第39話 疲れ過ぎ
由美は高校の期末テストを必死にこなしていた。
その一方でインターハイへの切符がかかった、関東高校水泳大会が、期末テスト終了直後の7月15日(日)に、東京の代々木体育館プールで開催されるため、由美は期末テスト中も高校のプールで毎日泳ぎ、50mの感覚を忘れないようにしていた。
こんな時の由美は、特別な用事がない限りはあまり声を掛けない方がいいということを、俺は前回の県大会で学んでいたので、食事の時とかも静かに見守るだけだったが、夜に寝る時だけは俺の手を求めてきた。
「お兄ちゃん、ごめんね、毎晩…」
「いいんだよ。俺と手を繋ぐことで、由美が安心して勉強や水泳に集中出来るんなら」
「とにかく7月15日が終わったら、一旦落ち着けるから…」
「いや、由美の目標は関東大会で終わりじゃないだろ?仙台に行かなきゃ」
「…お兄ちゃん、インターハイの場所、覚えててくれたの?」
「もちろん!サキちゃんと一緒に東北新幹線に乗って見に行くから」
「うん!絶対に仙台に行くから!アタシ、頑張るからね!」
「そうそう、その意気だよ。頑張るんだよ」
「エヘヘッ、お兄ちゃん…大好き」
「俺も由美が好きだよ」
「ありがと…。お兄ちゃん、おやすみ…」
「うん、おやすみ」
由美は蕩けそうな笑顔で、眠りに就いた。
(前の県大会の時は、こんなやり取りもなかったもんな…)
昨年、両親が金沢へ引っ越していくまでは、俺と由美の部屋は別々だった。だから由美と顔を合わせるのは、食事の時や風呂がかち合った時くらいだった。
そんなこともあり、由美という妹について俺はしっかり理解しないまま、この2人暮らしに突入したともいえる。
それまではやや反抗期だったこともあり、我儘なことばかり言って親を困らせているだけで、幼少期の寂しがり屋だった側面はどこへ行ったのだろうと思うこともしょっちゅうだった。
それが俺と2人での生活を始めると、俺の知らなかった一面を由美は沢山見せてくれた。
年末にちょっと重い風邪を引いた時も、懸命に看病してくれたし、寂しい時は素直に俺に甘えるようになった。
たまに厳しい女子水泳部の主将としての顔を覗かせる時もあるが、基本的にアパートでは寛いで過ごしている。
遂には俺のことが好きだと由美から告白し、キスまでしてしまった。
だが俺と由美が本当の恋人となる訳にはいかないことは、俺も由美も分かっている。
いつかはお互いに、本当の恋人と、未来へ向かって歩んでいかないといけないのだ。
その相手が俺の場合、このまま咲江になるのか、あるいは変化が起きるのかは、神のみぞ知るところだ。
だがスヤスヤと寝ている由美を見ていると、俺の側からいつか離れていくことが、信じられなかった。いつまでも俺の側で、じゃれ合いながら大人になっていくんじゃないか、そうとしか思えなかった。
(とりあえず目の前の壁を乗り越えるように頑張れよ、由美)
俺は由美の頬にキスをした。その瞬間、由美は微笑みを浮かべたような気がした。
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そしてまず期末テストが終わり、由美は部活、そして関東大会に向けて集中出来る環境になった。
「お兄ちゃん、ただいま」
「ああ、由美、お帰り。疲れただろ?」
この日は水曜日で、俺は早く帰れる日だった。
「うん、疲れた〜。でもお兄ちゃんに見せなきゃいけないプリントがあったのを忘れててね…。はい、コレ」
「なんだ?また学期末恒例の何かか?」
「そうみたいね〜。お兄ちゃん、アタシ、ちょっと疲れちゃった。ちょっと寝ててもいい?」
由美がそんな事を言うのは珍しかった。由美のことだから期末テストが終わったばかりの日に部活で全力を出して、ペース配分を間違えたのだろう。
「ああ、夕飯が出来るまで寝てなよ…って、俺の布団を引っ張り出すの?」
「だってお兄ちゃんの匂いがするもん。安心するもん」
由美はそう言うと制服姿のまま、俺の布団を敷いて、ゴロンと横になった。
「あーっ、気持ちいいー!」
「由美、せめてスカートをもう少し整えて横になってくれよ…」
「エヘヘッ、大丈夫だもーん。ブルマ穿いてるから」
「いや、そういう問題じゃなくて…」
「彼の前でそんなスカートがどうのこうのとか、気にしなくてもいいでしょ?」
「かっ、彼?」
「アパートではお兄ちゃんは、彼だもん。アタシの彼氏!彼氏になら、スカートの中見られたって大丈夫だもん」
由美は俺の布団に寝転がりながら、制服が乱れるのも構わず、手足をバタバタさせて子供のように遊んでいる。
「由美、ちょっと危ない方向に行ってないか?疲れ過ぎてなんか変な妄想してるとか…」
「まさか!そんなことないよ。メッチャ疲れたけど、テストが終わった解放感と、部活でいいタイムが出た嬉しさがあるの。だから寝転んで、お兄ちゃんの匂いを感じて、心を癒やしてるんだ」
「そっ、そっか。まあ、気の済むまでゴロゴロしててくれ…。夕飯作ってやるから」
「ありがと、お兄ちゃん!」
関東大会を前に、緊張感は継続したまま帰宅してくると思っていた俺は、予想もしない由美の行動に戸惑いながら、夕飯にカレーライスを作りながら、由美が持って帰ってきたプリントを眺めていた。
(やっぱり三者懇談のお知らせか~。何々、7月16日から4日間の内、どうしてもこの日という日があれば書いてくれと…)
由美の関東大会が15日だから、次の日は月曜日で俺は空いているが、由美は疲れているだろう。その次に空いているのは水曜日なので、俺は7月18日にしてもらえば良いな、と思った。
「由美〜。このプリント、18日希望でもいいか?…由美〜」
返事がない。俺の布団の上で疲れを癒やすようにゴロゴロしていた筈だが…。
「スー…」
本当に寝てしまっていた。
「本当に疲れたんだね、由美は」
スカートの裾がズリ上がり、太腿まで露わになっていたので、俺はスカートを戻して、由美の体にタオルケットを掛けてやった。
カレーライスはほぼ出来上がったので、後は由美が目覚めたらもう一度温めることにして、由美が放置したバッグから洗濯物を取り出し、洗濯機に突っ込んだ。
「いつ起きるのやら…」
洗濯機を回すと、次は風呂を沸かした。昨日お湯を入れ替えたばかりだから、今日は沸かし直しでいいだろう。今日は夕方から夜に掛けての家事を全部こなしている気がする。
洗濯物を干し終え、風呂も沸かし、一息付いてテレビを入れたら、ニュースが入っていた。
しかし由美は起きる気配がない。
時折夢でも見ているのか、へへ〜とか言いながら、寝返りを打っている。
「もしかしたらこのまま寝続けるんじゃないか?」
俺は半ば諦めて、先に風呂に入り、カレーを温めて1人で食べ、俺の布団を由美が使っているので、由美の布団を由美のスペースに敷き、そこで寝ることにした。
念の為寝る前に由美に声を掛けたが、全く起きる気配がなかったので、半ば諦めていた気持ちを完全に諦めモードにチェンジし、パジャマに着替え、電気を消し、横になった。
「由美、おやすみ」
「うーん…そこはあぶにゃいな…」
変な寝言を言っているので、俺はそのまま寝ることにしたが…
(絶対に夜中に起きるよな…。パニックになるんじゃないかな…)
不安なまま、俺は由美の布団で眠りに就いた…。
<次回へ続く>
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