゃんが電話してくれた頃って、多分由美の三者懇談で、俺も高校に行ってた時だな〜、きっと」


「えっ、由美ちゃんの三者懇談?そっか〜、高3だと1学期末に、進路をある程度決める懇談会があったよ、アタシも。由美ちゃんだと、センパイがお父さん、お母さんの代わりに出るの?」


「そうなんだよ。家庭訪問も担任の先生がアパートに来られるのを待ってたし。色んな書類にハンコも押さなきゃいけないし」


「センパイが由美ちゃんのご両親代わりもしてるってのは知ってたけど、実際にそんな話を聞くと、実感が湧くなぁ」


 由美が俺とサキちゃんの話を聞いて、やっと落ち着いたのか、顔を出してきた。


「あーっ、由美ちゃん!帰ってたんだね。インターハイ、おめでとう!」


「ごめんなさい、サキ姉ちゃん。挨拶が遅くなって」


「ううん、由美ちゃんも帰ったばかりだったんじゃない?制服が乱れてるから。着替えようとしたらアタシが突然来て、変な人じゃないかって慌てて隠れたんじゃないかな?」


 由美は何気なく咲江が言った言葉に驚いていた。確かに正樹と抱き合ってキスしている内に、制服も乱れてしまったからだ。

 咲江がやって来た時、最初は誰か分からず、慌てて奥に隠れてジッとしていたので、由美は制服の乱れを直す間も無かった。


 今も咲江の前に出る前に、少しは制服の乱れを直したつもりだったのだが、それでも咲江には、まだ乱れていると見破られてしまった。


(サキ姉ちゃんは凄過ぎる女性だわ…。明るくて楽しくて、料理も上手。だけど、敵に回すととんでもない怖い女性かもしれない)


 由美はそう考え、絶対に兄の正樹を慕う恋人ゴッコのような事をしているのを、咲江に悟られちゃいけない、と強く思った。


「ご、ごめんなさい…。慌ててたから…。まだ制服、おかしい?サキ姉ちゃん?」


「セーラー服の襟の部分がね。まあアタシとセンパイだけなら、気兼ねすることなく着替えられるでしょ?ゆっくりと部屋着に着替えてね」


「は、はーい、サキ姉ちゃん!」


 由美は心臓のドキドキが咲江に聞こえるんじゃないかと思うほど、心拍数が上がっていた。


 そんな2人を見ている正樹も、背中に嫌な汗をかいていた。


「まっ、まあ、立ち話もなんだから、サキちゃん、上がりなよ」


「いい?おっ邪魔しまーす!」


 咲江は元気にアパートへと上がったが、脱いだ靴はちゃんと揃えていて、そこはかとなく石橋家の躾の良さが垣間見えた。


「なんにもまだ作ってないけど…」


 2人分の焼肉は買っていたが、まだフライパンをガスレンジに置いただけの状態だった。


「そうなんだ?じゃ、アタシも夕飯作りに参加するね。今夜のオカズは何の予定だったの?」


「サキちゃんが来ると分かっていたら、もう少し多目に買っておいたんだけど、焼肉にしようと思ってね。2人前しかないんだよ」


「おお、何という偶然!アタシ、焼肉をいずみ野駅近くのスーパーで買ってきたんだよ。由美ちゃんのお祝いに、牛だよ、牛」


「あ、じゃあもしかしたら合わせて焼けるのかな?」


「うん。じゃあセンパイは由美ちゃんと座ってて。アタシが焼いてあげるから」


「あっ、ああ…。ありがとう」


 咲江は持参したのか、エプロンを締めて、アパートの台所で作業を始めた。


 由美も部屋着のジャージに着替えて、丸テーブルへとやって来た。


『お兄ちゃん、ビックリしたね』


『ああ。でもサキちゃんで良かったよ。また由美のファンだとかいう変な人間だったら嫌だから』


 俺と由美は、小さな声で会話しながら、台所をチラチラ見ていた。


 肉を焼くジュージューという、いい音と匂いがする。


 咲江も機嫌良さそうだ。


 何とかこのまま、今夜は過ぎてくれないか…。


 俺が今願うのは、それだけだった。


<次回へ続く>

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