第41話 女として
「ただいま…」
「お兄ちゃん、お帰り!」
火曜日の家庭教師のアルバイトを終えて帰宅すると、由美が出迎えてくれた。
由美はTシャツに短パンという姿で、一通り家事を終え、テレビを見ながら寛いでいるところだった。前みたいにブラジャーとパンツだけの姿じゃなくて、ホッとした。
「由美はもう、風呂も夕飯も終わったか?」
「うん、後は寝るだけだよ。あのね、お兄ちゃん…」
「ん?」
「2日目のカレー、美味しくて全部食べちゃった!エヘヘッ、ゴメンね、お兄ちゃんの分残してなくて」
由美はペロッと舌を出して謝った。なんだ、この可愛さは…。
「いや、いいんだよ。今日は家庭教師してるお家でご飯頂けるから、心配要らないし」
「本当?じゃ、良かった!ねぇお兄ちゃん、お帰りのチューしてあげる」
「えっ、お帰りの?…ムギュ」
由美がスタスタと玄関まで来てくれ、まだ靴を脱いでいなかった俺の両肩を掴むと、唇を合わせてきた。
「んっ…」
何となく時間が少し長くなったような気がする。
「ふぅ…。はい、お兄ちゃん、ウチに上がっていいよ!」
「えっ?お帰りのチューが、部屋に上がる条件になったの?」
「…うん。ダメ?」
照れながら由美がそう言う。全くこの妹と来たら…。最近、可愛さが増している。
「お、俺が先に帰ってる時は?」
「その時は、お兄ちゃんからアタシにチューして。ね!」
「参ったよ、由美」
「やったー、これで毎日2回のチューを確保したよ!」
俺は苦笑いするしかなかった。それで由美の気持ちが落ち着くのなら、仕方ない。
「あ、お兄ちゃん、早くお風呂入って?」
「え?言われなくても入るけど…」
「早く洗濯機回したいから」
「そういうことね、はいはい」
「お兄ちゃん、『はい』は1回でいいの!」
「急にキャプテンになるなよ…」
とりあえず俺は部屋に上がり、着替えを持って、脱いだ物を洗濯機に突っ込み、風呂に入った。
しばらくしたら、洗濯機のスイッチが押されたのが分かった。夜も遅いから、早く洗濯して干したいのだろう。だが天気がイマイチで、雨がいつ降り出してもおかしくない夜空だったが…。
「お兄ちゃん、そろそろお風呂から上がる?」
突然風呂の扉が開き、由美が顔を出した。
「おわっ、由美!ビックリさせないでくれ!」
「えっ、そんなにビックリする?」
「当たり前だって!」
「アタシは別に大丈夫だけど」
「由美が大丈夫でも、俺は大丈夫じゃないんだよ。特に…」
「特に?」
「ある1箇所が…」
「フフッ、お兄ちゃん、可愛い〜。ね、アタシでもそのある1箇所って、反応するの?」
「ど、どうしたんだよ、由美…」
「エヘッ」
前にも似たようなやり取りがあったが、その時は由美はこんなに積極的に攻めて来なかった。
それが今日は、かなり大胆に攻めてくる。
「アタシ、女として魅力あるのかな…って心配になったんだ」
「なっ、なんで?」
「お兄ちゃんはアタシを可愛い、好きだと言ってはくれるけど、妹として、でしょ?」
核心を突くことをサラッと由美は言う。
「そりゃあ、由美は俺の大切な妹だからな」
「もしお兄ちゃんとアタシが、家族じゃなかったら、アタシのこと、可愛いって思う?好きになってくれる?」
「えっ?なんか大胆なことを、さり気なく聞いてくるな、由美は」
「そういうことなの。全然何の関係もない状態で、偶然何かでお兄ちゃんとアタシが知らない者同士で知り合って、お兄ちゃんはアタシに女を感じて好きになってくれるかな?って…」
一体由美はどうしたのだろう?それ以前に俺がのぼせそうになってきた。
「由美の質問だけど、風呂から一旦上がってからでもいいか?」
「えっ、どうして?」
「のぼせそうなんだ…」
「あっ、そうか、ゴメンね、お兄ちゃん」
由美は状況を察すると、一度風呂のドアを閉め、四畳半の部屋へ戻った。
俺は早々に浴室から出て、団扇で全身を扇ぎながら、火照った体を少しでも冷まし、とりあえずパンツと短パンを身に着けて、四畳半部屋へ入った。
「ゴメンね、お兄ちゃん。大丈夫?」
由美がちょっと心配そうにしてくれた。
「まあ、喋れるから大丈夫じゃないか?」
「良かった…。アタシのせいでお兄ちゃんを裸のままで救急車呼ぶとか、そんなことになったらどうしようって思ったから」
「い、一応何か着るだろ、いくらなんでも。フーッ、じゃあ続き、話そうか?」
「いい?」
「ああ、いいよ。仮に俺と由美が知らない者同士だったら、俺は由美に女を感じて、好きになるか?って、哲学的な問題だろ?」
「う、うん。どう、かな…」
「うーん…」
そう言われても、これまでの十数年、家族として一緒に過ごしてきたから、適切な答えが分からない。
「そもそもさ、どうして由美は急にそんなことを思ったの?」
「えっ?」
「何かキッカケがあったんじゃない?クラスで何か言われたとか、他の女の子に何かあったとか」
「う、うん…」
「その辺、ちょっと知りたいな」
「うーん、どうしよう…。あ、あのね、ちょっと恥ずかしいんだけど…」
「何でも聞いてやるよ?受け止めてやるよ?話してみな」
「…あのね、今日のお昼休みに、何人かの友達と、好きな男の子はどうとかこうとか、そんな話してたの」
「まあ、女子高生ならでは、だよな」
「そしたら途中から男子も加わってきたんだけど、あまり聞かれたくなかったから、アタシがその男子に、ちょっと悪いけど話を聞かないで、って言ったんだ」
「ふーん…」
「そしたらその男子がアタシに向かって、お前みたいなスカート履いてなきゃ女と思えない奴に言われるとは思わんかった!とか言って小バカにされたんだ…」
「なんだと!由美、馬鹿にされたのか!」
俺は瞬間的に頭にきた。由美を守ってやるという信念が俺にはある。例え俺がいない場所でも、由美が馬鹿にされたと聞くと、黙っていられない。
「担任のイッチャン先生に言ってやろうか?」
「ううん、いいよ。すぐにアタシの周りにいた女の子達が、何よ今の言い方!って、アタシ以上に怒ってくれて、その男子もすぐ謝ってくれたから」
「そ、そうか?由美が嫌な思いをしたんなら、俺はちゃんと抗議してやるぞ?」
「ありがと、お兄ちゃん。…だから好きなんだ、お兄ちゃんのこと」
「ん?小声で聞こえなかったけど…」
「いや、なんでもないの、なんでも…」
実は聞こえていた。だが俺も照れてしまうので、照れ隠しのために敢えて聞いて、ブレイクタイムを設けたような感じだ。
「でも今までの由美の話で、何となく分かったよ。その男子は、多分由美が髪の毛はショートカットで、背は高いし、そんなにメイクとか髪型も気にしてない、よく言えばボーイッシュな女の子だから、そんなことを悪ふざけ気味に言ったんだろうな」
「多分…。アタシもお兄ちゃんの見方で合ってるとは思うの。他の女の子って髪の毛をポニーテールにしたり、ツインテールにしたり、眉毛を綺麗に整えてたり、お肌の手入れもしっかりやってるから。でもアタシはそんなこと面倒だからしないし、せいぜい脇毛やすね毛を抜くだけ。こんなガサツな女、やっぱりダメかな、お兄ちゃんは可愛いって言ってくれるけど、それは家族だからで、もし他人だったらアタシのことなんてデカい女くらいにしか思わないんじゃないかなって、急に心配になってね…」
由美は寂しそうにそう言った。
「そうかぁ…。由美はさ、これまでに男子から告白されたことはある?」
「へぇっ?アタシから、じゃなくて、男の子から?」
「そう」
「…1回だけあるよ」
「お、あるんじゃん」
「中学校の卒業式でね。同じクラスだった男の子に告白されたんだけど、別々の高校に通うことが決まってたから、残念ながら付き合うって決断まではいかなかったの」
「でも一度でもあるんなら、充分じゃないか。ちゃんと由美を女の子として見てくれてたってことだし」
「そうかな」
「だから自信持ちな。俺は家族だから由美のことを可愛い、好きだって言ってるけど、それはキッカケが家族だったから。でも、仮に知らない者同士でも、何かのキッカケで知り合って話とかするようになれば、相性が合えば恋人に発展するんじゃないかな」
「う、うん…?」
「悪い、ちょっと変な例えになったかな。俺は由美のことを、妹だってことを抜きにしても、ちゃんと女として可愛いと思ってるし、好きだよ」
「お、お兄ちゃん…」
「って、こんな格好で言っても説得力ないか!ハハッ」
俺は風呂上がりの短パン一丁、上半身は裸のままだった。
「嬉しかった…。お兄ちゃん、やっぱりアタシ、お兄ちゃんが好き」
由美はそう言うと、俺に抱きついてきた。
「あっ、由美…」
「お兄ちゃん、ギュッとしてて」
由美はキスではなく、抱き締めてほしいとせがんできた。
「お兄ちゃんの温もり、懐かしい匂いがするね」
俺は由美の胸の成長を感じながら、ギュッと由美を抱き締めた。
「由美、関東大会頑張れよ」
「…うんっ!お兄ちゃん、見に来てね。絶対に1位通過するから」
「応援してるよ」
俺は由美を抱き締め、背中をトントンとあやすように叩いていた。
由美は落ち着いて、薄っすらと目を閉じていた。しかしその目からは、一筋の涙が零れ落ちていた。
(関東大会の前に、不安な気持ちを払拭したかったんだね、由美は)
関東大会まで、残り5日…。
<次回へ続く>
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