第43話 インターハイへの切符
「由美、全力出せーっ!」
つい思わず、由美の第3組がスタートしたら、心の声が表の声になってしまった。
今まで静かに観戦していた野郎が突然大声を出し立ち上がったものだから、周囲の方には驚かれてしまったが…。
50m自由形の第1組、第2組のトップタイムが、それぞれ27.06秒と27.07秒だったので、神奈川県大会での由美のタイムが26.59秒だったことから、十分に勝機はあると思っていた。
また報道陣も神奈川県大会とは段違いに多い。
(由美が心配というか楽しみにしてた、マスコミのインタビューとかも本当にあるかもな)
色々考えているうちに、間もなくゴールに近づいている。
由美は第3コースだ。ちょっと怖くてしばらく目を逸らしていたが、パッとプールを見たら、由美がダントツでトップを泳いでいた。
(ヨシヨシ、このまま…)
8人全員がゴールし、正式にタイムが電光掲示板に発表された。と同時に、場内にどよめきが起きた。
恐る恐る俺も電光掲示板を見たら、
『1位 神奈川県代表S高校 伊藤由美 26.48秒』
と表示されていた。
(由美!やったぞ!トップだ!)
由美はというと、その結果にニコニコしながら、軽く手を振りながら会釈し、一旦控室へと戻っていった。
周りの俄か評論家の話を聞いていたら、今の子は凄いね!インターハイ間違いないね!だってこれまでの女子の日本記録は26.35秒だからあの子なら追いつけるんじゃないの?等々…
色々聞こえてきたが、とにかく由美の出したタイムは、凄い記録だというのが分かった。
ただ、まだ第4組の8人が残っている。その8人の結果を見なくては、安心出来ない。
まだ第3組の余韻が残っている中、第4組の選手たちがコールを受けてスタート台に立った。
電子ピストルの音を合図に、8人の女子選手が勢いよくプールに飛び込んでいく。
1位の選手を見ていたら、やはり速かった。
(由美より速いタイムかもしれない…)
そんな心配をしながら電光掲示板の正式発表を見たら、1位の選手は埼玉県の選手で、タイムは27秒を切り、26.51秒だった。
この選手もかなりの速さだ。再び場内をざわめきが覆った。
だが4組全てのレースを通しての1位は、間違いなく由美だった。
(由美、やっとインターハイに行けるな!おめでとう、おめでとう…)
俺は不意に涙が溢れてしまった。周囲の方に悟られないよう、汗を拭くフリをしてハンカチで顔を拭ったが、両親が不在な環境で頼れるのは俺だけという環境で、よくここまで頑張った…と思ったら、感激しかなかった。
しばらく間があってから、50m自由形の表彰式が行われた。
1位はもちろん俺の自慢すべき妹、伊藤由美。
2位は4組目の1位、埼玉県の選手、3位は由美と同じ組で泳いだ、東京都の選手だった。タイムは26.59秒で、由美が神奈川県大会で出した記録と同じタイムだった。
この3人が、来月宮城県で開催されるインターハイへの切符を手にした選手になる。
3位から順に表彰されていき、最後に1位の由美が表彰される時は、S高校の応援団や男子生徒から歓声が沸き起こった。
由美も照れながら賞状等を受け取り、応援団の方へ向かって一礼してから手を振り、同時にキョロキョロしていた。
(もしかしたら、俺を探してるのかな?)
しかしすぐに退場を促され、俺を見付けることは出来なかったようだ。
この後は、100m、200m、バタフライ、平泳ぎ、背泳ぎ、メドレーリレーと続いていくが、俺は由美が関東大会1位通過を成し遂げた瞬間を目撃したことで満足し、客席を後にした。
なんだか自分が出した結果でもないのに、気持ちが昂っている。
(でも本当なのかな…。目の前で見たのに、信じられないよ)
俺はそのままアパートに帰るのがなんだか惜しくて、原宿から山手線に乗って品川で京浜東北線に乗り換えると、横浜駅でまだ仕込み中の、俺のバイト先の居酒屋へ向かった。
「お疲れさまでーす」
「あれ?伊藤君、どうしたんや?由美ちゃんの大会は終わったとか?」
店長と副店長、そして俺の代わりに入ってくれているバイト君の3人がいた。
「はい、無事に終わって、アパートに帰る途中だったんですけど…」
「ですけど…って、気になる言い方だな、伊藤君。由美ちゃんはどんな結果だったんだ?教えてくれよ」
店長が声を掛けてくれる。
「実はですね…。50m自由形1位の成績で通過しまして、無事にインターハイへの切符をゲットしましたーっ!」
「おぉーっ、マジか!やったなぁ!おめでとう!伊藤君が選手ってわけじゃないけど、おめでとう!」
副店長、バイト君も一緒になって、我が事のように喜んでくれている。その様子がまた、堪らなく嬉しかった。
「わざわざその報告に来てくれたんだね?いや~、もうこんな嬉しいことはないから、伊藤君、飲んでくか?」
「えっ、そんな、いいんですか?」
と言いつつ、内心ちょっと期待していた俺がいる。
「いいよいいよ、店長権限でサービスしてあげるよ。生中でいいか?」
「はい、ありがとうございます!すいません、ちょっと寄っただけなのに」
心とは裏腹なことを言っている自覚は、あった。だがこんなに店長さんも喜んでくれるとは…。
「はい、昨日から冷やしてるからキンキンに冷えとるよ。みんなで乾杯しようや」
副店長とバイト君も、いいんですか?という目をしていたが、開店までには酔いも醒めると店長が言われるので、それなら…と、4人で生中を乾杯した。
「由美ちゃんのインターハイ決定に、カンパーイ!」
4人のグラスが合わさる。
「…プハーッ!ビールがこんなに美味しく飲めるなんて!店長、ありがとうございます!」
「いいんだよ。もう去年から、由美ちゃんはこのお店の店員さんじゃないんですか?って、何度聞かれたやらな、ワッハッハ!店員だったら高校の制服なんか着てませんよって言って、由美ちゃんを狙うお客さんは排除してたけど」
「そんなこともあったんですか?背の高いショートカットの妹でも、モテるんですかね?」
「由美ちゃんはスポーツ系の爽やかさが良かった…いや、過去形にしちゃよくねぇな、良いんだよ。だから伊藤君も、由美ちゃんを狙う男子が今後インターハイに出ることで増えると思うからさ、気を付けなよ」
「そうなんですね…」
「追っ掛けとかさ、カメラ小僧とかさ、そんな変態から守ってあげるんだよ。ああいう連中って、ヘタしたら家まで探し当てるからな」
マジか!いずみ野のアパートまで探し当てるのか?そこまで執念深い理由はなんなんだ?
「だから写真週刊誌なんてのが続々出てくるんだよ。特に由美ちゃんは水泳だろ?どうしたって競泳用水着を着る訳だ。伊藤君も、由美ちゃんの水着姿は見慣れてるかもしれないけど、海やプールで無防備にはしゃいでる水着姿の女の子がいたら、つい見ちゃうだろ?」
「はっ、はぁ…。まあ確かに、否定できないッスね」
否定できないどころか、俺ならガン見してしまうだろうな。高校までは女子の体操服のブルマですら、ついついガン見してたしな…。
「見るだけならまだいいけど、連中は高性能なカメラを持ってたりするからな。これからインターハイが終わるまで、伊藤君は由美ちゃん専属のマネージャー兼ボディーガードってとこだなぁ。ウチのバイトも、インターハイが終わるまでは、出れる時に出てくれたらいいから。気にしないで由美ちゃんガードを優先してくれよ」
「な、なんかインターハイって怖いですね…」
「アレだよ、甲子園でも活躍する高校生には、女の子がその高校が泊まってる宿舎まで押し掛けるって言うじゃん。その逆だよ」
「店長、ビールがなんか恐怖の味になってきました…」
「わりぃ、わりぃ、脅かすつもりはないから。今日は帰ってさ、インターハイ決定の妹ちゃんを褒めてあげなよ。あっ、たまに伊藤君が連れてくる彼女と一緒に、由美ちゃんのインターハイを見に行くってのもいいよなぁ。青春だ!」
店長が一番酔いが回っているのではないかと思うほどハイになっていたが、俺は副店長とバイト君にも挨拶して、早々にいずみ野のアパートに帰ることにした。
(追っかけがアパートまで探し当てるって、なんなんだろう。ほんとうにそんなこと、あるのかな?)
と疑心暗鬼になりつつ相鉄線を降り、アパートに帰ってきたら、怪しい青年がいた。
(本当だ!しかも、もう?)
とっ捕まえてやる、この変態野郎!
<次回へ続く>
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