第24話 夕飯問題

「愛しのお兄様、たっだいま~」


「お、今日はそうくるか!お帰り、由美」


「うん。ねえねえ家庭訪問、どうだった?お兄ちゃんの中二病はちゃんと治してもらったの?」


 一瞬、先生と一緒に女子更衣室を覗いていたとかいう馬鹿な過去の話を蒸し返されたかと思ったが、由美は聞いてないはずだ。安心しろ、俺…。


「あのな、中二病の男がこんな豪華な唐揚げ作るかよ?」


 今夜は鶏の唐揚げにした。家庭訪問が終わった後、買い物に出かけて、唐揚げ用鶏肉を大量に仕入れてきたのだった。


「おわっ、凄ーい!食べても食べてもなくならないんじゃない?ありがとう、お兄ちゃん、だから大好き」


 由美は軽く何気なく言ったつもりだろうが、不意に俺は動揺した。


(お兄ちゃん、だから大好き)


 由美が幼稚園の頃、将来の夢は何?と親が聞いたら、


「お兄ちゃんのお嫁さんになるの」


 と答えたことがあった。


 だがそんなのは遠い幼児の頃の話だ。

 2人暮らしを始めてからは、初めて聞いた単語だった。


 由美は気楽に言ったのだろうが、俺には結構重い一言に感じた。


(もしかして彼氏を作ろうともしないのは…俺のせい?)


 奥の由美スペースで私服に着替えている由美を見て、つい思ってしまった。


(まあまあ、流れでそう言っただけだろう…)


 俺は夕食のメニューをテーブルの上に並べつつ、大した発言ではなかったんだと思い込ませようとしていた。


「由美~、洗濯物は洗濯機に今の内に入れてくれよ~」


「はーい。あっ、お兄ちゃん!大変なことがあったの!」


 俺は夕飯の準備の手を止めて、聞いた。


「なっ、何が起きたんだ?」


「遂にブルマが破れたの~。シクシク」


「な、なんだ…。ビックリしたじゃないか…」


「あっ、お兄ちゃん、たかがブルマと思ってるでしょ?忠実屋で買えばいいと思ってるでしょ?ウチの高校のブルマは特製だから、購買に申し込まなきゃいけないんだよ!で、時間が掛かるの!なんでか知ってる?氏名をウエストに縫い込むからなの!だから早く申し込まなきゃいけないし、待ってる間に2枚目、3枚目が破れていく可能性だってあるのよ!破れたらどうなるか知ってる?その下のパンツが見えちゃうのよ!」


 その迫力に俺は気圧されていた。


「わ、分かった…。明日にでも、申し込んでおいで…」


「良かった~。じゃ、5枚申し込んでいいよね?」


「5枚!?なんで1枚敗れただけでそんなに?」


「だって基本的には部活の時使うから毎日必要だもん。入学説明会の時に5枚買ってもらったんだもん。その後足らないっていって、3枚追加したほどだもん。今使ってるのだって、破れるのは時間の問題よ?」


「わ、分かったから…。まあ水泳部だしな。普段の体育もあるし、部活で使う時もあるし、ということで…」


「ありがとう、お兄ちゃん!女子高生の必須品を分かってくれて。だからお兄ちゃんのこと、大好きなんだ。エヘヘッ」


 また出た!キラーワード!


 一体由美はどうしたのだろう。2人暮らしを始めてから、俺が由美の要求に応じたり、屈したり、色んな場面があったが、「好き」なんて単語は全く聞かなかった。


 それが今、短時間で2回も、である。


「安心して唐揚げ食べれる~。お兄ちゃん、早く食べないと冷めちゃうよ」


 この妹は一体どうしたんだ…。「金沢大学」の謎と、突然「好き」と言い出した謎と、新たな宿題を俺に課したような気がしてならなかった。




 5月に入り、由美はインターハイ出場を目標に、部活に割く時間が増えてきた。インターハイに出るためには、2つの予選大会を突破しなくてはならないからだ。


 中間テスト期間に入ったら部活は禁止になるのだが、テスト期間中も由美は1人で放課後、保土谷プールに通って、25mプールを納得がいくまで何往復もしてから、アパートに帰ってきている。


 なので日によって帰ってくる時間は異なる。


 納得いく泳ぎが出来たら早く帰ってくるし、納得いく泳ぎが出来なかったら、プールの閉館時間まで泳ぎ続けている。


 由美は木曜から日曜までは、俺のバイトしている居酒屋に夕飯を食べにくるのが慣例なのだが、最近はプール漬けになっており、居酒屋にやって来ることも激減していた。


「最近は伊藤君の妹さんも忙しいみたいだね~」


 と空いた時間に店長から聞かれた。


「はい、本人はもうインターハイで頭が一杯みたいです。だから普段の部活の後も一旦部活を締めた後、由美だけ別のプールでひたすら泳いでるみたいです」


「そうかぁ。でも食事とか、大丈夫か?体力付けなきゃいけないだろ?」


「そうですね。俺が早く帰れる日は鶏肉料理を作ってるんですが、俺が遅い時は何食べてるのやら…」


「よければさ、妹さんの大会が全部終わるまで、伊藤君は2時間ほど早く上がって、ウチの賄い飯を持って帰ってやりなよ」


「えーっ、そんな、申し訳なさすぎます」


「だって定時だとウチは夜11時だろ?伊藤君はちゃんとその後の片付けもしてくれるから、いつも最終近くで帰ってるだろ?それを9時で上がって、すぐにアパートに帰って、まだ温かい賄い飯を妹さんに食べさせてやりな。ウチの賄いは絶品だ!って前に妹さんが言ってくれたの、覚えてるから」


「そんなの…いいんですか?」


「おぉ、伊藤君はウチで働いてくれて何年になる?」


「大体丸2年ってとこですかね?」


「だろ?居酒屋で丸2年もバイト続けてくれるなんて、珍しいんだよ。入れ替わりが激しいからさ。入ってもすぐ辞めちゃったり。だから2年も勤めてくれてる伊藤君へのボーナスだ。あ、その代わり、開始時間は悪いけどそのままで頼めるか?」


「店長、なんとありがたいお言葉を…。でも、ありがとうございます。由美はここの賄い食が本当に好きなので、喜ぶと思います」


「じゃ、今日から早速実施しようか。賄いはもう作ってあるから、これをパックに詰めて…。はい、持ってってあげな」


「いいんですか?いきなり今日からなんて」


「いいよ。あ、もし妹さんがインターハイまで進んだら、水着にウチの店の名前をこっそり書いてテレビに映るようにしてくれよ」


「て、店長、流石にそれは無理かと…」


「ハッハッハ!分かってるよ。とにかくそれくらい、俺らも応援してるからってことだよ」


「ありがとうございます!ではお言葉に甘えて、早速今日の賄い食、持って帰らせて頂きます」


「ああ、気をつけてな。今日もありがとう」


 俺が横浜駅地下街にあるこの居酒屋でバイトを始めたのは、滑り止めのK大学に通いながら、どうにかして屈辱を晴らしたい、そのためには働きながら大声を出せる環境がいい…と思ったのが理由だった。


 幸い周囲の先輩方、正社員さんに恵まれ、ここまで辞めようと思うこともなく勤め続けられている。


 店長には、もし就職活動が上手くいかなかったら正社員として採用できるから、いつでも相談してくれとまで言われている。


 俺は大学こそ理想通りにはいかなかったが、その他のサークル、バイトでは人の縁に恵まれたなと思った。

 念願の彼女もサークルで出来たこともあって、今となっては、K大学でよかったと思うことが増えている。


(人の縁って、何処でどうなるか、分かんないもんだな)


 俺は少しでも早く賄い食を由美に持って帰るため、いつもは二俣川での乗り換えが面倒で横浜から各駅停車のいずみ野行に乗っているのを、急行海老名行に乗って、二俣川でいずみ野行に乗り換えようと思った。


(由美、待ってろよ〜)


【次回へ続く】

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