第26話 顔知らぬ従者

『女性のすすり泣く声が聞こえてきて私は目を覚ました。

・・・暗い。どこか地下とか洞窟といった場所になるのだろうか、空気は淀んで冷やりとしている。頬には硬い感触がある、岩肌のような硬い場所に私は横たわっているようだ。身をよじると空気が動いて、異臭が鼻をついた。

 臭っ!糞尿が入り混じったような臭いに思わず口に出しそうになって口の中の違和感に気が付いた。鉄の味がした。口の中が切れている、血の味だ。自分の怪我に気が付いた瞬間、全身のあちらこちらから痛みが襲ってきた。うめき声をあげて痛んだ場所を抑えようとしたが、後ろ手に縛られていることに気が付いた。激しく痛めつけられたのだろう、感覚がなくなっていたようだ。

 暗闇の中で、もう一度身をよじろうとする。両手も両足も縛られているが、ちゃんと2本づつ付いていることにひとまず安堵した。

 身をよじったためか、私の股の間からドロリとした液体が流れ出て太腿を伝う。

不快な感覚が背筋を走る。全身はぬめりとして隙間なく嘗め回され、乳房には爪と歯を立てられたであろう痛みが残っていた。

 随分と乱暴にされたものだ。

 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。全ての感覚が物語っている。捕らえられ痛めつけられ、監禁されているそれが私の今の状況だ。

 自分の状況を一通り確認したあとで周りを見渡した。目が慣れてきたためか、付近でうごめく影がいくつか見えた。ただ、そのシルエットは私の知っている形ではなかった。

 フローラさん、ムスク・・・。

二人の無事を案じながら、私はかろうじて捕まえていた意識の糸から手を離した』


◆1 戦略級魔法使い―ストラテジーマジシャン―

「でもそれ、もうすぐ出来るんじゃないかな?」


 リロアの何気なく言った言葉に、その場に者たちが驚きの声をあげる。

その場の視線が彼女に集まる


「えっ、なに?・・・私なにか変なこと言ったかな?」


 自分の言った言葉に思いがけない反応があり、リロアは目をパチくりとさせて固まっていた。


「変なことって、魔法鞄マジックバックに入れたものが、別の場所から取り出せるようになるって言われてるんですよね。大変なことじゃないですか」


 リロアと斜向かいに座っていたレーナが机に乗り上げんとする勢いで声を上げた。


「私が出来るようにするとかそんな話じゃなくって、魔法都市ハックベリー大魔導士じいさん達がそのうち開発するよって話」

「そのうちって、いつ頃なんですか!?」

「分かんないよ、とりあえず落ち着いて」


 たしなめられて、レーナは元いたソファへ腰を下ろした。


「らしくもなく喰いついたな。便利になるのは喜ばしいことだと思うが」


 カムクライが、珍しく興奮気味に声を荒げたレーナを珍しげに見ていた。


「単純に便利になるのであれば、喜ばしいことでしょうが・・・」


 周りの人間はその言葉に異論はないと皆が頷いた。その間をしっかりとってレーナは言葉を続ける。


「ただ行き過ぎたわざは、良くも悪くも影響ををもたらします」

「悪い影響と言うのは?」


 不穏気に言葉を紡いだレーナに、フローラが問いかけた。


「単純に考えても、他人の袋の中身を全く別の取り出し口から取り出そうって考える人たちが出てきます」

「法で縛るさ」

「法だけでは人の悪意は止められません。何か技術的な対抗策が講じられないのであれば、その研究を中止させるべきです」


 レーナは、法律で抑制することを述べた、カムクライを見やった。睨みつけるようにと言ってもいいかもしれない。


魔法鞄マジックバックに別の入り口を作っちゃいけないなんて、空が落ちてくる恐れがあるから、空に向かってものを投げちゃいけないって言うようなものです。まさしく絵空事です。だれも聞いちゃくれませんよ」

「では、どうしろというのだ」

「言ってるじゃないですか、中止させるべきです!」


「辞めろと言っても止まらないと思うよ」


 レーナとカムクライのやり取りにリロアが口をはさむ。


魔法都市ハックベリー大魔導士じいさん達は、やめろと言われてもやめないよ。その研究がどんな効果をもたらすのか、その結果どうなってしまうのか、なんて元より考えてない。研究結果の価値のあり、なしじゃないんだ。魔術の仕組みを解き明かしていく、その行い自体が面白くて仕方がないって人達。」


 そして、リロアは手に持っていたペンを指揮棒タクトの様に振るう。

魔力が込められたのか、先端がかすかに光って空間に軌跡を描く。


「善意でも悪意でもない。魔力はするとなんで光るんだろう、色が変わるんだろう。あるのはそんな興味だけ。そこから始まった疑問を探し続けて、ただ年を取ってしまった子供ガキだよ。止められるわけがない」

「ただの子供であれば、躾けることも出来るのでござろうが・・・」

「無理だよね、魔力と言う玩具は、ずっと目の前にぶら下げられているんだ。取り上げることも出来なければ、どこか棚に隠すことだって出来ない。例えば世界から魔力を取り除くが対策だとして、それが出来るはずもないし、それこそ世界が終わる影響があるかもしれない」

「今は、魔導士じいさん達の研究が進まないことを祈るしかないってことか」


 カムクライはそう言うと丸太のような両腕を胸の前で組み、椅子の背もたれに体重を預け、天井を見上げると大きくため息をついた。


「そもそも、本当にそんなことが可能になるのですか?今まで夢のまた夢のような話で、そんなことが出来るようになるなんて考えたことなかったのに・・・にわかに信じられませんよ」


 隣りで興奮冷めやらない先輩を横目に、ユッカは率直に自分の感想を述べた。その言葉にフローラも頷く、同じ思いを持ったのだろう。


次元移動ディメンジョンムーブ空間転移門トランスファーポータル、大規模な術式や装置を必要としているけど、異次元にアクセスしてそれを通過する方法は既に確立されている。例えば、次元移動ディメンジョンムーブの出口を魔法鞄マジックバックと同じ階層チャンネルに開く技術と、あとは魔法鞄マジックバックの中身がある座標を特定できるような技術が出てきたら、他人の袋の中身に全然別の場所から手を入れるようなことが出来るようになるかもね、って話。」


 レーナの心配をよそに、リロアはあっけらかんと言い放った。


「確かに、そういう言い方をすれば出来そうな気がするけど・・・それは海の底に沈んでいる砂の中から、落とした指輪を探すような途方もない話ではないのか?」


 フローラが一瞬考えた後に応えた。単純に考えて不可能な話だ。 


「そう、しかも何層にも重なってるような場所。普通に考えれば無理だよね。あと10年、100年と研究したって砂を掘り返す道具は手の平からちょっといいスコップになった程度の変化しか起こらないはずなんだよ」

「じゃぁ、そんな心配する事じゃないってことですね」


 レーナがやっと安心したように胸を撫で下ろした。


「でも、そんな研究を理屈ない力で飛び越える人間が突如として現れることがある。そんな人間が現れれば、100年の研究も1年に縮まることだってあるって話」


 リロアは宙に振っていたペン先から視線を外して横に流した。リロアの隣には夜雲が座り、その奥には小さなチェストを椅子代わりにしたフローラが座っている。


「天才という奴か」


 そんな彼女の視線に気づくことなく。カムクライの視線は相変わらず天井を向いたままだ。


「天から授けられた才。まさしく天授の才ギフトだ・・・」


 フローラの言葉にその場にいた者たちがハッとなった。


「異世界転生者!」

「そうですよ、彼らは理屈の通じない力を持っていることが多いと聞きます。たしか彼らの間ではとかって呼ばれてるとか」

「そんな能力の中には、異次元の座標を特定するような能力を持つものが現れれば・・・」


 口々に自分の思い描いたストーリーをつぶやいては頭の中で何度も反芻する。見えてくるのだいたい決まって悪い方の未来だ。


転生者のほとんどは赤子としてこの世界に生を受ける。自我が芽生え、能力が発現しそれが噂となれば、各地域の国、ギルド、聖教会、研究機関、あらゆる団体が保護と言う名目で身柄の確保に動く。我々カミリア冒険者組合ギルドも幾らかの予算を割り振り、異世界転生者の情報を探している。異世界転生者の力は時に国の立ち位置を変える。それに・・・」


 ギルガルドが腕組をしたまま、リロア達が座るテーブルとソファの方を見据えて口を開く。

 そして、ひときわ大きく息を吐くと


戦略級魔法使いストラテジークラスマジシャン・・・。」


 と、重たく一言つぶやいた。

 その場の人間が改めてカムクライを見つめた。いや、目に力が入ったというべきだろう。その中でピクリとリロアの肩が揺れる。


「15年前、戦略級魔法使いストラテジークラスマジシャンと判断されたの少女はたしか異世界転生者だったはずだ。どの国も次の戦略級ストラテジークラスを探して転生者探しには躍起になっているだろう。その中で、異次元の座標を見通すような能力を持つものも現れるかもしれないが、そういったものはすぐに噂となって伝わるものだ」

「確かに、ここ最近でそういった能力を持ったものの噂は聞きませんね。明日明後日にどうにかなってしまうということはなさそうですね。油断は出来ませんが」


 カムクライの言葉に対して、レーナも一つため息をついた。

 心配していることはおそらく杞憂に終わる可能性が高い、しかし可能性はゼロではない。

 そんなものに対してどう向き合っていけばいいのか、頭を抱える必要もないかもしれないが、悩みの種は間違いなく頭に植え付けられたことを二人とも認識した。


◆2 天授の才―ギフト―

 

「異世界転生とは・・・輪廻転生のようなものなのか。拙者もそうなのでござろうか」


 夜雲がふとつぶやいた。

 カムクライがそのつぶやきに気づいて言葉を返した。


「輪廻転生・・・。たしかブッキョーとかヒンドーとか、いわゆる異世界の死生観だったか。私もよく知らないが、肉体は滅びようとも、その魂は不滅で何度も転生を繰り返すという」


 カムクライの言葉に、夜雲は黙ってうなずいた頷いた。


「どうだろうな、我々の世界にも同じような教えを説く者たちはいるが・・・ただ、転生者は決まって別世界の記憶を持ちながら、この世界で生まれると言われている。そしてその多くが特殊で強力な能力を授かるという。それが天授の才ギフト

「ちいと能力とか話していたものでござるか」

「そうだ。武技スキルとも魔法マジックとも言われ形態は様々だか、そのほとんどが強力無比。誰も真似することが出来ない。凡人の努力で届かぬ領域」

「故に、天才でござるか」


 夜雲の言葉に今度はカムクライが頷いた。


「確かに、君の剣技はあのギルガルドが舌を巻いた程で目を見張るものがある。しかし、それは天授の才ギフトではなく努力の賜物だろう。ただどれほどの研鑽を積めばその領域に到達できるのか」

「拙者に剣の才があったとは思わぬ故、誰でもいずれは」

「謙遜も度を過ぎれば嫌味になるというものだ。君に剣の才能が無かったとすれば、誰が剣の腕前を謳えよう」

「才も腕も、剣自身ををひけらかすようなことはせぬ」


 夜雲の言葉に少し語気がはらんだ。


「そうか、そうだな、そういう男なのだな君は」


 カムクライはその巨体さながらにどっしり深く椅子に腰かけたまま、夜雲の答えを受け止める。それから自分の頬髭をひと撫ですると続けて言葉を吐いた。 


「君の剣技は転生者特有の天授の才ギフトとも考えたが・・・しかし君は常識に疎い、余程の田舎から出てきた世間知らずにしても、だ。そもそも魔力無しの人間など転生者探しの盛んなこの時世に噂の一つも入ってこないはずがない。これすなわち!」


 突如カムクライが椅子から立ち上がる、伝説の巨人ティターンでも現れたかのように、のそりと影が伸びるのと合わせて、カムクライは組合長ギルドマスター用の大きな机から半身を乗り出して夜雲を指さす。


「小次郎くん。君は転生者ではなく転移者だ!」


 場に静寂が流れる。

カムクライは夜雲を指さしたまま固まっている。


「・・・てん、イしゃでござるか」


 なんのことか分からずキョトンとする夜雲の隣でリロアが


「いやほら、あの、その!」


 と、慌てている次の瞬間。


「ですよね~!」


 堰を切ったようなユッカの声が響き渡った。

 あたふたと手と首を振り回していたリロアも手を止めてユッカの方に向き直る。


「色々と話がかみ合わない部分があったし、お話の訛り方もどの地方にもない感じでした。姿格好も見た目先行の冒険者のそれとも違うし、どう考えても転移者さんとしか思えかったです。気になってはいたんですが、隠したいとか、敢えての行動とか色々な考えの人がいますから聞くに聞けなかったんです。とはいっても、組合長マスターのはドヤりすぎですけど」


 ユッカの横でレーナも頷く。


「すいません小次郎さん。私も気にはなっていたのですが、転移者であることは転生者とも混同されやすくあらぬ誤解を受けやすくて、隠したがる人が多いんです。冒険者組合ギルドとしても、任意申告程度で特に義務として課してないのです。」

「いや、何を謝る。自分でも分からなかったことは隠しようがない、そちらの不備ではないであろう」

「ありがとうございます。転移者と言うのはこの世界とは別の世界、異世界からやってきた、なんです。転移者だといってもバッチをつけて街中歩いてくださいみたいなことしませんから」

「下手に目立つのを嫌がる人間いるであろうな」

「確かに別世界からやって来て、異世界の記憶を持つ異世界転生者と似ているのですが、転移者の場合は赤子ではなく、以前の世界の姿のままこの世界に迷いこむと言われています」

「小次郎さん、思い出してみてください。この世界で幼少期を過ごした記憶はありますか」


 レーナの後に続いて、フローラが夜雲に問いかける。


「・・・・・・」


 簡単な問いに夜雲は腕を組んで深く考え込む。

幼少期の記憶、過去の記憶、この世界で目覚めた時の記憶、どれも虚ろではっきりと形にならない。

 はっきり記憶にあるのは、世話になったイラーフの村で目が覚めてこっちの記憶程度だ。

 真っ黒な記憶ではない、所々で思い出せるようなものはある。ただ、それが夢現ゆめうつつのものだったのか、真実まことのものだったのか区別が付けられない。


「・・・いや、記憶自体が混濁しておるのかよく思い出せぬが、少なくとも幼きときにこの世界に身を置いていたという感じはない」


 その言葉を聞いてカムクライが頷く。


「ならば、転移者であろうな」

「転移者と転生者にそれほどの違いがあるとも思えぬが」

「転移者と転生者の違いはもう一つ、それは天授の才ギフトの有無です」

「だとしてもでござろう」

「いいえ小次郎さん。天授の才ギフト・・・時にと呼ばれはじめた元は、ズルい、不正・不公平な能力と呼ばれていたのが転じた言葉と言われてるみたいです。そんな身も蓋もないような表現を用いられるほど、天授の才ギフトの有り無しというのは、人が持つ能力として頭抜けています」

「それほどのものでござるか」


 レーナの言葉に、夜雲は左右を見る。視線の先のリロアは頷き、フローラも言葉を紡ぐ。


「あなたの剣は岩を断つと言われても私は信じます。しかし天授の才ギフトを持つ転生者ならば山をも抜くと言われても、私は疑うことすらしないでしょう」

「よく言われているのが『転移者と転生者は、ただの人とまるで化け物』。単純だけど、これ以上分かりやすい例えもないと思う」


 フローラもリロアも口をそろえて行ったのは、転生者のその恐ろしく伝わるその強大な力だ。

 話しぶりから、それはこの世界の誰しもが持つ一般的な認識だと思ってもいいだろう。


「にわかに信じがたいが、いつかまみえることもあれば、その真偽も定まろう」


 夜雲はさして気に留めた様子もなく、ただ「ふぅ」と小さく長く息を吐くと、自分の正面に座るレーナへと向き直った。

 小さくとも力ずよく、穏やかな息吹だ。

 その一呼吸が起点となり、場の空気が変わる。

 わずかばかり興奮が残っていたレーナは、手櫛で髪を軽くとかし、フローラは姿勢を正す。

 ユッカが机に並んだカップに目を落とし、それぞれの減り具合を確認すると、ソファから腰を上げる。

 リロアは自分の横に立てかけていた愛用の杖を収まりのいいように直そうとしたが、逆にうまく立たなくなってしまったので、早々にあきらめる。

 どうせもう書き物はないはずなのだ、この場が終わるまで脇で抱えておくことにした。


「転移者はただの人とは言うが、『転生者の顔知らぬ従者』と言われることがある」


 トレイを持ちだしてカップの回収を始めるユッカに自分の空いたカップを渡しながら、カムクライがつぶやいた。


「現れた魔王を倒すため、世界に秩序を取り戻すため、または乱れた魔素マナを整えるため・・・転生者には、強大な力と合わせて振るうべき理由が与えられるという。ただの神々の余興や悪戯だというやつらもいるが、化け物と評される巨大な力だ。何かしらの目的を成すためとめだと言われている。ならば何の力も持たず異世界に放り出される転生者の意味とは」

「そう言う言い方をすれば、何の力もないのだから、何もないのでござろう。生まれ育った地を離れ難儀なことでござる」

「他人事のように言うが、君もそうだからな・・・。ただ、転移者が現れるタイミングと、転生者がこの世界に生まれる時は不思議と近い」


 何か確証があるわけではなかったが、今までの事例をたどれば恐らく”そうだろう”という傾向は見えていた。

 レーナが補足として口を挟む。


「転移者と転生者は、現れる場所も比較的近い場所だと言われているので、転移者が現れた場所と時期が分かれば、その周辺の村や町で、その年に生まれる赤子の中に転生者がいる可能性が高い。だから、国や組合ギルド、貴族・豪族は転生者を探すために金を使ってでも転移者の情報も集めているのです。ただ、その追及を嫌って世間に溶け込んでしまう転移者の人も多くて」

「転移者の影に転生者の影あり、故に顔知らぬ従者でござるか」


 夜雲が自分の顎をさする。

 自分が転移者だとするのであれば、今の話にあった対になるような転生者がどこかで生を受けた可能性は高い。

 さて、どうだったのだろうか。


「思い当たる節があるのか?」


 カムクライが夜雲の考えていることを予測して問う。


「いや、皆目わからぬ。いつからこちらにいたのか、あの時気づいた場所、あの森がどこだったのか、あっちだったのかこっちだったのか。ただ、別の世界だと認識したのはイラーフの民に世話になってからの事だ」

「イラーフの村だったか、誰も聞いたこともない村だが、もっと詳しく知らべ手見る必要がありそうだ。イラーフの村で気づいてこっちでどのくらいの期間になるか分かるか?」


 夜雲は腕を組んだ。日の昇った数、沈んだ数を意識して過ごしていたわけでもない。


「おそらく3年ほどでござろうか。イラーフの村で3回ほど冬をすごした覚えがある。村の場所は分からぬ、村を出てから長く迷っていたところをリロア殿に拾われた」


 カムクライの視線が、リロアに向いた。

その視線の意味を察して、リロアが口を開く。


「こちらに関して報告の義務はないかと思いますが」

「協力のお願いだ。有益な情報に繋がれば、あとで謝礼もしよう」

「まぁ、イラーフの村ってのは私も興味がありますし」


 言うが早いか、レーナが先ほどまで書類を並べていた机の上に地図を開く。

カミリア周辺の地図だ。


「さっき報告した通り、私はゴズたちとこの森を抜けてカミリアに向かおうとしてた。途中の裏切りのアクシデントで道を逸れたがそこまで大きく外れた分けじゃない・・・小次郎と出会ったのは、せいぜいこの辺りよ」


 リロアは地図の一点を指差す。


「そのあたりは確かに道も荒れて、誰も好き好んで近づくような場所ではないですが、周辺にも何もないって自信をもって言える場所です。ましてや村なんて…」


 フローラが自分の冒険の記憶と照らし合わせて、言葉を紡ぐ。


「私は嘘をついていないわよ。小次郎がどんだけ迷って、どっちの方向からこの場所にいたのかはわからないからこれ以上の情報も出ないけど」


 言いながらリロアが夜雲の方を見る。


「あてどなく歩き続けていたのだ、目印とするべき山も星も知らぬ。拙者に聞かれたところで答えようもない」


 夜雲はため息をついた。

分かり切っていた答えだ、周りにも落胆の空気はない。


「十分だ。また何か思い出したら教えてくれ」


 自席を立ち、リロアと夜雲の後ろから地図をのぞき込んでいたカムクライが言う。

転移者の彼の実力を見れば、すぐに名が売れるのは火を見るより明らかだ。

その出で立ち、言動、立ち振る舞いを見れば、転移者であることも想像に難くない。

 そうなればすぐにでも今得た情報は、他の組織の知るところになるのは時間の問題である。

 ならば確度の低い情報ではあるが、自分たちだけが知りえているこの状況なら、すぐにでも動いておいた方がいい。

 カムクライは頭の中で計算をする、調査を依頼する人数、金額、報酬額、期間。


「十分だ、何かまた思い出したら教えてくれ」


 カムクライは頭を動かしながら、夜雲の肩にポンと手を置き、また椅子に座り込んだ。

 これで、また一つの話題が終わった。

 決闘場から4人でここに上がってきてから、気づけば随分と時間が流れていた。

日は一番高い場所を通り過ぎ、市場の昼の賑わいも過ぎ去っているようだ。

 今から依頼クエストをこなそうとするのであれば、出先での夜の明かし方も考えなければならないかもしれない。


 カムクライが席に戻る様と、その向こうに見える窓の外の光を見ながら、リロアは考えていた。


 ドカッ


 その巨体を揺らして、カムクライが席に着く。

同時にユッカが紅茶を入れ直したカップを差し出した。

カムクライは言葉にはしなかったが、手を挙げて彼女に感謝を示す。

 その手が上がるのを合図にしてかはわからないが、夜雲はまた正面を向き直り、レーナに向かいあった。


「色々と話が逸れてしまったでござるな。リロア殿は、これで食い扶持にありつけると言っておったが、何をどうすればよいのだ?」

「あ、それは1階の目立つところにある依頼掲示板から・・・」


 そうレーナが簡単に依頼受注の流れを説明しようとしたとき、ドタドタとけたたましい足音が聞こえてきた。

 さっきまで、書類を取りに奔走していた組合職員の足音とは明らかに違う。

 ガシャガシャと留め具の金属がこすれあう音、装備を身にまとった冒険者だろう。


 ユッカは机にカップを並べていた手を止め、カムクライの後ろに身を隠す様に移動する。レーナも入り口のある後ろを振り返りつつも、その場からすぐに離れられるように、椅子から腰を浮かせた。

 フローラは剣の柄に右手をかけ、リロアは杖を握っていた手に力を込める。

しかし夜雲とカムクライだけはその場で泰然としている。


「急ぎの報せでござろう」


 夜雲が一人つぶやいた瞬間に、バンッと扉が開いた。

姿を見せたのは、まだ若い冒険者だ。短く刈り込んだ短髪に、動きやすそうな皮の鎧を身に纏い、軽く息を整えながら彼女の名を呼んだ。


「フローラさん!集合かかりました、出ます!」


”躊躇いなき刃”ノントワイスソードの仲間に名前を呼ばれたフローラは勢いよく立ち上がる。


「すぐに向かう!」


 それだけ言うと、組合長ギルドマスターに一礼、夜雲らにまた一礼と簡易的ではあるが二度頭を下げて部屋を飛び出した。

 窓から差し込む穏やかな日の光とは裏腹に、部屋には緊張感が残っていた。


・・・続く

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