現世


 地震で『ふう』が緩み、壊せると気づいたいにしえアヤカシは即座に外へ飛び出した。


 呪縛から解放されたアヤカシは、数百年ぶりに見る外界の変貌に驚愕きょうがくした。鼻が曲がるほど空気はくさく、高い石壁が乱立して威圧する。記憶から激変した景色に困惑しながらも目にとまった街灯によじ登り、上に座ると観察し始めた。


 通りにはたくさんの人間が歩いている。ヒトのほかに鉄のニオイがする見たこともない塊が動いている。ヒトも鉄の塊も数が多く、どれもせわしく移動する。


(見たことがない物が多い。木や土はどこにある?)


 アヤカシは自然を探すが、見える範囲では通りに沿って整然と並ぶ木があるだけだ。鳥や小動物の棲み家となる自然がなくなり、物がごちゃごちゃと密集する街に息苦しさを感じた。しかし良い点も見つけた。


 以前は食料を確保するのが難しかった。ところが今はその心配はない。食料は地上にわんさかいて、巨大な石壁の中に入っていく。石壁は不思議な造りで、四角い形状をし、石と透明な部分に分かれている。透明な部分からヒトが見えており、どの石壁にもみっちり詰まっている。


 石壁はどうやら今の時代のヒトの住まいらしい。かつては植物や石を使って組み立てたものが家だった。長い年月の間にヒトはいろいろな物を混ぜて新しい石を作ったようだ。


 アヤカシは初めて見る石壁に近づいてぺたぺたとさわる。新しい石と鋼を組み合わせた住まい――こいつはなぜかアヤカシを阻む。コンクリート製の建物が立つオフィス街で復活したアヤカシは、高く跳躍すると居心地の悪い街を離れた。


 アヤカシは復活直後に空から見えた広い公園に降りた。数は少ないが大木や林などわずかだが緑が残る場所は、封じられる前の環境に近くて落ちつく。不満はあるが現世の様子をみるため、公園を仮の根城にした。



 ほどなくして、アヤカシは復活した時代の良さを喜んだ。


 かつてヒトは闇を恐れて極力出歩くことを避け、用がある場合のみに仕方なく外出し、連れだって行動していた。ところが今は夜でも一人歩きするし、まるで赤子のように警戒心がなくて簡単に食事にありつける。


 現状をだいたい把握したアヤカシは、腹は減っていたが一気に食事をすることはせず、一日に一人と決めてヒトを食うことにした。



 公園を仮の根城から棲み家と決めたアヤカシは、夜になるとヒトにけた。ヒトに姿を変えると公園内を歩き回り、一人でいるヒトを見つけたらさりげなく追う。陰ができるところにきたら、すばやく飛びかかって闇に引きこんだ。


 アヤカシは封じられた苦い経験を活かして食事の方法を変えた。肉体カラダが消えるとヒトは探そうとする。追われることにつながるから、肉を食うことはやめて魂をすすることにした。


 アヤカシは公園でヒトを捕えたら、口から魂を引きずり出してむさぼる。魂は全部を食わず少しだけ残して肉体カラダを解放すると、ふらふらと歩きだし、帰巣本能から家へ帰り始める。


 肉体カラダはあるのだから問題ないだろう――。アヤカシの考えていたとおり、ヒトの魂を食らっても火を灯して退治しにくる者はいない。アヤカシは自分で決めたルールに従い、目立たずに食事を楽しんだ。


 公園には街灯があり、遊歩道は夜でも明るく帰宅途中のビジネスパーソンの通り道になっていたり、ウォーキングする人もいる。深夜近くでも園内を利用する者は多く、ほかにもヒトがいるからと警戒心は薄い。公園はアヤカシにとって最高の狩場だ。


 アヤカシがヒトを襲っても、即座に魂を抜かれるから助けは呼べない。それにイヤホンをしていたりスマートフォンに夢中になっている人が多く、周りに無関心なので襲われているヒトがいても気づかない。都心の公園でアヤカシはヒトを襲い続ける。



 今夜も犠牲者が出た。


 アヤカシに魂を食われ抜け殻となったヒトは、公園でへたりこんでいたが、やがて立ち上がり歩きだした。のろのろと家を目指すが、途中でくたびれて動けなくなる。通りかかった者が異変に気づいて、警察と救急車を呼んだ。


 現世では常人の目に映らないモノは存在しないことになっている。都市部の整備されたきれいな公園にアヤカシがいることに誰も気づいていない。公園付近では自我をなくした状態のヒトが保護される異常事態が続いていた。




 夜のとばりが下りた。


 公園の片隅のヒトが立ち入らない木々の茂った場所で、アヤカシは身を起こして大あくびをした。高い所にある木のうろから、ずるりと外へい出ると、体を器用に巻きつけながら下へ向かった。


 地面に着いたらへびのように伸び切った体をまとめると、本来の姿が現れる。細長い形状は膨らんでいき、コールタールよりも弾力のある大きな黒い塊になった。アヤカシはぶよぶよと表面を動かして、形をヒトに整えていく。


 むかしと比べるとヒトの数は膨れ上がっている。ヒトは無数にいて食うに困らない。今宵こよいはどんな食料が来るのか。アヤカシは魂を食らうことを想像して唾を飲みこむ。


 ヒトにけたアヤカシが林から散策路へ出ると、さっそく一人で歩く人影をとらえた。にたりと口をゆがめ、背後から近づいた。


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