第46話 取材

 朝から電話がかかってくる。


(ひょっとして親戚に不幸でも?)


 と思ってしまう時間帯だ。時計を見たら、6時半だった。これはこれで、俺はともかく由美を起こしてやらないといけない時間ではあるが。


 由美と寝ながら繋いでいた手を解くと、俺は慌てて受話器を取った。


「もしもし!」


『あ、朝早くから失礼します。伊藤様のお宅でしょうか?』


「はっ、はぁ…。伊藤ですが」


『恐れ入ります、私は文芸夏冬社の週刊文夏の編集をしております、中野と申します』


「出版社さんですか?」


 俺はてっきり身内の不幸だと思って電話に出たので、ちょっと虚を突かれた感じだった。


「こんなに朝早く、出版社さんがウチにご用事ですか?どこか他と間違えてらっしゃるのでは…」


『いえ、伊藤様のお宅につきまして、ちょっとお話を聞かせていただきたいと思いまして…。NTTの番号案内104で調べさせて頂きました』


「ウチについて?」


 NTTもどんな情報を教えたんだ?


『はい…。恐縮ですが、貴方様は世帯主様、正樹様ですか?』


「ええ、一応」


『ではご家族に、由美さんという、昨日インターハイ出場を決められた高校3年生の女性の方はいらっしゃいますか?』


 俺はハッとした。もう由美に対して興味を持ったマスコミが、探りを入れてきているのだ、きっと。

 多分、今朝の新聞やスポーツ紙の中に、由美の写真を載せたマスコミがあるのだろう。由美も何枚か撮られたと言っていたし。

 そして由美の写りのいい写真を見たのが、文芸夏冬社なんじゃないか?

 ここはNumberという、スポーツに特化した雑誌を作っている出版社でもある。

 だからか?と思ったが、相手は週刊文夏編集部と名乗ったな…


「は、はい…。おりますが、今朝はもう高校へ朝の練習のために出掛けていて、おりません」


 ちょっと俺は嘘を吐いた。由美ならまだ寝ている。しかも何か夢を見ているのか、意味不明な言葉を発している。


『そうですか、さすが関東大会を1位で突破されるだけありますね。実を申しますと、私共の週刊文夏の、今週の美女というグラビアページに、是非由美さんを掲載させて戴きたく、一度インタビューや写真撮影など、取材をお願いしたいと思いまして』


「はあ…。まあそういうのは本人が帰ってから聞いてみますが、ちょっとそういう電話をしてくるのには、時間が早過ぎやしませんか?」


『はい、その点は伏して謝らせていただきます。ただですね、朝早くないと、由美さんは学校に行ってしまうのではないかというのを危惧したことと、同業他社に出し抜かれたくないという…これは伊藤様には業界の内輪の話で恐縮ですが、是非ウチが、インターハイに出ることが決定した選手の中で、水泳50m自由形で関東大会1位突破という歴史に残る好記録をマークされた由美さんは、ひょっとしたら2年後のバルセロナオリンピックにも出る逸材かもしれないということで、早くから注目していたという証にしたいのです」


 ここまで熱意をもって説得されると、兄の俺も電話してきた時間帯は別として、悪い気はしない。

 一応由美はもう高校へ行ったことにしてしまったので、返事は由美が帰ってからきいて、俺が週刊文夏の中野さんに電話することにした。


「ではそういうことで…失礼します」


 ふぅ、結構長い電話だったな…。

 なのにまだ寝ている由美を起こさないと!


「由美、おい由美!」


「うにゃ~お兄ちゃんのパンツはブカブカだからムリ~…💤」


「何言ってんだ由美!起きないと遅刻するぞ」


 由美の体を揺らして、起こしにかかった。一体何の夢を見ているのかも聞かないとな…。


「はにゃ?あっ、あれ?今何時?」


「7時ちょっと前だよ」


「うわっ、寝坊したぁ。なんでお兄ちゃん、もっと早く起こしてくれないの?」


「いやお前、電話が朝から鳴ってたり、俺が電話で喋ってたりしたのに、全然気が付かなかったのか?」


「うん…。なんか楽しい夢を見てたような気がする」


 おお、夢の話だ!俺のパンツがなんで由美の夢に出てくるんだ?


「どんな夢?」


「誰かとインターハイ終わってプールに遊びに行ったんだよね…。で、アタシが帰りのパンツ忘れたら、どっからかお兄ちゃんのパンツを持った人が現れて…もう少し何かあったけど、もう忘れた」


「呑気だなぁ。由美、もしかしたら思ってた以上にマスコミはお前を狙ってるかもしれない」


「え?なんのこと?」


「朝から電話してたって言っただろ?アレは、文芸夏冬社の週刊文夏編集部からの電話で、由美を次の号の『今週の美女』ってグラビアに使いたいって言ってきたんだよ」


「キャー!何々アタシ、全国誌にグラビアデビューするの?ちょっといい水着選んどかなきゃ」


「なんだ由美、受ける気満々か?」


「だって神奈川新聞よりも週刊文夏の方が、圧倒的に凄いじゃん!」


「まぁ、そうかもしれんけど…。ただ俺は、もう由美は高校に行ったって言ったんだよ。だから、返事は夜にすることになってるけど、俺もよく分かんないけど、高校の許可とか要るんじゃないか?担任の先生か、顧問の先生に聞いてみてくれよ」


「担任の先生なら、お兄ちゃん、今日会うじゃん」


「へ?」


「んもー、三者懇談のこと忘れてるんだから!」


「あっ、あれ?今日はそんな日だっけ?」


 部屋に貼ってあるカレンダーを見たら、確かに今日7月16日(月)には、【4時半S高3年2組三者懇談】と俺の字で書いてあった。


「昨日の関東大会で、すっかり忘れてたよ」


「その関東大会が終わらないと、ちゃんと先生を交えた話も出来ないだろ?って、お兄ちゃんがそう言って今日にしたんじゃん。全くもう、アタシがお兄ちゃんのマネージャーしないと駄目なようね?」


「こ、これはお恥ずかしい…」


「あっ、アタシはお兄ちゃんに文句言ってる場合じゃなかった!早く高校の準備しなきゃ!」


「そうそう、俺はもう今週から夏休みだけど、由美はもう1週間あるもんな」


「ズルいなぁ、大学って。夏休みっていつまで?」


「9月第1週まで…」


「なんでアタシより早く始まって、アタシより遅くまで続くのよ」


「俺が決めたんじゃないから仕方ねぇだろ!早く着替えろよ。その間にパン焼いといてやるから」


「はーい」


 俺は由美の朝の定番、トーストと牛乳を準備し始めた。朝食はどちらかというと俺が和食派で、由美が洋食派という感じだ。


 由美は手慣れた手つきで、パジャマ姿から一旦昨日見かけた淡いブルーの下着姿になり、高校生へと変身していく。今日は体育があるのか、ブルマをパンツの上に穿いていた。


「着替え終わったよー。わぉ、ナイスタイミング!ありがとうお兄ちゃん」


「ま、まあいいから、食べな」


 つい由美の着替えを見てしまった罪悪感が、どうしても拭えない。私服からパジャマとかなら、そんなに感じないのだが、高校の制服が絡むと背徳感に襲われてしまうのだ。これは俺自身にもよく分からない、脳内の心理だった。


「ねぇお兄ちゃん?」


「ん?なんだ?」


「二つあるんだけど…」


「なんだ?言ってみな」


「一つは、4時半に遅れないでねってこと」


「あ、それは今さっき強烈に頭に叩き込まれたから大丈夫だよ」


「もう一つはね…」


「もう一つは?」


「…たまたま週刊文夏さんがアタシなんかを取材したいって言ってくれたけど、この先もっとそんな依頼とか、あるのかな…」


 由美はちょっと不安そうな顔をした。多分、週刊文夏一誌くらいなら部活の後にでも対応して1日で終わらせられるが、今朝のスポーツ紙を見て週刊文夏がいち早く反応したように、中野さんが言っていた同業他社もスポーツ美女として取材に来るかもしれない。

 そうしたら練習どころではなくなり、肝心のインターハイで散々な結果に終わってしまうかもしれない…。

 そんな点を心配しているのではないだろうか。


「大丈夫だよ、由美」


「でも一誌だけ取材に応じて、もし他の雑誌とか取材依頼が来たら断るってのも失礼でしょ?」


「俺を誰だと思ってるんだ?伊藤正樹だぞ?不審者を2回追っ払った伊藤正樹だぞ。ちゃんと由美のことは考えてやるし、守ってやる。練習に支障が出ないようにな」


「ホント?」


「ああ。変な雑誌社からのは断るし。俺が今日から夏休みってのも都合がいいよな。昼間は家にいるようにするから、仮に変な奴とか来ても追っ払うし、電話があっても対応するから」


「助かる~。お兄ちゃん、やっぱり大好きだよ」


 由美はそう言うと、台所に食べ終わった食器を持っていこうと立ち上がったところで、俺に軽くキスをした。


「あ、不意打ちは照れるじゃんか」


「エヘヘッ、たまには…いいでしょ?じゃ、行って来るね。お兄ちゃん、4時半に3年2組の前で会おうね」


「おう、分かったぞ。行ってらっしゃい」


 由美はいつものように元気よく玄関を飛び出していった。


(ただ高校で、どんな扱い受けるのかな…それが心配だな、ちょっと)


 杞憂に終わればいいが…。


<次回へ続く>

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