第45話 環境の変化

「ねえお兄ちゃん、その日野って男の子って、何なの?」


「実は由美が帰ってくる前にな…」


 俺は、日野という青年とのやり取りを説明した。


「へぇ、そうなんだ…。一応名簿見ておくね。でも、なんか…気持ち悪いな…」


「でも、礼儀は正しかったからさ。一応S高男子水泳部っていう言い訳を信じたんだけど…」


「じゃあちょっと待ってね」


 由美は通学カバンの中に手を突っ込み、「水泳部関係」と書かれたファイルを持ってきた。


「凄いな!そんなファイル作ってたんだ、由美は」


「まあね。アタシはS高校に入った時からインターハイ目指してたから、水泳や部活に関する書類とかチラシとか、何でも保管してたの。で、今年の名簿を見てみると…あ、確かに男子水泳部の1年に、日野正平って子がいる。嘘ではなかったみたいね。アタシが知らないだけで」


「そうか、なら懸念材料は一つは解消されたな。ところで由美、その名簿はどれくらいの人が持ってるんだ?」


「どれくらい?そうね、男女の水泳部員…だけかな?」


「そしたら由美、明日の部活で、絶対にその名簿を外部に出さないように男女両方の水泳部員に厳命しろよ」


「へっ?う、うん…。部員や、家族以外の人には見せるなってこと?」


「そう。今日来た日野君って男子だけど、名簿を見て、このアパートに来てるんだ。由美、お前はインターハイに出場する夢が叶ったと同時に、今よりも知名度がグンと上がることになる。ということは、名簿が変な業者とかへ流れたら、アパートに由美を狙って変な輩が来るかもしれないんだ」


「えぇーっ!お兄ちゃん、そんな考えも付かないようなこと、言わないでよ」


「いや、今日の日野君だって、由美のことを憧れの存在って言ってたぞ。由美は、自分で思ってる以上に、多くの人から知られてるんだ。それがインターハイ出場が決まったことで、更に多くの人に名前を知られることになる。今日、表彰式の後の裏舞台までは俺は知らないけど、取材とか受けたか?」


「うっ、うん…。県大会の時は神奈川新聞だけだったけど、今日はよく聞く名前の新聞社とか、スポーツ雑誌とか…」


「だろ?写真も撮られただろ?」


「…うん。3人一緒のと、アタシ1人のと…」


「その写真を見て、伊藤由美って女の子っていいなぁ…なんて思う男がいるかもしれない。幸いさ、由美は高校まですぐそこだから、電車に乗ってるところを狙われたりはしないだろうけど」


「ねぇお兄ちゃん、アタシの心配してくれるのは嬉しいんだけど、そんなに大変なこととか起きるのかな?」


「まあ、俺の考えすぎと言ったらそれまでかもしれんけど…。でも、本当に登下校時とか、気を付けるようにな」


「うん、分かった!名簿は家族以外、誰にも見せちゃいけないって、明日部員に言うね」


「おぉ、それは絶対にな。それと一つ聞きたいんだけど…」


「えー、まだ何か脅されるような話?」


「違うよ。日野君が言うには、インターハイには男子1人、女子2人が決まった…って言ってたんだ。それって本当か?」


「ああ、それなら本当よ。男子1人は、お兄ちゃんも会場で確認したんじゃないの?」


「確かに。そう言えばそうだった。ロビーのボードに貼ってあったのを見てたんだった」


「もう、慌てん坊なんだから。女子2人はね、アタシと、先月お兄ちゃんに、しつこくつきまとう元カレを退治してもらった2年生の…」


「やっぱりあの子か!」


「そう、バタフライの宮田さん。2年なのに、よく頑張ったんだ。1位通過じゃなくて2位通過だけど、泣いて喜んでたよ」


「そうだよなぁ…。大会直前に無理やり変な男に襲われて、女の子の大事な初めてを奪われて…。なのにインターハイ決めるなんて。精神的に強い子なんだね」


「そうなの。だからアタシは宮田さんに、次の主将になってもらいたいんだ。アタシ以上にいい主将になれるよ」


 水泳や、部活のことを話しているときの由美は生き生きしている。根っから水泳が好きなんだろうな…。


「じゃあその元カレにも注意しなくちゃな」


「え?もうお兄ちゃんにこっぴどく説教されて、警察に突き出してやる!まで言ったのに?」


「ああ。あの時は怖がってたけど、とにかくしつこいんだよ、ああいう男は。大学で犯罪心理学ってのを取ってるんだけど、執着心の強さから、殺人まで犯す例があるんだって」


「殺人?えーっ?」


「だからインターハイに宮田さんが出るっていうのを知ったら、何か行動を起こしてくるかもしれない。執念深いからさ。由美もだけど、宮田さんもインターハイが始まるまで、身の回りに気を付けるんだよ。そう伝えてくれないかな。分かった?」


「はい!ってつい敬語で返事しちゃったけど、怖いね…」


「宮田さんは電車通学か?家はどの辺なのかな?」


「えーっと、名簿を見ると…。横浜市旭区笹野台って書いてある。どこら辺?」


「旭区?うーん…地図見てみようか」


 本棚に入れてある横浜市の地図を開いてみた。


「旭区…は、いずみ野の北側だね。結構広いのかな?たまに相鉄の鶴ヶ峰駅で、旭区役所の最寄り駅って聞くことがあるから」


「何にしろ、相鉄で通ってるっぽいね。じゃあアタシ以上に気を付けるように言っておくね」


「そうだな。場合によっちゃ、いずみ野駅まで由美が送り迎えして付き添って上げた方がいいかもしれないし」


「そうね…。このアパートって、いずみ野駅とS高校の中間地点だから、やれと言われれば出来ないことはないよ」


「そこら辺は、明日にでも宮田さんと話してみてくれよ。ふう…。一気に色々話したから腹減った…」


「え?お兄ちゃん、まだ日は暮れてないよ」


「だって昼飯まともに食べとらんもん」


「そうなの?」


「今日の昼に体内に注入したのは、バイト先に挨拶に行った時に飲まされた、生ビール一杯だけだよ」


「ホントなの?じゃあ久しぶりに外食する?」


「そうだな、冷蔵庫もロクに何も入ってないだろ?」


「んっとね…。とりあえずお兄ちゃんの欲求を満たすものはない…ね。牛乳とヨーグルトと、怪しいレタスだけ」


 由美が冷蔵庫を開けて、そう言った。


「じゃあ外食するか~。久しぶりにパスタの店に行くか?」


「うんっ!行きたい!」


「じゃ、決定~。あ、由美はジャージのままじゃんか。私服に着替えなよ」


「そうだった。ちょっと待っててね」


 一緒に住み始めた時は、着替える時も絶対に俺から見えないように、由美はカーテンと襖を閉めていたが、抱き合ったりキスするようになってから、由美は俺に着替えを見られても構わないという感じになり、今もオープンなまま着替えていた。


(あれ?あんな淡いブルーの下着なんて、由美は持ってたっけ?いつの間にか買ったのかな?)


 確かに恋人もどきの関係になってから、買い物には一緒に行くことが増えたのだが、絶対に俺と一緒に行かない買い物の日もあった。

 俺は女の子特有の月イチのお客さん用品とか買いに行ってるんだろうと思っていたが、下着も確かに一緒に買い物に行った時には買っていた覚えがない。

 だからきっと由美1人で買い物に行った時に、下着屋さんで買っているんだろうけど、玄関から遠目で見ても、また少し胸が成長しているような気がした。


 残念ながら悲しい男の性で眺めていた由美の下着姿も、特に俺を意識することなくサッとTシャツを着て、ジーンズを穿いてしまったので、僅か数秒で見納めになってしまった。だが着替え終わった由美は、玄関で待っている俺に飛び付いてきた。


「お兄ちゃーん、着替え終わったよ!行こっ!今なら空いてるよ、きっと」


 と言い、とっととスニーカーを履いて俺の腕を引っ張る。


「ちょっと待ってくれ~。俺にもちゃんと靴を履かせてくれ…」


「何よ、玄関にいたのに、靴履いてなかったの?んもー、お兄ちゃんってば!」


 久々に由美のツンツンした部分が見れたが、その姿を見ていると、とても関東地区を種目別だが、1位で通過したスイマーには見えなかった。


(いつまでも可愛い妹でいてくれよ、由美)


 俺はインターハイが始まるまで、由美、そして宮田さんに何も起きないことを願うだけだった。だがしかし…


<次回へ続く>

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