天敵


 前のめりになるほどあわてて走る男性がいる。後ろを気にして何度もふり返り、手をばたつかせて懸命に走っている。


 都内の夜の公園で大人が全速力で走っているだけでも異様というのに、プラスしてスーツ姿だと怪しすぎる。逃げている男の後ろからはずむ声が響いた。


堂々どうどうと狩りができるなんてさいこうだなっ!」


 スーツの男性を追いかけている男は 青龍寺 たまき。「青龍寺しょうりゅうじ」という古くから続く寺の者で、街に跋扈ばっこするアヤカシの排除を依頼されている異能者の一人だ。


 はたから見れば、男二人が追いかけっこしている不気味な光景だ。変な構図にさらに妙なことが続く。


 先を走るスーツの男性の顔や手の輪郭が崩れている。また着ている服は色がおかしく、グレー部分がじんわりと黒くにじんでおり、水に浸しているようにどんどん広がっていく。広がりにあわせるように、服だったところが体と同化を始めた。


 ヒトの形状をしていたモノは、うごめくもやをまとい、体だった部分は黒い塊に変わった。二足歩行が四つんいとなり、男だったモノがアヤカシに戻ると走る速度が上がった。


 地震でいにしえアヤカシが復活してから、ヒトにさわりを与えるモノが増えている。


 政府は事態を予測していたので、すでにアヤカシ排除に乗りだしている。異能者には排除依頼が連日届いており、通常はチームを組んでアヤカシと対峙している。ところが環は単独だ。


 環は公園に居ついたアヤカシを滅するため追跡しているが、ヒトから本来の姿に戻ったことでアヤカシの動きが速くなり、どんどん距離がひらいていく。


「チッ、追いつけねえ。どこかに逃げこまれたら面倒だ」


 環は走りながら右腕を突き出し、手のひらをアヤカシに向けた。「黒いアヤカシが欲しい」とつぶやくと、背中がほのかに光った。


 アヤカシを追う環の背中から淡い光が少しずつ出てくる。丸い形状をして盛り上がっていた光は次第に輪郭が整い、耳をもつけものの頭部に変わる。光は濃さが増していき、現れた獣がキツネとわかるまでになった。


 光るキツネは背中から徐々に姿を現していき、環の肩に前足をかけると思い切り飛び上がって全身をあらわにした。宙を舞ったキツネは、環の前に降り立つと走りだした。


 現れたキツネはネコ科のとらぐらいはありそうだ。走るたびに白い毛が波打って銀色に輝く。尾は丸くふっくらとしている様子までわかるが、実在するキツネではない。白銀のキツネは環にいているアヤカシで、環が使役しており、命令どおり逃げていく黒いアヤカシを追っていった。


 見届けた環は走るのをやめて、ポケットに手を突っこむとゆっくりと追い始めた。夜の公園では落ち葉が踏み荒らされる音や、枝が折れる音が聞こえている。しばらくして怒声が響き、アヤカシの戦闘が始まった。


「あ~、遠くへ行くなよ」


 ぶつくさと文句を言うだけで、環に急ぐ様子はない。アヤカシとキツネが飛びこんでいった雑木林に足を踏み入れ奥へ進むと、座って待つキツネが見えた。背後には黒い塊が転がっている。


 環は近づきながら御朱印帳を取りだし、ぱらぱらとページをめくっていく。手が止まり、はさんでいた和紙を引きだすと、虫の息となっている黒いアヤカシのそばへ行き、しゃがみこんだ。


 横たわる黒いアヤカシは逃げている間、丸太のような物に犬の足のようなものがついた姿をしていた。それがビーズがもれたクッションのように形が崩れ、サイズが縮んでいる。


「変幻自在のアヤカシか。本当はどんな姿をしてんのかな」


 環はうれしそうに言い、手に持っていた和紙をアヤカシに当てた。押し当てられたアヤカシは、びくりと反応したが反撃する力は残っていなかった。それ以上の反応はなく、動かないアヤカシの体は次第に薄れて透けていく。


 黒い塊だったアヤカシは、さらに形が崩れて黒い霧が発生し始めた。形状を保てなくなり塊がすべて霧へ変わった。しばらくただよっていたが、霧は和紙に吸いこまれるようにして消えた。


 環がアヤカシに当てていた面を裏返すと、白紙だったはずの和紙に絵が描かれている。


 もわもわと黒い雲のような塊が一つあって、塊の中に墨が薄くなっている部分がある。薄い部分には二つの目と大きな口が描かれ、ヒトの顔に似ている。目は虹彩をもち、開いた口はヒトと同じ歯並びをしているが、全体の比率からするとサイズが異様に大きい。真っ黒な入道雲の塊に目と口が生えている――。そんな形相をしたアヤカシの水墨画が和紙に浮かんでいた。


「なんだぁ、こいつは。あんまよくねーな。ただの黒い霧のアヤカシか?」


 手を頭の後ろにやり、がっかりした息をついた。


 環は青龍寺総本家からアヤカシ排除の依頼がなくてもアヤカシを狩るつもりでいた。この男は趣味でアヤカシの水墨画を蒐集しゅうしゅうしており、秘密でアヤカシ狩りをしている。


 東京地震で強力なアヤカシの『ふう』が解かれたと知ってから、捕まえてコレクションに加えると決めており、環にとってアヤカシの排除依頼は降ってわいた好機となっている。


 今夜も本家からの依頼で公園にいるアヤカシの排除に出向いたのだが、狩ってはみたものの水墨画が微妙だ。環は好みがうるさく、気に入ったアヤカシしかコレクションに加えない。


 水墨画を手にして、こいつはコレクションに加えるのはやめておこうかと、こぼしながら夜の公園をあとにした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る