ありがとう、わたしの三年間の恋人

ふさふさしっぽ

マイ・ラバー

 西暦21XX年、五月十二日。一級コスモ調査員である遠野晴記とおのはるきは月での発掘調査中、不運な事故に巻き込まれ、死亡した。


 翌年六月三日、事故当時彼の恋人であったみなみ流花るかは、彼を模したアンドロイドを、アンドロイド販売会社に発注した。


 二ヶ月後の八月五日、流花はかつての恋人、晴記そっくりのアンドロイドと対面し、「彼」と生活をはじめた。





「なあ、なんか食う?」


 人ごみの中前を歩く彼は、振り向いて何気なく聞いた。


「俺、腹減ったよ。なあ、この店でよくね?」


 流花の目の前に、店の情報ディスプレイを開いて提案する。「うまそうだから、ここにしようぜ」流花の答えを待たず、さっさと話を進める。せっかちなのだ。


「うん、いいよ、別に」


 彼の後ろを歩いていた流花は、ちょうどお腹が空いてきたところだったし、夏の暑さにまいってもきていたので、同意した。腹減った、なんてこと言ったって、貴方はどうせ食べないのに、とも思ったけれど。

 とりあえず、前を行く彼に追いつこうと足を出した途端、ヒールの高いサンダルだったので、バランスを崩して転びそうになる。


「おい、だいじょうぶか、流花」


 彼がまた振り向く。


「慣れないサンダルなんて、履くからだよ。お前はドジなんだから」


 けたけた、と、屈託なく笑う。

 その笑顔を見ながら、流花は思った。

 まわりの人の目には、わたしと彼が、仲のよい恋人同士にでも見えるのだろう。だけど、そんな人たちも、一口も食べ物を口にしない彼を見れば、感づくかもしれない。彼がアンドロイドであると。

 なにせ、水すら飲まないから。


 アンドロイドとは、人間の形をした、ロボットのこと。

 わたしは、三年前、死んだ恋人に似せて、彼を造ってもらった。




「流花、食わないの?」


 彼が、不思議そうに流花を見つめる。


「貴方、食べる?」


 流花は彼の方にスプーンを差し出した。


「……食えないよ」


 彼は、困った顔をして、流花がどうしてそんなことを言うのか、はかりかねている様子だった。


「なんか、最近、俺の名前、呼んでくれないな」


 彼がぽつりと、独り言のようにこぼした。

 流花は思った。

 そうだ、もう彼を晴記と、ずっと呼んでいない。以前は彼を晴記だと思って過ごしていたけれど、今は……呼べない。

 彼は晴記ではないと、自分の気持ちに整理がついたから。このままではいけないと、わたしの止まっていた心が、ようやく動き出したのだ。




 食事を終えて帰宅すると、流花は、思いきって彼に別れを告げた。

 今まで何度も言わなければならないと思って、その度に言いそびれて、断念していたのだ。でも、今日こそ、言わなければ。

 彼自身の耳の後ろについている機能停止ボタンを押せば、ロボットである彼は何も分からずにその活動を停止する。

 だけどそれはフェアじゃない気がして、流花は彼にすべてを話した。


「三年前、わたし、彼……、晴記を失ったことが悲しくて、信じられなくて、耐えられなくって、貴方の制作を、アンドロイド販売会社を通して、アンドロイド製造会社にお願いしたの」


 流花は若くして両親を失くしており、兄弟親戚もおらず、天涯孤独の身の上だった。だから余計に、晴記の存在は大きかった。彼とこのまま、ずっと二人で寄り添って生きていくのだと思っていた。


「晴記を取り戻せるなら、なんでもしたいと思った。そうしたら、アンドロイド製造会社のことを思い出したの。だから、わたし、貯金をおろして……」


 この時代、アンドロイド技術は進んでおり、外見を似せることはもちろん、動作、言葉遣い、性格まで詳細にインプットすることができた。


「貴方との三年間、とても楽しかった。だけど、わたし、これは晴記の死から目を背けているだけだって、気がついたの。貴方は晴記そっくりだけど、晴記じゃない。このままでは、前に進めないって、三年かけて、ようやく分かった」


 流花にとって、なにかきっかけがあったわけではない。ただ、三年の月日が彼女の心にけじめをつけたのだ。

 彼は、晴記のアンドロイドは、口を挟むことなく静かに流花の言葉を聞いていた。やがて流花が話し終えて、落ち着いたことを確認すると、ふっと悟ったように笑った。半年先に生まれただけなのに、いつも年長者ぶっていた晴記らしい笑い方だと、流花は思った。そんなところまで、しっかりとインプットされている。


「そっか、じゃあ、しょーがねえな。それでお前が前に進めるんだったら、それでいい。じゃ、さよならだ」


 彼はなんでもないような口調でそう言った。流花は少しほっとした。

 彼は努めて人間のように振舞ってはいたけれど、ちゃんと自分の立場というものは分かっているのだ。


「じゃあ……その、停止ボタンを押せばいいの?」


「いや、俺は実在の人物に似せて造った特注品だから、造った工場に戻るよ。そこで廃棄される」


「わたしも行く。お別れをさせて」




 次の日、二人はアンドロイド製造会社を訪れた。

 流花が手続きを済ませると、彼はじゃあな、と言って片手をあげ、別室に入っていこうとした。

 流花は涙ぐみながら言った。


「今まで、本当にどうもありがとう。貴方のこと、わたし一生、忘れない」


 自動ドアが瞬時に二人を隔てて閉った。




 流花はしばらくの間、彼が消えた自動ドアの方を見つめて立っていた。だがふいに思い出したかのように、そばにいた係員に聞いた。


「あの、廃棄って、痛く、はないんですよね。彼、ロボットですもんね」


 係員はお得意の営業用スマイルで、


「もちろんですよ。痛覚は存在しませんし、廃棄されることを怖がったり、悲しむこともありません。当社のアンドロイドにそういうシステムは搭載していませんから」


 きっぱりと断言する言い方だった。まるで商品の説明をするかのような口調に、流花は反発心を覚えたが、それと同時に、心のどこかで納得もしていた。


 そうなんだよね、彼はプログラム通りに動いてただけなんだよね。


 ロボット、なんだもの。


 三年間を振り返ると彼との思い出がよみがえってきて、心の中に熱いものが込み上げてくるけれど、頭の芯は妙に冷静で、今まで現実を見ずに、ロボット相手に過ごしてきた自分が情けなく思える。

 最初こそ彼を本物の晴記のように感じていた流花だったが、時は、確実に彼女の心を癒してくれていたのだ。


 わたしはきちんと現実を見て生きていくんだ。晴記はもういないんだから。

「彼」には本当に悪いことをした。でも、こうするしかない。どうかわたしを許して。心の弱かったわたしを。

 わたしは彼のおかげで成長できた。彼のおかげで気がつけた。


 ありがとう。

 貴方のおかげよ。

 三年間の、わたしの恋人。


 流花は何度も心の中で彼に感謝すると、涙でぬれた顔を拭った。そして、二度と振り返らずに、会社を後にした。








「57FE6-RZ、これからどうする? やはり廃棄を望むのか? 見たところ故障や欠陥もないし、一時的に機能を停止して、見た目に少し手を加えて中古として出荷することもできなくもないが」


 規則的な機械の音だけがする無機質な広い部屋で、アンドロイドの技術者である初老の男性が「彼」に問うた。

 アールゼット、と呼ばれた彼はすでに専用の台の上に仰向けに寝かされていた。

「晴記」は流花が呼んでいた呼称であり、アンドロイド・ロボットとしての「彼」本来の名前は57FE6-RZという。

 名前、というより区別番号だと、彼は思う。他と区別出来さえすれば、特に何の意味も持たない、思い入れも何もない記号。

 彼は、目だけを老人の方に向けて、抑揚のない声で、ゆっくりと言った。


「廃棄を望むよ。もう、誰のものにもなりたくない。流花が前に進むためには、おれが存在してちゃ、だめなんだ。流花には、幸せになってほしい」


「ずいぶん潔いな。勝手に造られて、勝手に捨てられたというのに。最近は本当にこの手の人間が多い。死んだ者と離れたくないと言って、アンドロイドを造る。もう吹っ切れたと言って、廃棄する。まあ、私もそれで食わせてもらっているから、文句ばかり言えないわけだが」


 老人は幾分つまらなそうに、どこか不満そうに、仰向けになっているアンドロイドを見た。

「彼」は老人の視線を避けるように再び天井を見ると、独り言のように呟く。


「ねえ、おれ、ちゃんと、晴記をやれてたかな、晴記らしく振舞えてたかな。流花を喜ばせてあげられたかな」


 声は次第に震えて、最後は切れ切れになった。「流花、が喜んでくれた、なら、それでいいんだ」

 老人は処分を待つだけのアンドロイドを見つめる。 

 アンドロイドに自我は生まれないなどというのはうそっぱちだと、この仕事に就いてから、老人は思うようになっていた。


「いいのか、それで」


 思わず、彼にそう問うていた。だが、彼は聞こえていなかったのか、気を取り直したように老人に明るく言った。


「壊すのは一気に頼むよ、ベテランの技術者さん。使える部品とか、残しておきたいのはわかるけど、出来るかぎりバラバラにしてくれ」


「わかった」


 老人はそう言うと、彼に背を向けて、準備をはじめた。




(よくないよ。本当は。だけど、流花はロボットであるおれを絶対に愛してはくれない)


 体を震わせ、拳を握りしめて、唇を噛んでも、彼は泣けなかった。








「おれ、死にたくない……本当は、もっと流花と一緒にいたかったよ……」


 彼のその声は、うなりをあげた機械の音にかき消されて、老人の耳には届かなかった。

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