第26話 三角関係?
お金は2万円ほど持たせてやるから、ちゃんとしたスポーツ店でちゃんとした水着を選んでこい…と由美に言ったのだが、どうしてもお兄ちゃんも一緒に来てくれと由美が頑なに主張し、根負けした俺は日曜の午前中から、横浜高島屋へ由美と出掛けた。
「お兄ちゃんとデートみたいで、なんかワクワクするね!」
「デートってなぁ…。サキちゃんに見られたらどうするんだよ」
「サキ姉ちゃんなら大丈夫じゃん。アタシとはもう姉妹の契りを交わしてるんだから」
「なんだ、それ。いつの間にお前はその筋の人になったんだよ」
「だからこんなことしても大丈夫だよっ」
相鉄線が横浜駅に到着し、一斉にお客さんが降りて騒然とする中、由美はそう言いながら、右腕を俺の左腕に絡めてきた。
「ちょっ、由美…」
「いいじゃん、時にはお兄ちゃんと…。いつもサキ姉ちゃんに取られてるから、たまにはアタシにも腕貸してよ」
そう言われると断る訳にも行かず、そのまま腕を組んで高島屋に向かったが、日曜の午前だけに人混みも凄く、逆に腕を組んででもいないと、由美とはぐれそうだった。
「由美、しっかり掴まってろよ」
「うん。凄い人出だね、お兄ちゃん」
「なんだろうなぁ。何かやってんのかなぁ」
それもそうだ。この日は横浜開港記念日の翌日で、山下公園で一大イベントが開催されていたからだ。
2人がそれに気付くのは、高島屋に入ろうとした際、それっぽい看板を見掛けたからだった。
「お兄ちゃん、開港記念日だって!だから人出が凄いんだね」
「そうみたいだな。すっかり忘れてたよ」
「こんな日こそ、本当ならサキ姉ちゃんとデートしなきゃいけないのに…。アタシに付き合わせてゴメンね」
由美はしおらしくそう言った。
「まあな。でもサキちゃん、今日は何かバイトが入ってるとか言ってたよ。いつものバイトとかじゃなくて、単発みたいだったけど。それこそ開港記念日のイベント絡みだったりしてな」
「じゃあ今日はお兄ちゃんを独占しても大丈夫なの?」
「い、一応な。表面上だけは、だよ」
「やったぁ!」
そう喜ぶ由美を見ていると、由美が幼稚園児の頃、お兄ちゃんとおママごとして遊びたいの!と主張して、仕方なく俺が友達との予定をキャンセルして、由美に付き合った時を思い出す。
それから10年以上経ったが、素直に育った由美を見ていると、水泳のお陰もあると思うが、途中で脱線して変な道に進まなくて良かった、と心から思う。
「ねぇ、お兄ちゃん、スポーツ店、行こうよ〜」
「分かったよ。高島屋の何階にあるんだ?」
「確かね、5階だったと思うんだ…」
フロアガイドを見ていると、次々と人がぶつかってくる。
素直に育った由美だが、その分正義感も強く、短気だ。
わざとらしくぶつかってくるような相手に対して、睨むような仕草をし始めた。
(やばい、由美の変なスイッチが入る…)
「由美、5階だろ?とりあえずエスカレーターで上がろう」
俺は由美の手を引っ張った。
「ねぇお兄ちゃん!いくら混んでるからって、タックルみたいにして退け!ってぶつかってくるようなヤツには、足を引っ掛けて仕返ししてもいいよね?」
「まあまあ落ち着け。お前が痴漢されたら、俺がやっつけてやるから」
「本当?守ってよ、お兄ちゃん」
なんとか怒りの焦点をズラし、由美を5階へと連れて行った。
「おぉ…。凄いなぁ。スポーツ専門フロアみたいで」
「でしょ?この前、副主将と来た時、圧倒されたの」
総合スポーツ店もあるが、中には競技に特化した店もあった。野球、サッカー、バレーボール、ゴルフ…。勿論、水泳もあった。
「由美は目を付けてる水着とか、あるの?」
「…うん。あのね、スピード社の水着が、いい記録出せるって噂なんだ」
「どっかにスピード社の専門店、あるの?」
「あの…あそこ」
と何故か由美が照れながら指さした方向に、スピード社専門店があった。
「あれか。じゃあ、行こうよ」
「…うん」
由美は何故か照れている。
「どしたんだ?アパートで由美のパンツ一丁の姿見ても何も言わないのに、水着選びは恥ずかしくなってきたのか?」
「な、なんかね。試着して、お兄ちゃんに見てもらおうと思ってたんだけど、なんだか急に恥ずかしくなってきた…」
赤い頬の由美がそう言う。なんだ、まだまだ可愛い所が残ってるなぁ。
「そっか。もし俺が見るのが恥ずかしいなら、店員さんに見てもらえよ。プロなんだし」
「そっ、そうね。あまりに恥ずかしかったら、そうする…」
妙な状態で、俺と由美はスピード社の専門店へ入った。
ちょうど昨日から、開港記念日に合わせ、今年の水着フェアをやっているようで、同じフロアの他店でも、華やかな水着が沢山飾られている。中には、水着姿のキャンペーンガールまでいる店もある。
(凄いなぁ。ここまで女子の水着商戦って激しいのか)
由美は店内に入り、やっと落ち着いて品定めしている。
俺は店内のベンチに座って、由美を見守っていた。
だがこの後、予想外の出来事が待っているとは…俺も分からなかった。
「由美~、まだ時間掛かりそうか?」
「んー、多分」
「じゃ俺、有隣堂にでも行って立ち読みしてくるから。もし早く終わったら、ここで待っててくれ。俺もここへ戻るから」
「はーい」
返事は簡単明瞭だった。
だが有隣堂は横浜駅の地下にあるので、エスカレーターまでまた戻らねばならなかった。
スピード社の店舗前からエスカレーター乗り場まで人混みの中を歩いていると、さっきとはまた違う各種スポーツ店の前を通る。
その中には、さっきは遠くから見えた、水着のキャンペーンガールが店頭でいらっしゃいませーと可愛く声を上げている店もある。
(多分あの子も恥ずかしいだろうにな…)
と思ってその店の前を通り過ぎようとしたら、その「いらっしゃいませー」の声が、どうにも聞き覚えのある声に聞こえた。
(ん?なんか気になる…)
と思って、その水着姿の女性の方を振り返ると…
「サキちゃん!」
「いらっ…あっ…」
石橋咲江だった。今日だけの単発バイトがあると言っていたのは、このことか?
「せ、センパイ、コンニチハ」
「サキちゃん、まさかこんなバイトだったなんて思わなかったよ…」
「ジツハデスネ、コノオミセノシャチョウサント、ウチノオトウサンガナカガヨクテ…」
「え?聞こえないよ〜、サキちゃん。別に責めるつもりは全くないから、普通に話そうよ」
「そうですか?こんな姿を、先輩に見られてですね、アタシは恥ずかしくてですね…」
確かにサキちゃんは顔から湯気が出そうなほど照れていた。
とはいえこの前、俺のアパートでやっとお互いの裸を見せ合ったのに、水着姿は別なのか?
女心とは不思議なものだ…。
「先輩は今日はどうして高島屋へ?」
「ああ今日はね、由美のインターハイ用の水着を買いに付き合わされてるんだ。でも水着屋さんの中にいてもなんか落ち着かないから、由美も時間が掛かりそうだし、本屋さんで立ち読みしてようかなって思ってね。エスカレーターへ行こうと歩いてたら、聞き覚えのある女の子の声が聞こえたから…」
「そっ、そうなんですねっ!」
「サキちゃん、今日は何時までバイトなの?」
「夕方5時までですっ!」
「それまで、ずっとその格好なの?」
「えっと、はい、そうなんです…。やっぱり恥ずかしい〜。先輩、由美ちゃんには、コノコトヒミツニシテオイテクダサイネ」
「アハハッ、分かったよ。でも水着だから、風邪引かないようにね」
「ハイ、キヲツケマス」
因みに咲江が着ていた水着は、お洒落なワンピースの水着だった。ビキニよりは露出も少ないし、やたら競泳用みたいなハイレグでもなかったので、その点は安心だった。
しかし咲江は照れて真っ赤になって、俺が姿を消さないとバイトに支障が出そうだった。
何とか咲江と目を合わせると、手を振って上げたが、咲江は照れて、何故かお辞儀をして俺を見送ってくれた。
(サキちゃんの水着はユネッサン以来だなぁ。やっぱりプロポーションが良いから、こんなバイトに声が掛かるんだろうな)
俺は混雑するフロアを降り、有隣堂でプロレスの本を立ち読みして時間を潰していた。
(全日本は天龍が抜けてどうなるんだ?)
その頃はプロレス界にSWSという団体が出来、全日本プロレスから天龍が引き抜かれ、お先真っ暗という状況になっていた。
そんなプロレス関係の週刊誌やムック本を読み漁っていたら、あっという間に時間が過ぎていた。
(やべっ、つい立ち読みに夢中になっちゃった)
由美はきっともう、水着を選び終わって、俺を待っているだろう。
どんだけ立ち読みに時間がかかるの!って怒ってる顔が脳裏に浮かぶ。
再び5階のスポーツフロアに行き、スピード社のお店へ駆け込むと、由美を見付けたが…。
「由美!待たせたろ、ゴメンな。ついついプロレスの本に夢中になっちゃってて…」
「あっ、お兄ちゃん!アタシこそゴメンね。もう1着決めてなくて…」
「へ?今の由美の状況は?」
「3着水着を買おうと思ってて、2着は決まったんだけど、もう1着が決まらなくて…」
「そ、そうか。まあ、慌てずに選べよ…」
俺は店内のベンチに座り込み、あんなに焦る必要無かったじゃんか!と若干苛ついてしまった。
しかし由美のこだわりは凄いもんだ…。由美に付き添ってくれている店員さんを見たら、明らかに疲弊している。相当な無理難題を突き付けているんじゃないか?
さっきは遠くに見えていたサキちゃんもいなくなっていた。昼休憩にでも入ったのだろう。
「お兄ちゃん!」
やっと由美に呼ばれた。3着目が決まったのか?
「どう?3着目が決まった?」
「実はね、その3着目で悩んでんの!店員さんのお話聞いてたら、どっちも良さそうなの。だから最後はお兄ちゃん、決めてよ。アタシの右手と左手、どっちの水着がいい?」
「はぁっ?結局まだ決まってないのかよ…」
由美が持っている競泳用水着を見ると、右手の方も左手の方も、色ぐらいしか違いが分からない…。
かと言って店員さんに尋ねるのも、既に疲弊しておられるのが分かるので、これ以上迷惑は掛けられない…。
(こういう時って、実は女性ってのは、買いたいものは決まってるって聞いたことがあるぞ。ただそのもう一方の方を候補から外すのに、背中を押してほしいだけらしい…。買いたい方は利き手側に持つだろうから…)
「よし、由美。右手の方にしろ!」
ふう、これで決まるだろう…
「え?」
「え?ってなんだ、え?って」
「アタシ、お兄ちゃんなら左手の方選ぶかと思ったけどなぁ…予感って当たらないねぇ。じゃ店員さん、長いことスイマセン。コッチの方に決めます!」
「…もう心変わりはなさいませんか?」
「はい、兄が決めたので、コッチにします」
「分かりましたよ。じゃ、レジにお越し下さいね…」
店員さん、心変わりがどうとか言ってたな…。由美のヤツ、何着も違う、違うとか言って、相当困らせたんじゃないのか?
レジで会計を済ませた由美が戻って来た。
「お待たせ〜、お兄ちゃん!」
満面の笑みでルンルンな顔の由美を見ると、何時間掛かってるんだと説教してやる気満々だった俺の気持ちが、一瞬にして萎んでしまった…。疲れと空腹が一気に襲ってきたのもある。
「…満足な水着買えたか?」
「うんっ!ちょっと店員さんを困らせちゃったけどね」
そりゃ2時間ほど店員さんを連れ回したら、満足いかない方がおかしいだろうよ…。とにかく疲れたし腹減ったぞ、俺は…。
「あ〜、早くこの水着着て、泳いでみたーい!ねぇお兄ちゃん、今から保土ケ谷プールに…」
俺の目を見て、由美は発言を止めた。
「…行けたらいいけど今日はもう帰ろうか?ね、お兄ちゃん?」
「そうしてくれたら助かるかな、俺は…」
「じゃ、何か食べてから帰ろうよ。ね?お兄ちゃん」
「…腹減った…」
「ラ、ラ、ラ、ラーメン屋さんでもい、いいよ。あー、アタシ、塩ラーメンにしようかなっ」
「じゃ、地下街のラーメン屋、早く行こうぜ、由美」
「うん」
そう言って由美はエスカレーターの方へと歩き出したが、思わず引き留めた。
「なっ、何よお兄ちゃん。腹減った、死ぬとか言ってて」
「そっち…じゃなくて、こっちから回るぞ」
「なんで?遠回りになるのに」
「遠回りもしてみたいんだ、空腹の状態で」
「…意味分かんないですけどー」
分かってもらったら困る。“そっち”はサキちゃんが水着のキャンペーンガールをしてる店があるからだ。
「ねえお兄ちゃん、アタシが時間かけ過ぎたのは悪かったけど、なんかイライラの仕方が変だよ?」
「何にもない」
その時、咲江はあと半日だーという思いで、再度店頭に立った。丁度エスカレーターの降り口に、伊藤先輩と由美ちゃんがいる。買い物デート終わったのかな?
しかしその瞬間…
「えっ!?どっ、どうして?」
由美はエスカレーターに乗った瞬間、ちょこんと正樹の前方に飛び降りて、正樹を見上げると、唇を重ねていた…。
「ゆ、由美ちゃん、何それ…」
【次回へ続く】
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