寺(二)


 東京地震以降、青龍寺しょうりゅうじではアヤカシ相手の仕事が増えた。何日も前から『はらえ』の依頼が入っており、今日も午前中から青龍寺の本堂で祓が行われようとしている。


 祓はそこに至るまで時間がかかる。


 ある日、家族の様子がおかしくなったことに気がつき、まずは病院へ行く。医師から体に異常はないので疲労や風邪などと診断され、ひとまず安心する。しばらく休養を取らせるが、一向に良くなる気配がない。別の病院へ行っても同じ診断が下る。体に異常はないのならと、次はメンタル系の病院を訪れる。


 メンタル系の病院ではストレスが原因と診断され、薬を処方されるが状態は変わらない。それどころか、どんどん衰弱していくことから、神にすがる思いでお祓いの依頼がくるというパターンが多い。


 本堂の奥、一段高くなったところに依頼主の姿がある。床に座りこんでいる20代の娘と、青ざめて憔悴している50代の両親だ。はた目から見ても娘の様子はおかしく、宙を見る目は何も映っておらず、体は脱力していてうつろだ。住職である清宝せいほうが両親にこれまでの経緯を聞いてきた。


 母親は力のない声で娘の容態を語る。体がだるいと言い出した娘は、日に日に弱っていき、会話ができなくなった。病院で検査しても体に異常はなく、仕事もプライベートも順調だったので悩みがあったとは思えない。急に体調を崩すような原因に心当たりがない……。これまで何度も説明してきているので口調は機械的だ。


 母親からは諦めが見て取れる。医療は頼りにならず解決方法がわからない。看病に疲れ果てて神頼みにすがったが、どうせ駄目だろう。母親の説明は、諦めと愚痴を含んでいたが清宝は静かに受け止める。これまでまともに話を聞いた者はいなかったので、母親は押し殺していた感情が解放されて、泣きながら胸の内も話すようになっていった。


 たまきは少し後ろで話を聞いているふりをしながら娘の様子を観察している。本来なら祓は父の清宝と兄の清正せいしょうの仕事だが、現在は兄が不在なので環が代理を務めている。清宝が依頼主を本堂へ案内してきたときから、すでにアヤカシの姿は視えていた。


 環の目には、娘の背中に蝙蝠こうもりのようなアヤカシが映る。茄子紺なすこんの色をしており、両方の手を肩にかけるように広げ、ぴたりと背に張り付いている。体は20センチほどで、翼のように広がる手の部分は端から端までだと50センチくらいはありそうだ。


くせえな。野生動物みたいなニオイがするぜ)


 環は娘の両親が見ていないのをいいことに、露骨に嫌そうな顔をした。アヤカシの頭は娘のうなじ部分にある。口をめいっぱい開けて牙を突き立てており、ねずみのような顔から感情は読み取れない。


(出血はない。肉体カラダに興味はなく、魂だけすすっているだけか)


 アヤカシが魂を食べるタイプとわかったところで環は清宝へ目をやる。目が合い、小さくうなずいて合図を送ると、清宝はタイミングを計って両親に切り出した。


「お話しから娘さんにいているモノの正体がわかりました。

 ご協力ありがとうございました。これからアヤカシを祓います」


 清宝が祓うと説明した段階で環は娘のほうへ向かっていて、背に近づいたらしゃがみこんでアヤカシをまじまじと視た。


(この蝙蝠こうもりみてえなやつは前にも視たことがある。

 ニオイも同じだから本体から分裂した個体みたいだな。

 使い走りは本体を潰さないと切りがない。夜に探すしかねえな)


 清宝が娘のそばに立つと、姿勢を正して一礼した。おもむろに経文のようなものを唱え始めると、環は娘の背中に手を当てた。両手に霊力チカラを集中させると、手のひらがほのかに光る。魂をすすることに夢中になっているアヤカシは気づいていない。


 両親は、清宝から離れた位置で待っているように指示されている。娘は清宝と環の陰になる位置にいるため、状況はよく見えていないが、二人の男が助けようとしているのはわかっている。経文が響く本堂で、わずかな望みをかけて抱き合いながら経過を見守る。


 環はアヤカシの頭を素手でつかむと力をこめて潰した。なんの抵抗もなくアヤカシは動かなくなり肩に垂れ下がる。爪を肩から外すと床にぼとりと落ちた。環が手をかざすとむくろは一瞬だけ炎に包まれたが、両親にアヤカシの姿が視えてしまったらしい。母親が悲鳴をあげると、ふらりと体を揺らして倒れた。


 夫は初めて見たアヤカシに「今のはなんだ!」と叫び、動揺しながら妻を介抱する。環が立ち上がったので父親は恐怖の表情を見せた。妻を守るように抱きしめ、環をにらみつけた。そこでもぞもぞと動く影を見た。


 娘が座りこんだまま、きょろきょろと見回しており、環と清宝に気づいて「キャ―――!」と悲鳴を上げた。


 気づくと知らない場所にいて、見知らぬ男が見下ろしている。パニックになった娘は四つんいで離れると、距離をおいたところで立ち上がった。体はふるえており言葉も出ない。目だけをせわしく動かしていると両親の姿が目に入った。


「お父さん!? ここ、どこなの!?」


 会話もできずにいた娘の声をひさしぶりに聞いた父親は、娘のもとへ駆け寄ると力強く抱きしめて、声を出さずに涙を流した。見届けた清宝は、気を失っている母親のところへ行き、やさしく声をかけて起こした。目覚めた母親に、祓が無事に終了したことを告げ、娘の姿を見せると大粒の涙をこぼして喜んだ。両親は清宝と環に何度もお礼を言ってから寺を去っていった。


 祓は霊力チカラをもってアヤカシを滅するだけなので、環たちにとっては簡単なことだ。正体さえつかめればすぐに祓う作業に入れるが、常人には見えない存在のアヤカシをいきなり受け入れることはできない。そこで清宝が話を聞いてカウンセラーのような役をする。


 気が動転している者から話を聞くのは難儀なことだが、異常な状況で依頼主が取り乱して祓の妨げとなる場合もあるから重要だ。焦らず時間をかけ、頃合いをみてからアヤカシを祓う手順を取っている。


 本堂内には仏像や仏具もあり、寺らしく見せているが物は飾りだ。依頼主を安心させるために置いており、実際に使う道具は少ない。清宝が唱えた経文も祓に直接関係はなく、それらしきものを唱えておけば依頼主が安心するから読経している。


 青龍寺では依頼主のプライバシーを守るため、一日に受ける祓は午前と午後の2回が基本だ。以前は祓や『呪術』の依頼はそれほどなくて順調にこなしていた。しかし東京地震後は急激に依頼が増えて一日に3回が常態化している。祓を順調にこなしても依頼の数は増える一方で環たちは休む暇がない。


 1回目の祓を終わらせたが、次の祓が待っている。




 夜。


 本日分の祓が終了すると、環と清宝は、本堂内にはたきをかけたり、ほうきで軽く掃いたりしながら、アヤカシで穢れた『場』を霊力チカラで清めていく。


 清めの途中で環は家へ戻り、冷蔵庫にあるもので簡単な食事をつくる。しばらくして帰宅した清宝と食事を取ったあと、休憩しながら青龍寺総本家から依頼がきている排除対象のアヤカシについて打ち合わせをする。


 これまでは日中の祓や呪術だけで一日の本業しごとは終了していた。ところがいにしえアヤカシが復活してから、街でアヤカシたちが騒ぎ、ヒトにさわりをもたらすようになった。


 夜になると青龍寺は本家から依頼を受けたアヤカシ排除の本業しごとが始まる。打ち合わせを終えると、環は出かける準備を始めた。


「環、あまり無理はするんじゃないよ」


 玄関で靴を履く環の後ろから心配そうに清宝が声をかけると、手を止めてふり向いた。顔には笑みが浮かんでおり、遊びに出かける子どものように楽しそうに言った。


「ここからが本番だぜ?」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る