第25話 ブラコン?

 アパートに帰り付くと、電気は点いていた。由美はもう帰ってきているということだ。


「ただいま!」


「ホゲッ?お、お兄ちゃん?おっ、お帰り…。バイトは?」


「店長さんの計らいで、早く帰してもらえたよ。由美がどんな食事してるか心配されて、賄い食を持たされたんだけど…。なんだ、その格好とカップラーメンは」


 正樹が呆れたのは、恐らく風呂から上がった後にパジャマも着ず、下着姿のままで胡座を組み、カップラーメンを食べていたことだ。


「だって、お兄ちゃんが居酒屋バイトの日、こんな早く帰るなんて思わないし。アタシも疲れてるから夕飯作るの面倒だし…。で、こうなっちゃうのね。暑いし」


 由美はちょっと照れながらそう答えた。


「まあ格好は自宅だからパンツ一丁でもいいとして、夕飯がカップラーメンでいいのか?俺がいる時は由美が水泳でいい記録出すために、少しでもカロリーとか計算して鶏肉のソテーとか作ってんのに、カップラーメンで台無しじゃんかぁ」


「お兄ちゃん、パンツ一丁じゃないよ。ブラも着けてるから…」


「そんなのどうでもいいんだよ!」


 由美はシュンとしてしまった。ちょっと俺も言い過ぎたかな…。


「ごめん、ちょっと言い過ぎた。カップラーメンじゃなくて、これを食べな」


 俺は居酒屋の店長が、由美のために作ってくれた賄い弁当を、テーブルに置いた。


「えっ、本当にアタシのために?店長さんが?」


「そうだよ。この厳選されたメニューを見よ!ヘルシーだろ?」


「うわぁ、まだ温かいよ〜。ありがとう、お兄ちゃん」


「本当のありがとうは、インターハイ関連が全部終わった後に、店長さんに直接言いな。あとその食べかけのカップラーメン、俺が食うから」


「じゃあ、上げる。これはこれで美味しいんだけどな…」


「はい、邪念を捨てなさーい。あと俺が目のやり場に困るから、せめてTシャツや短パンを着てくれよ」


「アタシは別に、今更お兄ちゃんにブラとパンツだけの格好見られても大丈夫だけど」


「あの…さ、由美が大丈夫でも…俺がムラムラしちゃうんだよ…」


「あっ!お兄ちゃん、遂に本音を吐いたね?そっかー、アタシも女として色気が身に付いて来たのね。んもー、素直じゃないんだから」


「何でもいいから、早く何か着てくれ、女子高生さんよ!」


「はーい」


 由美はやっとTシャツと短パンを身に着けた。

 その時に見えた由美のパンツは、俺がクリスマスプレゼントとして由美に買ってやった1枚だった。


(あのパンツ、気に入って穿いてるんだなぁ…)


 俺は由美が一口だけ食べたカップラーメンを、そのまま食べ始めた。


「あっ、お兄ちゃん、カップラーメン…」


「ん?まだ惜しいの?」


「い、いや?そんなこと、ない、よ」


 何故か由美は照れたように顔を赤くしていた。


「じゃあいいじゃん。由美は店長特製弁当で栄養付けな」


「うっ、うん…」


 下着姿を見られても動じなかった由美が照れたのは、正樹がカップラーメンを、由美が口を付けた割り箸でそのまま食べ始めたからだった。


(お兄ちゃんと割り箸で間接キスしちゃった…。もう!お兄ちゃん、鈍感なんだから…)


 正樹は全く割り箸問題には気付かず、あっという間にカップラーメンをスープまで全部飲んで完食していた。


「ふう、ご馳走さま。カップも割り箸も、燃えるゴミで良かったよな?」


 正樹が燃えるゴミの袋にまとめて入れそうだったので、由美は慌てて止めた。


「ん?なんか分けなきゃいけなかったか?」


「あっ、あのね、そうじゃないの…」


 相変わらず由美は照れているが、すっかりリラックスモードの正樹は気が付かない。


「まとめて入れていいんだろ?」


「えっとね、あっ!そう、わっ、割り箸は、細長くてゴミ袋を突き破りやすいから、他の割り箸とまとめて捨てるようにしてるの、そうだったわ、忘れてた…」


 由美は顔が赤いだけではなく、脂汗もかいていた。


「なんだ、じゃ、カップだけゴミ袋に入れとくよ。割り箸は別に置いとくから」


「うん、ありがと、お兄ちゃん…」


「どうした?顔が赤いけど。あっ、長いことパンツ一丁だったから、風邪引いたんじゃないか?」


「ち、違うよ!そんなに直ぐに風邪引くような、ヤワなアタシじゃないよ。何部だと思ってんの?」


「そっか。気のせいかな?まあ、店長特製弁当、冷める前に食べなよ。俺、風呂に入るから」


「うん、そうする。お兄ちゃんは早くお風呂に入っちゃって!」


「はい、はい…」


「お兄ちゃん、『はい』は1回!」


「急に厳しくなったな。ま、風呂入る時に洗濯機回すから、由美も何かあれば今の内に入れといてよ」


「アタシはさっきお風呂に入る時に、洗いたいのは全部突っ込んだから、大丈夫!とにかく早くお風呂に入って、お兄ちゃん!」


「なんか追い出されるような感じだな。着替えだけ取りに行かせてくれよ」


「そそそ、そうねっ、どーぞ!」


 ドタバタしながらも、正樹が洗濯機に脱いだ衣服や下着を突っ込んで、洗濯機のスイッチを入れ、風呂に入ったのを見て、由美はやっとホッとした。


(お兄ちゃん…。鈍感!でも割り箸は大切にするんだから…)


 由美は正樹から奪還した割り箸の先端にキスしてから、丁寧に洗い、由美の机の引き出しに仕舞った。


(どうしよう…。サキ姉ちゃんに勝てないのは分かってるのに、お兄ちゃんのことがどんどん好きになるよぉ。こんな時、どうすればいいの?)


 由美は2人暮らしを始めてから気付いた、兄・正樹への気持ちが、日に日に増して来ていることに悩み始めた。



 そして今までの由美なら、いくら水泳部優先でも、定期試験の前は一切泳がず勉強に集中していたが、3年生となったこの年は、定期試験よりもインターハイ予選に備え、毎日泳いで感を鈍らせないことを優先していた。


 そのためか5月下旬の中間テストでは、いつもより成績を落としてしまったようだ。


「どれくらい成績落としたんだ?」


「ま、まあ平均以上取れてた科目で、平均並みしか取れなかった…って感じかな。あっ、体育は大丈夫だよ」


 由美はこれまでの実績もあるので、高校での内申点評価はそう簡単に落ちたりしないだろうが、推薦ではない大学入試となると一発勝負である。


 このままだと期末テストでも同じようなことが起こり、成績が更にダウンし、一学期の評価が芳しくない結果になってしまうかもしれない。

 事実上、一学期の成績で受験する大学を決めていくことになるので、あまりダウンされると、受ける大学もレベルを落とさねばならないかもしれない。


「由美は、塾とか予備校は…」


「ぜーったいに行かない!」


「通信添削は…」


「ぜーったいに受けない!」


「家庭教師…」


「論外!」


「家庭教師論外は止めてくれよ、俺のバイトなんだから」


「あ、お兄ちゃんに教えてもらえるなら、OKだよ」


「いや、俺が教えているのは高校入試の為の勉強だから。大学入試までは勘弁してくれ…」


「えーっ、つまんないの…」


 とにかく由美は、大学受験のために塾に通うとかは、まったく考えていないらしい。

 ひょっとしたら、我が家の財政事情を由美なりに慮ってくれているのかもしれないが…。


「アタシ、生まれてから今に至るまで、何か塾とかに通ったのって、スイミングスクールだけだよ。でもそれで高校も突破したんだし。大学はそう簡単にはいかないかもしれないけどさ。それでも…何とか今まで、高校の授業だけで頑張ってきたんだ。だから大学入試も、高校の先生を信じて頑張るし、それと夏までは塾どうのこうのより、インターハイだよ」


 由美なりに今後のことを考えて、今の段階ではこういう結論になっているのであろう。


 もちろん、今後考えが変わる可能性は大いにあるが、俺は由美をバックアップして無事に高校を卒業させることが使命だと思っている。


「分かったよ、由美。インターハイに向けて悔いを残すなって言ったのは俺だしな。まずはその予選を突破しなくちゃ、だな」


「ありがとう、お兄ちゃん。そこで一つ、お願いがあるんだけど…」


 由美は甘えモードになり、俺にすり寄ってきた。


「なっ、なんだ?急に…」


「アタシの水着、毎日ヘビロテしてたら、ちょっと危なくなってきたの。今更だけど、水着何着か、頼めないかなーっていう、可愛い妹からのお願い。ねぇ、お兄ちゃーん…」


「お前、全部で何着水着持ってるんだ?」


「高校の公式水着は3枚で、これはたまにしか着ないから大丈夫と思うんだ。それ以外の普段の練習用が5枚あるんだけど…。春に2枚買ったら、とんでもない粗悪品でさ。泳ぐと透けるんだよ!」


 春に2枚買った…と由美が言っている水着は、もしかしたらサキちゃんが由美に会いに来てくれて、俺が別室へ追い出された時に見かけたものかもしれない。

 確かに柄は派手で、いわゆるVゾーンも心配になるくらいハイレグで、なんでこんなのを由美は買ったんだと思ったほどの水着だった。


「いくらで買ったのさ、その粗悪な水着は…」


「うっ…。1枚1280円…に3%の消費税…」


「なっ、なんか男物の海パンより安くないか?そんなの、どこで買ったんだよ」


「…希望ヶ丘のイトーヨーカドー…」


「なんでスーパーで買うんだよ、そんな大事な練習用水着を」


「たまたまね、友達と春休みにイトーヨーカドー探索してたら、スポーツコーナーに処分価格!って書いてあって、何着か並んでたの。こんな安いんなら買わなきゃ損だと思ったの。それで2枚買ったんだけど…」


「透けてるのって、他人に言われなきゃ意外に気が付かないもんだろ?誰かに言われたのか?」


「…部活中に…2年生の後輩から…」


 由美はその時の光景を思い出したのか、真っ赤な顔になっていた。


「はぁ…。まだ良かったな、後輩で」


「いや、その前に数回、保土谷プールで着てるの」


「なにぃ、もしかしたら何回か透けてるのを、他人に見られてる可能性があるってことか?」


「うーん、アタシが保土谷に行く時は、殆ど他に人はいないから、そんなに気付かれてないとは思うんだけど…」


「うーむ…。まぁ、過ぎたことは仕方ないとして、即刻処分しなきゃな。由美、こういうのを、『安物買いの銭失い』って言うんだ。勉強したと思って、ちゃんとしたスポーツ店で買ってこいよ。で、1枚いくらぐらいするんだ?もう見に行ったのか?」


「………円」


 由美は今度は、この前見てきたちゃんとしたメーカー品の水着が高いため、値段を言うと正樹が怒るかと思い、口籠ってしまった。


「え?なんだって?志村けんの神様みたいになっちゃうよ。いくらぐらいするの?」


「…千円くらい」


「もうちょい大きな声で頼むよ」


「7千円!」


「なんだ、由美が口籠ったりするから2万円とか3万円とかいうのかと思ったら、7千円か。気にするな、それくらいなら3枚くらい買ってやるから」


「本当?わーい、良かった!ありがとう、お兄ちゃん。だからお兄ちゃん、大好き!」


 俺は又も繰り出された、『お兄ちゃん、大好き』に反応してしまった。一体いつから由美は俺に対してこんな愛情表現をするようになったんだ?


【次回へ続く】

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