第14話 兄は風邪、妹は…

 俺は大学の後期、由美は高校の2学期が終わり、冬休みに入った。平成元年12月22日のことだ。

 正式には2人とも冬休みは12月25日(月)からだが、新しい天皇陛下の誕生日が12月23日ということで、急遽クリスマスイブ前日の日が祝日になったのだった。そのため事実上、12月22日の放課後から冬休みのようなものだった。


「お兄ちゃん!勝負パンツと、ここ一番の水着のお陰で、部内記録会は全種目トップだったよ!嬉しかったよ!」


 夕飯の時、由美は嬉しそうに報告してくれた。


「そうか?部の中だけでも、全種目で1位だったら、嬉しいよな…」


「うん、アタシめっちゃ嬉しいの。ありがとう、お兄ちゃんのお陰だよ!」


「俺はパンツを買って上げただけだよ…」


「でもアタシには、お守りみたいなパンツになったよ。だからこれからもいざ!って時は、今日のパンツを穿くんだ」


「まあ、由美が気に入ってくれたのは嬉しいよ…」


「ねぇ、お兄ちゃん、なんか元気がないことない?大丈夫?」


「そう見えるか?隠せないもんだな…。実は…」


 三者懇談の日、スーツでS高校へ出掛けてから、風邪でも引いたのか、身体がダルくなっていた。何とか大学の軽音楽サークルのクリスマス会までは…と24時間闘えるような宣伝をしている栄養ドリンク等を飲んで頑張って来たのだが、それも無事に終わったことで、緊張の糸が切れたようになっていた。


「そうだったの…。無理してたんじゃない?お兄ちゃん、顔も赤いし熱あるんじゃないかな?」


 由美が、額を俺の額にくっ付けた。思わぬ由美の行動にビックリしたが…


「わわ、熱いよ?ちゃんと体温計で測ろうね」


 由美の態度が全く普通だったことに安心した。


 由美が押入れの薬箱から、体温計を出してきた。


「わ、悪いな、由美…」


 元々今夜の居酒屋のバイトは、サークルのクリスマス会を理由に休んでいたのだが、ヘタしたらしばらく休まないといけないかもしれない…。


「5分経ったから、体温計、頂戴。えっと…わっ!お兄ちゃん、39.1度もあるよ!なんにもしなくていいから、早くパジャマに着替えて横になって。あと、とりあえず風邪薬も飲まなきゃね」


「ああ、悪いな」


「大変な時はお互い様だよ」


 由美は俺のスペースに、布団を敷いてくれた。


「はい、マクラにこれを載せてね」


 冷凍庫から由美は、アイス枕を持って来て、タオルで巻いてくれた。


「ありがとう…。由美、感謝するよ」


「ううん、やっとお兄ちゃんに恩返し出来るから、これで…」


「恩返し?」


「だって今までアタシは、家事の大半をお兄ちゃんにやってもらってるし、そのくせ寂しくなったり不安になったりしては、お兄ちゃんに慰めてもらってる甘えん坊だから…」


「そんなの、家族だから、当たり前だろ…」


「その当たり前が、アタシには嬉しかった…。アタシのお兄ちゃんは、いつまでもアタシのお兄ちゃんなんだって、改めて思ったの」


「いいんだよ、由美。たださ、ちょっと風邪が酷い割に、今日は金曜日で、明日は土曜日だけど新しい天皇誕生日の祝日だろ?だから病院も月曜日まで行けないと思うんだ…。その間、居酒屋にバイトに行けないって、連絡してくれないか…?」


「うん、それくらい電話して上げるよ。アタシも賄い食、タダで頂いてるんだもん。他に何かあったら、なんでもアタシが代わりにやってあげるから、言ってね」


「あっ、そうだ…」


「まだあった?」


「年末年始はさ、金沢にお出でって母さんに言われてたんだ。でもこのままだと、ちょっと、無理だな…」


「無理しないでいいよ。金沢は2人共元気な時に行こうよ。すぐ近くって所じゃないもん。うん、電話しとくよ」


「ありがとう…」


 由美がとても頼もしく見えた。

 風邪を拗らせたのは俺が悪いのだが、こういう時に1人暮らしだとどうしたら良いか分からず大変だ。


 幸い俺は妹の由美と2人暮らしのお陰で、色々助けてもらえる。

 最初は戸惑った妹との2人暮らしも、悪くないな……。薬を飲んだせいか、俺はいつしか眠ったようだ。


「お兄ちゃん、お兄ちゃん?寝ちゃった?ありがとう、お兄ちゃん。いつもアタシの我儘聞いてくれて。大好きだよ、お兄ちゃん…。早く熱下がるといいね。とゆーか、下がりますように!」


 由美は冷やしたタオルを、熱が高くて息が荒い正樹の額に載せた。


「アタシが看病してあげるからね」


 そして由美は、正樹のバイト先の居酒屋と、金沢の両親に電話を入れた。


 居酒屋のご主人は、正樹ではなく、由美が電話してきたことで、相当体調が悪いと思われたらしく、無理せずに完治してから出勤してと伝えてほしいと言われた。

 由美がいつも正樹と一緒に顔を出しているのも効いたかもしれない。


 金沢の両親は、正樹の高熱にビックリしていた。

 これまでも風邪を引いても、そんなに高い熱になったことはないらしい。

 年末年始は無理せず、また別のタイミングで金沢にお出でと言われた。


「とりあえず、お兄ちゃん関係で電話する所は大丈夫だよね、多分」


 由美は、既に眠っている正樹に声を掛けた。


「お兄ちゃん、お風呂沸かして入るね」


 由美が風呂のガスのスイッチを入れようとしたら、お湯が暖かかった。既に1回沸いていたことが分かった。


(お兄ちゃん、身体がツラいのに、お風呂まで沸かしておいてくれたんだ…)


 由美は、一筋の涙が溢れた。


「お兄ちゃん…」


 由美は正樹の枕元まで行くと、風邪が感染っても構わないと思い、正樹の唇に由美の唇を重ねた。


「優しい、優しいお兄ちゃん…。大好き!早く治ってね。アタシの大切なファーストキスのおまじないしたんだから」


 正樹は眠っているはずなのに、由美にはふと微笑みを浮かべたような気がした。もう一度由美は、正樹の唇に自分の唇を重ねた。まるで正樹の熱を吸い取るかのように…。


 @@@@@@@@@@@@@@


 風邪気味なまま無理していたせいで、俺の風邪もなかなか治らなかったが、月曜日に病院へ行き、注射を打ち薬をもらったお陰で、やっと楽になった。


 台所では、由美が俺のためにお粥を作ってくれている。12月26日の朝だった。


「由美〜、おはよー」


「あ、お兄ちゃん、おはよ!あれ?昨日までより、声が元気だね!やっと治ってきたかな?」


 そう言って由美は台所から俺の寝床まで来てくれ、由美の額と俺の額をくっ付けてくれた。いくら妹でも、これはちょっと照れるのだが。


「良かった、お兄ちゃん。そんなに熱くないね」


「やっと回復してきたよ。悪かったね、ずっと看病させちゃって」


「そんなの家族だから当たり前だよ!って、お兄ちゃんのパクリだけど」


「由美が元気で良かった…。由美に感染したらいけない…って思ってはいたんだけどさ」


「アタシもお兄ちゃんから風邪の菌もらったらいけないから、うがいと手洗いは念入りにやってたよ」


 由美は大事なファーストキスを正樹に捧げ、風邪の回復を祈ったことは隠しつつ、そう言った。


「そっか、ゴメンな。部活は?」


「一応年内は明後日の28日までなんだけど…」


「それなら今日から行ってくれば?俺なら、もう大丈夫…」


 と立ち上がろうとしたら、フラフラと目眩気味になってしまい、布団の上に倒れ込んだ。


「あー、その様子じゃ、アタシは安心して部活に行けないよ。大丈夫、もう顧問の先生に連絡して、年内は兄の看病のために休ませて下さいって申請してあるから」


「本当に?ゴメンな…。年の最後の最後で」


「まあ年明けにはそんな大きな大会はないから、気が向いたら前にお兄ちゃんに連れてってもらった旭区プール?か保土谷プールにでも泳ぎに行って来るよ。それに…」


「ん?それに…どうした?」


「…ううん、何でもない」


 由美はちょっとはにかんで、お粥を作り続けた。


(お兄ちゃんとずーっと一緒に過ごせるから、なんて言えないよ〜)


「はい、お兄ちゃん、朝のお粥が出来たよ。梅味だから、食べやすいと思うよ」


「ありがとう、ありがとう。久々に炬燵で食べようかな」


「そうする?じゃ、炬燵に置くね。お兄ちゃん、後でいいけど汗かいた下着とかパジャマ、洗濯機に入れてね。洗っちゃうから」


「うん。ありがとう」


 俺はすっかり由美に頭が上がらなくなった。


「風呂にも随分入ってないから、臭いだろ?」


「まあ、ね。でも仕方ないもん。こういう匂いを耐えられるのも、家族だから当たり前!」


「なんだか、合言葉みたいになったな」


 俺は這うようにして共用スペースの炬燵まで行き、足を突っ込んだ。


「いただきま~す」


 由美が作ってくれた梅味のお粥を食べた。


 美味い!


 味覚も戻ってきたのだろう。昨日までは、何を食べても美味しいと感じることは無かった。


「由美、美味しいよ、お粥」


「本当に?嬉しいな。実はお母さんに電話して、レシピを聞いたんだ。アタシはお粥までは作ったことがなかったから…」


「そっか、母さん直伝の味なんだな」


「エヘヘッ、少しは我が家の味を、アタシも受け継いだかな?」


「うん、俺が太鼓判を押すよ」


「ありがとう、お兄ちゃん。あっそうだ!コレコレ…」


 由美は、由美のスペースにある机の引き出しから、綺麗にラッピングされた箱を持ってきた。


「はい、お兄ちゃん!メリークリスマス!」


「えっ、これってまさか…」


「ウフフッ。何だと思う?開けてみて〜」


 由美は俺が開封するのを、今か今かと待ち望んでいるようだ。俺は丁寧にラッピングを解き、箱のセロテープも剥がして、蓋を開けた。


「おぉっ、これは…」


「どう?アタシが選んだ、お兄ちゃんのパンツ」


 由美は満面の笑顔で、俺を見ている。


「トランクスじゃなくて、ブリーフ?」


「でも、よく見てみて。小学生が穿くような白いブリーフじゃないから」


「確かに…。お、これはなんか競泳用海パンみたいでカッコいいなぁ。これもストライプの柄でローライズだし。凄いよ、由美。なかなか良い柄じゃんか。これならブリーフって馬鹿にされるどころか、カッコ付けれるよ」


「ね、いいでしょ、お兄ちゃん」


「由美にパンツをプレゼントした時、すぐに風呂入る〜って言った気持ちが分かるよ。穿きたくなるもん」


「アハハッ、分かってくれた?男女共通なんだね。じゃあさ、今から近くの銭湯でも行かない?お兄ちゃんも回復してきたし、大きいお風呂に入って、残ってるウィルスを吹っ飛ばしちゃいなよ」


「お、いいね。確か駅の近くに一軒あったよな。着替えを用意して、風呂道具を準備して、行ってくるか?」


「行こう、行こう!」


 俺達はあっという間に銭湯用の道具を用意して、出掛けることにした。正直言えばちょっと熱は残っていて、外出は若干不安だったが、由美の満面の笑顔を見ていたら、そんなことは言ってられなかった。


 アパートに鍵を掛けて出掛ける様子は、まるで新婚夫婦のようだった。もちろんBGMは「神田川」だ。

 由美は俺と腕を組みたいと言って、右腕を絡めてきた。由美の胸が俺の左肘に当たる…。


(由美の胸、また大きくなったんじゃないか?)


 俺はちょっとしたエッチな気持ちと、妹を守る気持ちを一体に、銭湯へと向かった。


「お兄ちゃんとこうやって出掛けるの、楽しいね!」


 よし、残ってる風邪ウィルスを銭湯で吹き飛ばして復活するぞ!


【次回へ続く】

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