異能者(三)
本家を出た車は山道を走る。運転しながら清宝が環に話しかけるが、口を聞かず窓の外を眺めていた。初めて見る外の世界は、知識として知ってはいたけど美しい。風に乗って木や土のにおいがし、甘い香りもする。これは花のにおいなのか?
空を飛ぶ鳥や、ふいに現れた鹿を見て、環は自由に生きている動物がうらやましく思う。走っている車から飛び降りて、逃げたいけど隣にいる男は
清宝は環にいろいろ質問していく。「好きな食べ物は?」「何か欲しい物はあるかい?」「枕が変わっても大丈夫?」 聞こえているけど環は答えない。本家を離れることはできても、どうせこれまでと変わらない。また利用されるだけだ。期待はせず、もう見ることはないかもしれない景色を目に焼き付けていた。
寺に着いたころには疲れていた。排除されるのを免れた環だが、キツネが大勢の人に怪我を負わせたので憎まれていることに変わりなかった。闇討ちに遭うかもしれないと思い、あまり眠れずにいた。
清宝は敵意をむき出しにしても全然気にしていない。ほほ笑みながら寺を案内し、環の様子を見ながら歩調を合わせる。最後に「ここが今日から環が住む家だよ」と平屋を指した。そして扉を開けると中へ
玄関には子どもがいた。自分より身長が高く、三つか四つ年上のように見える。「おかえり」と迎えると、環の目を見て「今日から環の家だよ」とうれしそうに言ってきた。
環は面食らった。本家では子どもの姿は見かけず、大人だけが相手をしていた。大人は環の機嫌をうかがい、気味悪がって距離をおき常に用心している。ところが玄関にいる子どもは環を怖がる様子がない。
困惑していると、清宝が「息子の
(人好きそうな顔をしている。
好意的に見えてもキツネが
環はすぐに視線をそらした。ところが「案内するよ」と言われ、清正に腕を引かれた。意外と力が強くて体を持っていかれそうになる。まだ靴を脱いでなかったので、あわてて脱いで家へ上がると、ぐいぐいと引っ張って行く。ここは台所、向こうは居間、あっちがお風呂で――。清正はうれしそうに説明しながら環を見る。
(青龍寺は
自分の中に居るキツネの妖気に気づいているはずだ。それなのになぜ普通に接してくるんだ?)
大人も恐れるキツネが憑いていることを気味悪がらない清正を不思議に思う。気づけば言葉にしていた。
「なんでオレのことを怖がらない?」
腕を引いていた清正の足が止まり、環を向くときょとんとした。余計なことを言ってしまったと後悔したが、清正は環の目を真っすぐ見たまま答えた。
「怖がる? どうして?」
当たり前のことのように言ってきた。なぜそんなことを聞いてくるのかわからないといったふうに。顔を見ても本当に気味悪がる様子はなく、逆ににこにこと笑っている。笑っている理由がわからなくて顔をしかめていると、うれしそうに言ってきた。
「やっとしゃべった」
よほどうれしかったのか、腕を引く力がさっきより強くなっていて、「今度は環の部屋だよ」と案内は続いた。
新しい家での生活が始まったが、環は見返りを求めない「父」や「兄」が理解できなくて、いつか利用されるのではないかと警戒したままだった。
環は背後に立たれるのを嫌い、一定の距離をおいたところにいる。ところが父や兄は、環の敵意を気にせず、また特別視することなく対等に扱った。褒めることもあれば叱ることもある。キツネが憑いていることや
父はキツネに支配されないよう
数カ月経って、環は清宝に呼ばれた。
本堂には環と清宝しかおらず、いつになく真剣なまなざしで環を見ている。環は、また『
清宝が環に伝えたのは、青龍寺の黒い歴史だった――
青龍寺一族はむかしから『
一族は依代の異能を高めるため、かつては
忌み子は生まれながらにして
環は一族の業のようなもので自分がキツネの器になってしまったこと、そして短命という宿命を知り、青龍寺へ恨みが増したが、清宝に信頼を寄せるようになった。子ども扱いせず、真実を打ち明けたことがうれしく、やっとで信用できる者と出会い、心を許せる家族を得た。
家族ができた環は日々が楽しくなった。
学校へ通い、社会とのつながりもできて新しいことを吸収していく。しかしヒトの汚さや社会の裏側を知り、ヒトに幻滅した部分は埋まらない。いまだに人嫌いで、キツネの器という短命の定めから
環はヒトと
(今夜は
前を歩く男性の背に
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