異能者(一)
安酒を提供する店が並ぶ路地には、酒と食べ物とヒトのニオイがただよっている。窓越しに自慢話が聞こえたり、アルコールで上機嫌となり、
夜の歓楽街にコートを羽織った
環は三月に大学を卒業したが卒業式には参加しなかった。卒業式だけでなく、東京地震以降は大学へ行かないまま卒業を迎えた。卒業に必要な単位を取り終えていたので問題はなく、飾りだけの卒業式は出席しなくても支障はなかった。
しかし友人たちは会えないまま卒業したことが心残りだったので、飲み会をセッティングして連絡をした。環は断るつもりでいたが、
環は「
居酒屋に入ると友人が目ざとく見つけて「青龍寺、こっちこっち!」と声をかけてきた。「よう」と挨拶を交わすと、すぐに談笑が始まった。
「地震のあとから大学に来なくなったから心配したぞ」
「悪い、悪い」
「卒業式くらい顔を出せばよかったのに」
「地震のあと、忙しくてさ」
環はグループでいると自然とヒトの目を引きつける。身長が178センチあって中肉中背、引き締まった体はバランスがいい。目鼻立ちははっきりしているほうで身なりも良く、ブランドものを身につけているが嫌みなく着こなしている。
誰とでも気さくに話せて行動力のある環はいつも中心にいる。目立った行動は取らないが自信ありげで、同年齢と比べると落ちついているからカリスマ性もある。大学では、男同士でつるんでいたが取り巻きのような女子がいつも近くにいた。
飲み会は男友達が企画したものだ。でも男子より女子の数が多く、同じ学部だった女子が同席している。環と親しかったわけではなく、在学中は挨拶する程度の仲だったのに、どの子も大学にいたときよりもメークや服に気合いが入っている。
「みんなそろったし、まずは乾杯といきますか。改めて卒業おめでとう!」
「おめでとう!」「卒業したぞー」「社会人だー!」
乾杯と同時に酒宴が始まった。社会人になるから一人暮らしを始めた、四月から会社員になるから緊張するなど、若者らしい会話で盛り上がる。
みな就職が決まっていて、話の中心はこれから始まる社会人生活へのことだ。社畜にはなりたくないとか、ブラック企業だったら勘弁など、冗談交じりで話しているが、社会人になることへの不安を抱えている様子がちらちら見える。
「そういや青龍寺は就職決まったのか?」
「オレはバイトのまま」
「教えてくれないけど、どんなバイトなんだよ」
「おまえらが来ると困るから教えねえよ。それより――」
環はうまく話題をほかへ振って情報収集を続ける。席を移動してあまり面識のない女子に積極的に声をかけ、話に入りやすくしてグループに引きこむ。アルコールの力もあってみんな
知り合いが急に
中年男性は仕事帰りのようでスーツ姿だ。つまらなそうな顔でトイレに向かっており、背後に人影をした黒い
(強い妖気にあてられて霊体や黒いモノが増えてやがる。
うろついてヒトに
友人たちとの会話を盛り上げながら環は観察を続ける。
酒宴が始まってから酒を楽しみつつ、寺では得られない情報を集めていたが、これ以上、新情報は出てこないとわかると切り上げることにした。
盛り上がっているなか、隣に座る女子に体を近づけて、「なあ、抜けないか?」と小さく声をかけた。女子は驚いた表情をして固まった。環はしばらく見つめていたが、返事がなかったので、「ごめん、いきなりだよな……」と言って、反対を向いた。
決まり悪さをごまかすようにして、環がビールに手を伸ばしたところ、袖を引かれた。隣を向けば、声をかけた女子が潤んだ目で見ており、頬を染めて「いいよ」と小さく答えた。環はにこりと笑って、小さな声で「すぐに行くから先に出ていて」と返した。女子が準備を始めたので、環は男友達の隣へ席を移動した。
「わりぃ、抜けるわ。セッティングしてくれてありがとう。これ、オレの分」
友人は、環と女子のやり取りを知らないふりして聞いていた。先に店を出ていった女子も見ていたので、にやっと笑って小声で話す。
「今度は最後まで付き合えよ」
「ああ。楽しかったぜ」
環はほかの男友達を見た。友人たちも環を見ていて、どの男子もにやにやと笑っている。友人たちは、これからのことに気づいていて、目や
帰り支度をしている環の横で、友人は受け取ったお金を見て驚いた。周りに気づかれないようにトーンを落として声をかける。
「おい、青龍寺、多いぞ」
「みんなへの感謝の気持ち。今日はマジでうれしかった」
友人は悪いなと言いながらも明らかに多い額を喜んでいる。支度が整うと環はみんなに「これから用事あるから、お先に」と声をかけ、楽しかったとお礼も言って店を出た。
環がいなくなると
「青龍寺くん、行っちゃった」
「つまんない……」
伸ばしていた背筋が猫背になり、はぁとため息をつく女子が出ると、ほかの子も笑顔が消え、不満を顔に出してドリンクを手に取る。
「ナオも先に帰っちゃったけど……」
環だけでなく、先に帰った子がいたことに女子全員が気づいて沈黙が流れた。誰も何も言わないけど、なんとなく想像できて女子たちの間で落胆した空気がただよう。反対に、男子たちの間では期待が生まれ、これからの展開を提案する。
「場所を変えようか?」
「カラオケでも行く?」
環に誘われることを期待していた女子たちは、冷たい視線を向けたが、男子たちはまったく気づかず、どこへ行こうかとスマートフォンで場所を探し始める。
店を出た環は、表で待っていたナオと連れだって1駅離れた歓楽街へ行き、雰囲気の良さげな店に入って飲み始めた。
棚に整然と並んでいるお酒は見たことがないものが多い。客は二人組が多くて適度に離れた席で話している。客層が気になるが、店内は照明が暗く適度な音量で曲が流れているから会話が聞き取れない。
環と一緒に入店したナオは、学生がわいわいと騒ぐような店しか利用したことがないので緊張している。しかもカウンター席に座っているから環との距離は近い。
ナオはずっと環に憧れていたが、学生のころは挨拶したくらいで、今日初めて会話をしたようなものだ。何を話していいのかわからず、どうしようと焦っていたが環が会話をリードしていく。
慣れないシチュエーションに、ナオは自分が舞い上がっているのがわかる。飲み会に誘ってくれた子が仲良しで一緒に旅行に行ったとか、最近観た映画で面白かったものなど、どうでもいいことを話していると気づいている。でも環は楽しそうにしている。
これまで遠くにいた存在の環が隣にいて、笑いかけながら話を聞いてくれている。緊張がほぐれてアルコールが進み、少しずつ気持ちが行動に現れていく。
間接照明をうまく使っている店内は、互いの顔は見えるが離れた客の詳細はわかりにくく、ほどよく秘密が隠せる。ナオは酔いに任せて環にしなだれかかった。
嫌がられるだろうかと不安を感じながらも、どきどきして期待している。環が動いたのでどきりとしたが、気づかないふりをしてそのまま体を寄せている。耳に息がかかると「ホテルに……行く?」とささやかれた。
体に小さな電撃が走り、どきどきが最高潮に達している。ナオは少し間を空けて、こくりとうなずいた。環は席に座ったままカードで会計を済ませると、やさしく手を引いて店を出た。緊張しているナオに合わせ、無理強いせずラブホテルへ入った。
数時間後、駅の近くで環とナオが並んで歩いている。
ナオは顔がほてっているのがわかり、ふわふわしている。体は少し疲れているけど心地いい感覚に包まれている。隣には環が寄り添い、気づかいながら歩いているのがわかる。見つめられると恥ずかしいけど、気にかけてくれるのがうれしい。
「体、大丈夫? ごめんな、あまり一緒に居られなくて」
「バイトがあるんでしょ。それなのにぎりぎりまでありがとう」
改札の近くでナオの頬にかかった髪を横に流しながら謝り、申し訳なさそうな顔で見つめている。もっと一緒にいたいけど、わがままを言って環を困らせたくないので思いを抑える。
ナオが改札を通っても環はまだ改札の外にいる。何度ふり返っても環は見送っていて、手を振ると笑って振り返してくれた。ホームに電車が来たからタイムリミットだ。ナオは「連絡するね!」と大声で言い、走って電車に飛び乗った。
女子の姿が見えなくなると環はきびすを返した。さっきまでの笑顔はなく、冷めた目ですたすたと駅を出た。風が冷たくて、たまらずコートのポケットに手を入れる。
(あんまよくなかったな。別のコにすりゃよかったか?)
すっきりはしたが満足していない環は夜の街を歩き始めた。
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