第2話 アパート選び

「お兄ちゃん、なかなかいいアパートじゃない?不動産屋になれるよ、きっと」


 平成元年の9月、2学期が始まったある日、水泳部が休みの日に、大学の前期末試験勉強も大変な中、俺が仮押さえしていたアパートに由美を案内した。


 俺は最初は一人暮らしするなら、通っているK大学の近くの京急沿線でアパートを探そうかと思っていたが、由美と二人暮らしするとなれば、由美の通うS高校に近いアパートの方が良い。

 ということで、S高校最寄り駅の、相鉄線のいずみ野駅の近くでアパートを探した。


「こういうアパートって、なんて言うの?2LDK?」


「そこまで豪華な呼び方でいいのかどうか分かんないけど」


「だって8畳の部屋と4.5畳の部屋と台所、トイレと風呂付きでしょ?2LDKで2階だよ、うん」


「まあ由美がそう思うなら、それでいいよ。ここに本決まりしていいか?」


「うん。高校にも歩くだけで通えるし。今までは横浜まで京浜東北線で、相鉄線に乗り換えて、いずみ野から歩いてたけど、朝少しゆっくり出来るようになるもん」


「お前、その分俺は大学に遠くなるんだから、その点を感謝しろよ」


「ははぁっ、お兄様、この度は妹の我が儘を聞いてもらって感謝しております~」


 家賃はちょっと古い木造と言うことで、月55,000円だった。由美と2人で割れば27,500円。もっとも俺は由美には家賃を負担させるつもりはなかった。その分、バイトするつもりだった。



 ここまで何件か、いずみ野駅周辺で不動産屋巡りをしたが、兄と妹で住むというだけで断られた店もあった。


 その中でこのアパートを紹介してくれた不動産屋は、良心的だった。


 それほど大きな店構えではないが、やはり地元に根付いている、古くからやっている不動産屋の方が、借りたい側の事情をよく聞いてくれるものだということを、俺は今回学んだ。

 派手なCMをしていたり、全国チェーンでございます、というような不動産屋は、案外冷たい。

 借りたい側の事情を深く斟酌しないようなマニュアルでもあるのだろう。


 アパートの場所や内装を由美に見せてから、俺と由美は不動産屋へと戻った。


「ありがとうございました。私も妹も、素敵なアパートで満足しております」


 と店主のおじさんに挨拶した。


「そう?じゃ、よかったね。ではね、これが契約書になります。契約者はお兄ちゃんでいいけど、連帯保証人ってのが必要なんだよ。お父さんに、この部分に名前、住所とハンコ、お願いしてもらえるかな?」


「レンタイホショウニン?テレビでよく聞くアレですか?」


「そうそう。もしね、お兄ちゃんと妹さんが夜逃げしちゃったら、連帯保証人さんに家賃を請求することになるんだ」


「キャハハッ!アタシ、お兄ちゃんと夜逃げなんてしないですよ~。彼氏なら別だけど」


「なに、由美!お前、彼氏がいるのか?!」


「い・ま・せ・んー!いるわけないじゃん、アタシに。今は水泳が彼氏だからねー」


 不動産屋のおじさんは、穏やかな笑みを浮かべながら、俺たちのことを見ていた。


「じゃあ、仮にお貸ししていたあの部屋の鍵ね、君達を信用して、もうお渡しするから。少しずつ荷物とか運び入れればいいよ。正式な契約日は10月1日からにするから、最初の家賃は10月分からでいいよ。あと家賃は毎月末にウチに持ってきてくれてもいいし、銀行振り込みでもいいし…」


 オジサンは優しく説明してくれた。


「ありがとうございます!また分からないことがあったら、契約書を持って来る時に教えて下さい」


「うん、いつでもいいからね。妹さんを大事にするんだよ」


「あっ、はい…。ありがとうございます…。ほら、由美もちゃんとお礼を言いな」


「えっ、あ!はい!この度はありがとうございました!」


 と、突然水泳部主将キャプテンの顔になって、不動産屋さんに挨拶したので、不動産屋のオジサンも俺もビックリした。


 不動産屋を出た後に由美に聞くと、


「だって、挨拶は礼儀の基本だもん。だから挨拶だけはしっかりと、どんな場面でもするよ?お兄ちゃんも、挨拶ちゃんとしてる?」


「た、多分…」


「大学のサークルでも、ちゃんと先輩には挨拶しなきゃダメだよ。軽音楽だっけ?お兄ちゃんは。学年が上なら勿論だし、同学年でも浪人とかで年が上の人なら、ちゃんと敬語でしゃべるんだよ」


 まったく、どっちが年上なのか分からない。

 俺だって中学高校はバレーボール部で上下関係の厳しさは学んできたんだぞ…ったく。


「由美は、荷物とかちゃんとまとめてるのか?アパートに持っていく荷物。高校関係の物とか、洋服とか制服、体操服、部活の道具や本とかいっぱいあるだろ」


「大丈夫よ。お兄ちゃんみたいに変な本は持ってないから」


「へ、変な本ってな、なんだよ!」


「この間見たのには、女の人の下着姿が写ってたけど」


「なっ、何勝手に見てんだよ!っていうか、どこで見付けたんだよ!」


「まあ二十歳にもなって女の人の下着や裸に興味がない方が変だから、その点はまあ健全なんじゃない?お兄ちゃんも」


 全く由美にはやられっぱなしだ。2人で生活を始める10月以降、どうなるのか予想も付かなくなってきた…。


【次回へ続く】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る