第40話 体内時計が狂う日々
期末テスト最終日、部活から帰ってそのまま俺の布団で眠ってしまった由美は、夜中に目覚めるだろうと思っていたものの、驚異の睡眠欲で翌朝まで起きなかった。
むしろ俺のほうが何度も気になって夜中に目覚め、由美を確認したのだが、ずっと制服姿のままで眠り続けていた。
(どんだけ疲れたんだ?腹減ってないのか?)
結局翌火曜日は、俺が寝不足のまま迎えてしまい、由美は驚いたように飛び起きてきた。
「お兄ちゃん!今って、朝?」
「おはよう。今日は7月10日火曜日の朝だぞ。ほら、ラジオを聴いてみろ」
ラジカセのスイッチを入れたら、ラジオ体操の歌を歌っているところだった。
「マジで?ねぇお兄ちゃん、なんで夕飯食べろとか、風呂入れとか、起こしてくれなかったのぉ?」
と、髪の毛が爆発し、制服が乱れまくって色気も何もない状態の由美は、俺の腕を掴んで責めた。
「いや、俺の布団が気持ちいいとか言って寝てる顔みてたらさ、あのさ、由美が可愛くて起こせなかったんだよ」
「かっ、可愛いって…」
一瞬にして由美の顔が真っ赤になり、頭から湯気を出しそうになっていた。
「由美は可愛いよ。でもその頭はなんとかしなくちゃな。急いでシャワーでも浴びなよ」
「うっ、うん、そうする!」
由美は着替えの下着ともう1着の制服を用意し、浴室へと駆け込んだ。
(朝飯はカレーを食ってもらわないとな…。由美のために増量して作ったんだから)
まだ梅雨が明けていないので、カレーもそんなに長いこと保管は出来ない。自分も食べて、由美にも食べさせようと思って、俺はカレーを再び温め始めた。
ほどなくして由美は浴室から上がったが、予想通りというべきか、ブラジャーとパンツだけの下着姿にバスタオルを頭から被ったオッサンスタイルで現れた。
「お前、制服も着替えるために持って行ってなかったか?」
「こんな暑いのにシャワーの後にすぐ制服着たら、制服がすぐ汗まみれになっちゃうよ!別にお兄ちゃんの前だから、この格好でもいいでしょ?」
「ま、まぁ、ダメじゃないけど…。とりあえず、朝ご飯はカレーライスな。夕べ、お前のために沢山作ったのに、寝続けちゃうからそのまま沢山残ってるんだ。俺も食べるから、由美も食べてくれ」
「…朝からカレー…」
「はい、そこの下着姿のオッサン、文句は言わない!早く髪の毛乾かしなさい」
「アタシはショートだからすぐ乾くよ。それよりお腹空いたから、カレーでいいから早く食べさせて~」
由美は胡坐を組んで駄々っ子のようにテーブルを叩いていた。7時を回り、テレビは「ズームイン!朝」が始まっていた。
「ウィッキーさんより早く出発したいよぉ」
「じゃあもう少し早く起きるとかしてくれよ。結局俺は由美の布団で寝たんだぞ?」
「えっ?お兄ちゃん、アタシの布団で寝たの…?」
「だって由美が俺の布団を使ってるんだから、俺はどこで寝るんだ?ってことだよ。由美の布団しかないじゃん」
「きゃ、アタシの布団でお兄ちゃんが寝たのね…。嬉しいような恥ずかしいような…」
「はい、そこのオッサン、恋愛モードになる姿じゃないから。カレー温まったから、食べな」
「アタシ、オッサンじゃないもん。由美って前を持つ女の子だもん。あんまりオッサン、オッサンって言ってると、いつか仕返ししちゃうよ?」
「仕方ないだろ、パンツ一丁の恰好なんだから」
「ぶ、ブラも着けてるもん…」
「いいから、いいから。下着汚さないように、カレー食べな」
「はーい」
何だかんだ言いつつも、カレーを食べるスピードは速かった。実際、昨日の昼ご飯以降、まともなご飯は食べてないから、猛烈な食欲が由美を襲っている筈だ。
(この姿を女子の水泳部の子達に見せたら、どんな反応するだろうな…)
「お兄ちゃん、美味い!お代わり!」
「お、おお。分かったよ」
俺が一杯食べ終わらない内に、二杯目を欲しがる。やっぱり空腹だったんだろう。
「はい、どうぞ」
「ありがとー。やっぱりお兄ちゃんは優しいな。大好きだよ」
「あっ、ありがとな…」
カレーライスを猛烈な速さで食べているブラとパンツのままの女子がいうセリフではない。だがそれも由美らしいといえば、由美らしいな…眠いぞ、俺は。
「ごちそーさまでしたっ!お兄ちゃん、ありがとっ!」
「こちらこそ」
俺は台所で俺と由美の皿を洗いながら、今日は大学を休んで一日寝ようと決意した。この眠さは半端ない。
「あ、由美…。三者懇談の希望日、18日にしといたから。先生に出しといてくれ」
「分かったよー」
もはや閉めることがほぼ無くなった、8条部屋の俺のスペースと由美のスペースを分けるカーテンのレールに、由美は制服を吊るしてスプレーをかけながら簡単にしわを伸ばして、下着の上に着用していた。
「他に忘れ物はないようにな。いつかみたいに体育あるのにブルマ忘れたって、戻ってくるなよ」
「そんなアタシの恥ずかしい過去を言わないでよっ。今日は体育ないから、このままでいいの。部活の水着と、部活後の下着さえ忘れなきゃ大丈夫…。ヨシッ、行ってきまーす」
由美はあっという間に女子高生に変身し、急いでアパートを出ようとした。だがその前に一瞬留まって、
「お兄ちゃん…。あの…行ってらっしゃいのチューして?ダメ?」
「えっ、そんな新婚さんみたいなこと…」
「ねぇ、お兄ちゃん…」
由美はいくつの顔を持っているのだろう。この恋する乙女モードの表情を、高校の制服姿でやられたら男としては悔しいがノックアウトだ。
「じゃ、由美、目を瞑って…」
「うん…」
チュッ♡
「エヘヘッ、ありがと、お兄ちゃん。一日頑張れるよ。じゃあね、行ってきまーす」
「行ってらっしゃい!」
アパートの玄関を元気よく駆け下りていき、近所の方に挨拶しながら高校へ向かう由美を見届けて、俺は玄関を閉め、改めて由美の布団を畳み、俺の布団を敷き直して、横になった。
(ふーっ、やっと落ち着いたな…。一晩だけでも由美がこの布団で寝たんだなぁ。なんかいい香りがする…)
俺はそのまま眠りに就いてしまった。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
「…センパーイ。正樹センパーイ!生きてますか?モシモーシ」
ん?俺は体を揺らされて、初めて気が付いた。
(わ、グッスリと寝てたんだな、俺。え?誰かアパートに来ている?)
俺は反射的に上半身を起こした。
「わーい、正樹センパイ!起きてくれた!良かった〜」
「もしかして、サキちゃん?」
俺は頭がボーッとしたまま、声がする方を向いて言った。
「ピンポーン!正解ですぅ」
「ど、どうしてサキちゃんが、俺のアパートにいるの?ってか、今何時?」
「えっとね、今は2時過ぎ」
「ひゃあ、俺は6時間寝てたんだ…。由美のことを言えないなぁ」
「ん?センパイが眠り込んでたのには、由美ちゃんが絡んでるの?」
「うん…。詳しく話すと長くなるけど、とにかく由美のせいで寝不足だったんだ。それで今日は大学に行く気力が無くって、由美が高校に行くのを見送ったら寝ちゃったんだよ。ちょっと休もうと思っただけなんだけどね…」
「それはそれは…」
「で、なんでサキちゃんが俺のアパートにいるの?」
「センパイ、今日のお昼はサークルの集まりがあったの、忘れてた?」
「あっ!夏の合宿について、だったっけ」
「そう、それにセンパイが来なかったから、どうしたのかな?と思って、他の先輩方に聞いてみても、今日は見掛けてないって言われたから、よーし、センパイのアパートへ見に行っちゃえ!それでアタシがいる訳で…」
「そっか。ウッカリしてたぁ。でも、玄関どうやって開けたの?」
「センパイ、鍵掛け忘れてたのかな?ドアノブ回したら開いちゃったよ。だから一応、お邪魔しまーす!って声出したんだけど、センパイは気持ちよさそうに寝てたよ」
「うわっ、入ってきたのがサキちゃんで良かったよ。押し売りや泥棒だと大変なことになってたね、ヤバいヤバい…」
まさか鍵を掛け忘れていたとは…。本当に危なかった。
「センパイ、まだ寝惚けてる?雨降りそうだから、アタシ、洗濯物取り込んで上げるよ」
「え、サキちゃんにそんなことさせちゃ…」
「フフッ、センパイ、何か秘密の干し物でもあるの?ないでしょ?じゃ、アタシがやってあげる!」
咲江はそう言うと、ベランダに出て、昨夜俺が干した洗濯物をサーッと取り込んでくれた。流石女性だ、スムーズな無駄のない動きだなぁ…まだ眠いぞ、俺は。
「はい、これだけだよね?センパイのと由美ちゃんのとに分けて…由美ちゃんの方が多いね、やっぱり」
「まあ水泳部だからね…」
「水着もこんなすごいの着るんだ?ハイレグって言うんでしょ?」
「らしいね…眠い…」
「センパイ、寝ちゃダメ!夜にちゃんと眠れなくなるよ」
「だよね、しっかり起きなくちゃ。顔洗ってくるね」
「それがいいよ、センパイ。アタシ、洗濯物畳んでるから」
「ゴメンね、サキちゃん」
俺は顔を洗って、ついでに歯も磨いて、朝やり忘れたルーティンを済ませた。
咲江はというと、由美のブルマを見ては懐かしいな〜といい、下着を見ては由美ちゃんらしいね〜と、一つ一つにコメントを付けていた。
「サキちゃん、なんだか由美の親戚みたいな感じだなぁ」
「えっ?由美ちゃんと親戚って…。そ、それはアタシがセンパイと結婚するってこと…?そしたら由美ちゃんは義理の妹に…。キャッ、ま、まだ心の準備が…」
咲江は妄想しやすい性格なのは既に分かっていたが、結婚まで飛んでいくとは思わなかった。
「サキちゃん、あの、このまま付き合っていけば、いずれそういう話も出るかもだけど、流石にまだお互い学生だしさ…」
「結婚したらアタシ、『石橋咲江』から『伊藤咲江』になるんだ〜」
ダメだ、すっかり咲江の脳内は俺との結婚に染まっている…。
「サキちゃん、途中になってる洗濯物、お願い!」
「はい〜。結婚したら、毎日センパイのパンツをこうやって洗って干して疊むんだね〜ウフフ。アタシは専業主婦がいいなぁ」
「サキちゃん、そろそろ現実に帰ってお出で…」
「大丈夫!アタシはセンパイの味方です!と言うことは、由美ちゃんの味方でもあります!」
「うん?」
「伊藤家の皆様には迷惑を掛けないってこと!あ〜、未来を想像したら楽しかったなぁ。センパイ、アタシの未来って、想像の通りになります?」
不思議ちゃんと化してしまった咲江にどう答えれば良いのか分からなかったが、とりあえず頷いておこうと思った。
「多分、大丈夫…と、思う…」
「センパイ、ありがとう〜。大好き!」
咲江は満面の笑みで、残る洗濯物を畳みながら、俺を見上げた。
「ところでセンパイ、今日は家庭教師の日?」
「えっと火曜日…。あ、そうだった!ボケボケだなぁ、忘れてたよ」
「教えて上げて良かった!アタシも火曜日はセンパイに会えないってアルバイト入れてるから、覚えてたの」
「助かったよ。授業は休んでも、バイトは休めないからね」
「はい!全部畳んだよ。ちゃんと由美ちゃんとセンパイのパンツは分けたからね」
「あっ、当たり前だよ…じゃなくて、まずお礼言わなきゃね、ありがとう」
「キャッ、センパイにありがとうなんて言われちゃった。ねぇセンパイ、もう1回、頭に咲江ってアタシの名前を付けて、ありがとうって言って?」
「…しょうがないなぁ…。『咲江、ありがとう』これでいい?」
「ひゃあ〜…」
咲江は顔を真っ赤にして、今にも卒倒しそうになっていた。
「センパイから1日も早く、サキちゃんじゃなくて、『サキエ』って呼んでもらえるように頑張るね!じゃあセンパイ、残念だけどアタシもバイトに行かなきゃいけないから、これで帰るね」
「俺も予習しなくちゃ…。サキちゃん、気を付けて帰ってね」
「はーい。センパイ、お別れの…キスして?」
「サキちゃん…。じゃ、目を瞑って…」
「うん…」
俺は咲江の唇に自分の唇を合わせた。
「んんっ…センパイ…」
由美と違い、咲江は積極的なキスをしてくる。互いに舌を突き合い、絡め合う。心なしか咲江の胸が押し付けられている気がする。
「はぁ、センパイ、このままだと、この先までしたくなっちゃうから、止めとくね」
咲江は唇を離し、そう言った。
「そうだね…。俺も火が着きそうだよ…」
「じゃ、センパイ、本当にバイバイ!また明日ね」
「うん。明日はちゃんと行くから。バイバイ」
咲江はそう言って、手を振りながら帰っていった。
俺は一息付きながら部屋に戻り、とりあえず頭を整理した。
「家庭教師の日だから、ちょっと予習して、由美に夕飯はカレーをもう一度温めて食べろとメモ書いて…」
そう考えつつ、今週末の関東大会、由美は大丈夫なのかと、俄に心配になってきた。
(俺もだけど、由美も今夜、ちゃんとした時間に寝て、明日の朝はちゃんとしたいつもの時間に起きれるかな?その辺、体内時計だっけ?それから体調管理もしないとダメだろうし。)
色々と心配が湧き上がる。とりあえず今夜、ちゃんと由美と同じ時間に寝なくては…。
<次回へ続く>
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