青龍寺

寺(一)


たまき、起きなさい」


 ふすま越しに父親の声が聞こえた。環は、「お――……」と布団の中で返事し、手を伸ばしてスマートフォンを探す。手に当たったスマホを握り、眠い目を開けると朝の五時。


(寺は朝からやることが多い……。だから家に居るのは嫌なんだよ)


 昨夜ゆうべ青龍寺しょうりゅうじ総本家の依頼で、アヤカシの排除をしていた。


 依頼の発端は「放心状態で保護されるヒトが増えている」という警察内部の報告書だ。


 東京地震以降、日本各地で奇妙な事件が発生している。事件の背景には、地震の際に封じられていたいにしえアヤカシが復活したことにある。今の日本はアヤカシがうろつく世界になっているが、霊力チカラのない常人はアヤカシの存在に気づいていない。


 ヒトに被害がなければ、アヤカシ跋扈ばっこしても黙殺するが、気が高ぶってさわりを与えるアヤカシが増えている。そのため異能者たちがアヤカシの排除に乗りだしている。


 政府も裏でサポートする排除作戦は、アヤカシを探し出すエキスパートが情報を集めることから始まる。ホラーやオカルトに分類されるキーワードを軸に、インターネットに流れる情報をピックアップしたり、異能者からじかに報告を受けたりと、変わった事象を探していく。


 集めた情報は規則性があれば監視対象となり、アヤカシと関連性がないか分析される。情報取集はあちこちに設置されている監視カメラも活用され、データ分析はコンピューター技術を駆使して自動処理し、なるべく人手をかけないようにしている。


 集約されていくデータからピックアップされたのが警察内部の報告書だった。ほかから入手していたデータとともに分析され、報告書どおり周辺では似たような事件が多い。監視対象に分類されたが、すぐにコンピューターは警戒対象へとレベルを上げた。


 コンピューターから警戒対象のアヤカシが現れたことを告げるアラートが鳴ったので、情報収集のエキスパートはデータを読み始めた。死者は出ていないようだが被害が続いている。早めに対処したほうがいいと判断し、排除候補に公園のアヤカシを載せた。


 アヤカシの排除作戦は、青龍寺が指揮を執っている。青龍寺総本家に届く排除候補のアヤカシは日々、更新されていく。数の多さから緊急性を優先した排除依頼が行われており、公園のアヤカシは、環のいる青龍寺が担当だった。


ねみい……。きのうのやつは、つまんなかったなぁ)


 睡魔と戦う環は、なんとか体を起こして布団から出るも、ふらふらして動きが鈍い。畳に足を引っかけて転びそうになったことで、意識が少しはっきりしてきた。


 排除の依頼には「正体不明」とあったから、どんな大物なのかと期待していた。ところがアヤカシは身を隠すのがうまいだけで、強い攻撃力はなかった。久々に戦闘が楽しめると思っていたから期待外れだ。


(本家の依頼だと、堂々どうどうアヤカシを狩れるからいい。でも監視はうぜえなあ)


 依頼を受けて環が排除に向かうと、本家が裏で手を回し、わざわざ公園内を夜間通行禁止にする段取りができていた。事前の資料でヒトの魂を食らうタイプとわかっていたから、わざとおとりとなってアヤカシをおびき出して排除した。楽な依頼だったが、上空には『式神』の気配があり、一部始終を見ているのがわかった。


(式神に気づかれないように水墨画を蒐集しゅうしゅうするのは面倒だが、アヤカシが狩りやすくなった。いい口実だぜ)


 環の足取りはさっきより軽くなっており、顔は楽しそうに笑っている。洗面所に入り、顔を洗っていると蒐集したアヤカシの絵が思い浮かんだ。


(水墨画に変わればいい絵になるかと期待したけど、雲に目と口がついただけのつまんねえアヤカシだったなあ。やっぱ絵にしないで消せばよかったか?)


 好みではなかった水墨画を思い出し、やや不機嫌になった環は洗顔を済ませて着替えると家の外へ出た。


 青龍寺は23区内にあるわりに敷地が広い。境内にはカタカナの「コ」の字のように木造の建物が立ち、本堂を中心に、左右には1棟ずつ建物がある。左右の建物は僧侶たちが修練や宿舎として使う施設なのでそこそこ大きい。


 境内は広いが訪れる墓はなく、檀家の姿もない寺の私有地となっていて、一般人は立ち入れないようになっている。また高い塀と木で囲まれており、外から様子を見ることができない造りだ。


 孤立した寺は、本堂の裏手が居宅エリアになっており、平屋が環の育った家だ。大学進学を機にマンションで一人暮らしをしていたけど、一時的に寺に戻ってきている。一人暮らしのときは時間を自由に使えた。でも家だと、早朝にやらねばならないことがあるから環は不機嫌だ。


 境内へ行くと鳥がさえずり朝日はやわらかく落ちていて清々しい。気持ちのいい朝なのに、環は太陽をにらんでため息をつき、門へ向かう。門に着くと塀に沿って歩き始めた。


「親父が結界の基礎を張ってるから、あとは強化するだけか」


 塀のそばを歩いて寺を囲むように張っている結界の状態を確認した環は、スタート地点の門に戻るとしゃがんで地面に手を当てた。手に霊力チカラを集中させると、邪気祓いの呪術をかけ始めた。


 環は壁に沿って呪術がかかるように霊力チカラをコントロールし、寺全体を囲んでいる結界の呪力を厚くしていく。境内の結界強化を終えたら本堂へ行き、本堂は内と外に対して同じように呪力強化した。


「結界は楽だけど……」


 嫌そうな顔をして、用具入れへ向かうと中から竹ぼうきを取りだした。ずるずると引きずりながら端まで行くと掃き始める。境内では鳥の朝の合唱と、ほうきの音が聞こえている。


 朝の清掃に見えるが、掃き掃除には重要な意味がある。ほうきには霊力チカラを流して浄化と邪気祓いの呪術を練りこんでおり、掃くたびに呪術がかかる。ごみを集めるだけでなく、寺を清浄に保つことを兼ねている。


 寺内を清浄に保ち、結界を厳重にするのは青龍寺の本業しごとが関係している。青龍寺一族は寺稼業もしているが、裏ではアヤカシの類いの『はらえ』や『呪術』も行っており、もともとの本業は後者だ。


 長く続く青龍寺は霊力チカラが強い異能者がいることで知られているが、それでも祓ができる術者は多くない。


 呪術は、修行や経験を積めば体得でき、遠隔で行うことも可能なので一族の中でも術者は多い。ところが祓は、アヤカシとの戦闘になるため、反撃されることがある。対抗できる強力な霊力チカラだけでなく、身体能力も必要とされるため、祓は一族の中でも特殊な本業しごとだ。


 環の育った家は青龍寺の中でも特別な存在だ。家族は霊力チカラが強く、一族でもトップクラスに位置する。そのため関東圏内の祓を一任されており、危険な依頼がひんぱんに舞いこむ。


 危険を伴う本業しごとに準備は不可欠だ。寺は強力な結界と呪術をかけており、守りを強くしながら異能者の霊力チカラを高める『場』に変えている。急な依頼にも対応できる状態を保つため、早朝の結界張りや清掃は欠かせない日課だ。


「くそっ。さみいなあ」


 白い息をはき、環はぶつぶつ文句を言いながらも手際よく境内を清めていく。これから青龍寺の一日が始まる。


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