第20話 冒険者の葛藤 男の意地

『こんにちわ、カミリア冒険者組合ギルドで働いてます、ユッカです。

 リロアさんのお連れさんで、変な恰好をした剣士さん。

汚らしい恰好に、無精な髪の毛とお髭の冴えない風貌。最初の印象は正直「ないな」でした。

 でも、お伽噺に聞くサムライソードっぽいものを背負って、ほかの人とはなにか違う雰囲気があって、「ない」と思いつつも気になったのは確かです。

 冒険者はこれまでに何人も見てきましたが、ただ単に目立ちたいだけで、向こう見ずで、自信家で、恰好だけの冒険者とは何か違う…ほんとに何かを感じたんです。

 まぁ、私の勘と言ってしまえばそれまでなのですが。

 でもそうですね…あのリロアさんが連れてきていたっていうのが、私的にポイント高いんです。

 あの意地っ張りで、偏屈で、かたくなな癖に、変なところで奥手で、めんどくさがりのくせに急に弱気になったり。

 何よりいつまで経っても決まったパーティを組まないやり方スタンスで、そもそも他の冒険者との付き合いをあまり持ちたがらない、あの野良ノラ猫リロアが、まさか男を連れてくるなんてっ!

 こんなおもしろっ…コホンッ。こんな珍しいことはありません!

 これは俄然興味を惹かれて、彼の冒険者登録業務を是非にと請け負ってみたのですが…。

 まぁ、先のお話のとおり魔力がないという反応で、テンヤワンヤしてたわけです。

 さてさて、これでただ単に気になっていた程度の彼にも俄然興味がわいてきたわけですが…。

 えっ、幸運の受付嬢ラッキーレセプショニストですか?

私は、そんなもの無いと思っています。スキルでも、魔法でもないって意味です。

私が受付して担当になったら、成功するか早死にするかなんて、そんなのある意味『呪い』ですよね。冒険者さんにとっても…私にとっても』


◆1 ギーズ

 カミリア冒険者組合ギルドの冒険者新規登録用の受付カウンター。

 夜雲の冒険者登録のため、魔力検査装置の操作を行っていたユッカ。

 夜雲の持つ魔力に装置が反応しなかったため、ほかの職員とともに四苦八苦していた。

 そこへ、リロアが


「集中しないでいいから、そのまま手を置いてみて」


という言葉の通りに、夜雲が手を置いた時だった。


「…あっ、これは!」


ユッカが、驚くように声を上げる。


「ありました!魔力!確認できました」


 これで、ひとまず何とかなるだろうと思われたが、ユッカの次の言葉がそうは簡単にいきそうにないことを告げた


「ただ…魔力の量が少なすぎるせいか、色もクラスも判断できなくて…」


 ユッカが申し訳なさそうにとも、憐みとも取れそうななんとも微妙な顔を見せながら言った、その瞬間、周囲がドッわいた。


「なんだよ、ほんとのほんとに、魔力がなかっただけの魔抜けまぬけかよ」

「しかも、最新式の装置使って、クラスどころか色も判断できねぇって、そりゃ前代未聞ってやつなんじゃないのか!?」

「言ってやるなよ、プックク…装置の方が壊れてたかもしれねぇだろ」

「あんなに、入れ替わりでほかの奴らが試していたのにか?」

「じゃぁ、ほかの奴らがおかしいんじゃないのか」

「なるほどなー、それなら説明がつくな。ワハハハッ」

「伝説のなかには、『光線級ビームスクラス』なんてのもいたと聞くが、これじゃさしずめ『豆級ビーンズクラス』だな」

「その威力、豆鉄砲のごとし!なんてな!ワハハハハッ」


 夜雲たちを囲う冒険者たちが一斉に爆笑し、囃し立て、心無く煽っている。

早い話が馬鹿にしているのだ、目の前の侍風の男を。


「こんな、こんな御大層なサムライソード引っさげて、そりゃソードマンとしてやっていくしかねえよなぁ。魔法の才能これっぽちもねぇんだから」


 周りより一つ大きな声で、さらに冒険者たちの囲みから一歩前に出て分かりやすく煽ってくる男がいた。

 さっきも夜雲の事を、魔法照明マジックライトも使ったことのない田舎者だと笑っていた男だ。

 名前をギーズと言う。

 彼も冒険者を生業として、このカミリア冒険者組合ギルドに身を置いている。元々は街で仲間と悪さばかりしていた鼻つまみ者であったが、幼馴染であるユッカに惚れていて、ユッカがギルド職員になった時、勢いのままに冒険者を志した。

 しかし冒険者としては芽は出ず、そのランクは中堅程度…いわゆる並み冒険者と言われるCランクにとどまっていた。

 そして月日が流れるにつれて自分の才覚の無さを痛感するも、以前のようなただの悪タレに戻るような恥ずかしいこともできず、店の一つも構えて家族を持ち、冒険者ではない普通生活に自分の姿を見いだせず、ただズルズルと冒険稼業に身を窶していた。

 ユッカは組合ギルド職員の中でも人気があるだけではなく、冒険者からの信頼も厚い。彼女は目立って昇給したり、進んで上の地位に就こうとはしないが、しっかりと足場を固めて自分の足で立っている。

 それに対してギーズ自分はいつまでもフラフラと、芽も出ず、いつまでも安定しない冒険者稼業を続けている。

 それは、ユッカとの差を見せつけられるかのようでつらかった。

 そんな辞められないだけの冒険者生活に引きずられるように、ユッカへの想いに未だ決着を付けられないでいる。

 

 面白くなかった。

滅多に新規に冒険者登録業務なんかしないユッカが、自ら受付を名乗り出て、その男の腕を引き、耳元で何かを囁きかける。その何もかもが。

 

「でもまっ、よかったじゃねぇか魔抜けまぬけ野郎。ちゃんと、自分の実力の程が分かってよ。そんな魔力じゃ碌な仕事クエストも受けられねぇだろ。精々、壁の近くで雑草抜きがお似合いの仕事だと思うぜ」


 ギーズは夜雲に対してなおも挑発的な言動をしていた。

 夜雲は顔こそギーズの方へ向けたものの、特段取り合う様子はなかった。その目に怒りも怯みの色もなく、ただギーズを見ているだけだった。


「ギーズ、やめて!さっきも言ったけど、揉め事なら奥の決闘場でやって!でもコジローさんは今まさに登録を行おうとする新規冒険者ルーキーだから。勝負を挑むのであれば、冒険者組合ギルドはコジローさんへの援助、助っ人を準備することになるよ!」


 冒険者というのは、命の危険が付きまとう稼業でありながら、それを生業とする人数は以外と多い。

 対して、依頼事は次から次へと冒険者組合ギルドへと舞い込むが、その中でも「おいしい仕事」というのは、もちろん多く数が出てくるものではない。

 当然、「おいしい仕事」は冒険者同士での依頼取り合いとなることも多く、その競争相手も多い。

 ともなれば、競争相手をつぶしてと考える不届きな輩も時に現れる。特にまだまだ実力が伴わない新人ルーキーはこういう時の恰好の的となる。

 そのため、ギルドが登録からの一定期間の新人は保護期間として、指導役件護衛として、一時的にベテランへパーティ入るように紹介したり、決闘の際に助っ人を冒険者組合ギルドが準備することもできる。

 他には依頼未達成の際の補償、希望者へは旅団クランへの入団斡旋なども行う。

 冒険者のイメージ向上のため、冒険者組合ギルドはこういった福利も推し進めてきた。


 先のユッカの発言は仕事であればこそであり、別に夜雲だからというわけではない、新人冒険者ならだれに対しても言っていた、冒険者組合ギルド職員ならいたって普通の対応である。


 ただそんなことですら、ギーズにとっては面白くない。

 ユッカは幼馴染の自分より、新参の男をかばったことに違いない。

 もともと先の依頼クエストに失敗してムシの居所も悪かった、もはやただの八つ当たりだ。

 しかし、夜雲は全く意に介さないとばかりに、一人騒ぎ立てるギーズを見ている。


「この野郎、スカしやがって!魔力が少ないっては隠せるもんじゃねぇ。魔力がねぇ奴は、実力がねぇと同義なんだよ。見た目でハッタリかましたところで、お前を仲間にしようなんて奴は出てこねぇよ!」

「おい、もうよせギーズ!」


 さすがにギーズの仲間と思しき男が腕をつかんで止めに入った。

そしてもう一人、ギーズと夜雲の間に割って入る人影があった。


◆2 決闘と娯楽

 ギーズと夜雲の間に割って入った人影、それはリロアだった。


「私の仲間パーティよ!馬鹿にしないで!」


 騒ぎ立てるギーズの目を見据えて一喝する。

 女性らしく細く華奢な体を威嚇の意味で大きく見せようと、両手を腰骨に置き、胸を逸らしてふんぞり返る格好だ。

 その胸に実る両果実がことさら強調されて、リロアは取り囲む男たちの視線を集めた。


「魔力が少なくても、魔法が使えなくても、田舎から来た剣士ソードマンだとしても、彼は私が認めた仲間パーティよ。二度と馬鹿にしないで!」


 周りを囲む冒険者たちがどよめいた。

別にリロアの迫力に気圧されたわけではない。

彼女が仲間パーティだと堂々と言い放ったことに、驚いているのだ。


「まじかよ、あの野良ノラ猫リロアが?」

「あいつ基本的に仕事クエストこなすのに、決まったパーティ組まないんだろ」

「そうだ、その都度どこかの一団パーティに助っ人としては入ることがほとんどだ。でもその仕事が終わったらそこまで。その後も続けて同じパーティに残る事はしないやつだ」

「俺の一団パーティにも誘ったことあったんだぜ」

「どんな実力者集団にも、どれだけ金を積まれても決まった集団パーティには属さないって言われてたリロアが?」

「あのカミリア最後の一等星だぜ」

躊躇いなき刃ノントワイスソードの誘いも断ったって話もあるんだろ」

「どうやったんだよ、あの男!」


 冒険者たちは互いに顔を見合わせ、リロアとその後ろの夜雲を交互に見比べては、目をぱちくりさせていた。


「リロア殿…そんな話でござったか…?」


彼女の背中越しに夜雲は少し身をかがめて、小声で問いかけた。


「どうせ当てのない旅なんでしょ、付き合ってよ」


リロアは、少しだけ顔を横に向けて、小さな声で返答した。その横顔には少しだけ苦笑いの色が見えたような気がした。


「なんの騒ぎですか!?」


 不意に上から声が飛んできた。

 その場にいた全員が上を見上げる。この建物は吹き抜けに状になっており、2階から1階の様子を見ることが出来る。

 2階には、職員待機所や書庫などがあり、組合長ギルドマスターの部屋、応接室もあった。

 2階の手すりからレーナが身を乗り出していた。

 その横にはこの冒険者組合長ギルドマスターのカムクライ。旅団クラン躊躇いなき刃ノントワイスソード」の旅団長クランマスターであるギルガルドの姿があった。

 今までまさに2階の応接室で話し合いがもたれていたのだ。


「小次郎さん!」


 名前を呼ばれて、夜雲は振り返った。そこには自分の傍らに駆け寄ってくる影があった。

 フローラだ。

 レーナらの話し合いに同席していた彼女は、この騒ぎに気付くと同時に夜雲の姿を見つけて階段を駆け下りていた。


「フローラ殿」

「なにかあったのですか?」

「いや、心配されるようなことは何も」


 フローラは軽く息を整えながら訪ねたことに、夜雲はそっけなく答える。

 しかし、彼をにらみつける冒険者の姿と、それをかばうように間に立つリロア、そして周りを囲む冒険者たちの早くしろと言わないばかりの視線。

 フローラは状況から、何が起こっていたのか大体の察しはついていた。そしてため息を一つつく。


「よくあることですね。私が助っ人名乗り出ましょうか?」


 冒険者組合長ギルドマスターに、この街の誰もが知る旅団クランマスター、そしてその旅団クランのエースにして次期Sランク候補の冒険者。

 まさしく錚々たる顔ぶれである。周囲を囲む冒険者たちのざわめきが、どよめきに変わる。明らかに困惑していた。

 なぜ魔力もないこの魔抜けな駆け出し冒険者と白き冒険者バニラが顔見知りなのか。

 助っ人の申し出を即断してしまうような仲なのか、なぜなぜと疑問が渦巻いていた。


 これにはさすがのギーズも一歩後ろに下がった。

砲級カノンクラスの魔法使い、それにAランク魔法細剣士、どちらも自分より格上だ。助っ人に入られては自分に勝ち目がない。

 しかし、冒険者としては不甲斐ないと自分でも思いながら、以前は街の不良、煙たがられながらも我を通した男としての意地がある。それがたとえ猿山の対象だとしてもだ。


「っか、仮にも剣士ソードマンならよ、前に出てくるのが普通だろ。まさか、女の陰に隠れっぱなしってわけじゃないよな」


 もう一度前に踏み出したギーズに、冒険者達は「おぉ」と感嘆の声を漏らした。

この面子を前にすれば、普通は引っ込むものである。それでもなお煽るその行為は、自殺行為を通り越して、ただの馬鹿である。

 しかし時として冒険者はこういった馬鹿が大好きである。


「いいぞ、ギーズ。お前は馬鹿だがよく言った」

「骨は拾ってやるぞ!」

「蛮勇もまた勇気!いけよ若造!」

「男みせろギーズ!!」


 すぐにやんやと囃し立て始めた。

 ギーズはもとよりこういった雰囲気に乗せられやすい男である。


「なぁ、やろうぜ。アンタと俺で!冒険者の資格テストじゃないがアンタの実力を見てやるよ。男だったら決闘しようぜ!」


 明らかに勝負を申し込んだギーズに、周りを囲む冒険者たちもドッと湧いた。

冒険者同士の争いはもちろん御法度である、許されるものではない。

 しかしこうして冒険者組合ギルド管理のもと試合形式にしてしまえば、その限りでない。

 冒険者の敵は、主に魔物である、四足歩行の獣、触手をうねらせる植物型のモンスター。手の数、足の数とおおよそ人とは対等な条件にならないものばかり。

 人型と言えば、ゴブリン・トロール・スケルトンと枚挙に暇はないが体格に差がありすぎたり、知能が低かったり意思を持たなかったりする。

 

人と人の戦い。

同じも力、対等な条件だからこそ高揚するものがある。

そしてそれは、いつの時代も娯楽となった。


「貴様!まだ言うのか!!」


 怒気をあらわにして、ズンと右足を鳴らしたのは、フローラだ。

Aランクの彼女が助っ人を名乗り出れば、勝ち負け以前に引き下がるのが普通である。

それは、彼がAランクの庇護下にあることを示し、引っ込みがつかなくなった者への免状でもある。

 それを聞いてなおギーズの行った挑発は、彼女の顔に泥を塗ったことに他ならない。

 時に果てなき雪原ニィーベ・ネーヴェ・ネージュの二つ名を冠されるフローラの思いがけない怒声に、一瞬場が静まり返るが、さらにそれを制するものがいた。


「フローラ、彼の助っ人につくことは許さんぞ」


 ギルガルドである。

 フローラが所属する旅団クラン躊躇いなき刃ノントワースソード」の団長マスターである彼は、いわば彼女の上司だ。

 彼女にモノ言う権限は十分にあった。


「えっ?しかしマスター!?」


 フローラは従うべき団長マスターの言葉に、驚きを隠せないでいる。まさか止められるとは思ってもみなかったのだ。


「そっちの魔法使いのお嬢さんもだ。あなたに私がどうこう言うことは出来ないが、男の勝負だ。邪魔しないでやってくれるか」


 ギルガルドはさらに、ギーズの前に立ちはだかるリロアにも言った。


「……」


リロアは何も言わないで、2階の男たちを見ていた。


「嬢さんが助っ人につくというなら、俺はそっちの男のほうにつこうか?」


リロアはため息を一つついて、腰骨に当てていた両手を下ろした。言葉に従うという意思表示だ。


 たしかに、リロアは「躊躇いなき刃ノントワイスソード」の所属ではなく、ギルガルドから何かを言われる筋合いはない。

 しかし、この街において「躊躇いなき刃ノントワイスソード」の旅団長クランマスターの言うことに従わないということが、何を意味するのかは想像に難くなかった。


「ちょっと、ギルガルドさん!何を言って!マスター!止めてください」


 慌てふためくように助けを求めたのはレーナだった。

 彼女の言う助けを求めたマスターは、旅団長クランマスターのギルガルドではない。

 カミリア冒険者組合ギルド組合長ギルドマスターのカムクライである。

 この街最大の勢力を誇る旅団クランの長に、何かを言えるとしたら確かにこの組合長を置いて他にいないだろう。

 しかし当の本人は自慢の頬髯をさすりながら


「いや、やらせてやればいいじゃないか」


と、あっさりと言い放った。


「…そんな!!」


 ギルガルドもカムクライも考えていることは同じだった、先のフローラからの報告を聞いた時きから。

 見てみたかったのだ、旅団クランの中核を担うAランク冒険者をして1度見ただけで「彼の剣技はとても自分の及ぶところではない」と言わしめたその男の技を。


 レーナは自分の血の気が引いていくのが分かった。

 少し意識が遠くなるのが分かったが、その瞬間、階下からのものすごい圧力がレーナの意識を呼び戻した。

 冒険者たちの歓声である。

 旅団長と組合長の言葉に一気に盛り上がっていた。見るなら結果の分かった茶番ではない。ルーキーが街の不良上がりにどこまでやれるか、そっちの方が面白いに決まっていた。

 そして「受けろ!」「受けろ!」の大合唱となる。

一時はギーズを止めに入ったその取り巻きも、雰囲気に気圧されて冒険者の輪の中に消えている。

 周りの後押しを受けてギーズは大きく息を吸い込み、姿勢を正す。


「あんたは新人だ、助っ人に頼んでも何ら問題がねぇ。そして横の今勇者様、砲級カノンクラスの魔女様、どちらが出て来ても俺は勝てねぇ。でも、俺が喧嘩売ったのは男のアンタだ!そのまんま女の影に隠れて出てこねぇってなら…!」


 ギーズがずいとさらに前に出る。

前に立ちはだかるリロアを押しのけ、夜雲の方へ手を伸ばした。


 この時、夜雲は半身の体制だった。話していたのはあくまでカウンター向こうのユッカであり、ギーズではない。

 あれだけ煽って、罵声を浴びせたのにこちらに向き直りもしない、目の端に留める程度の扱いは、ギーズをさらにイラつかせていた。


 夜雲は半身の体制だったため、ギーズの手を伸ばした先には夜雲の背負った大刀とそこにヒラヒラと舞うリボンがあった。


「このリボンを頭に巻きなおして、おとなしくしてやがれ!」


 と言い放ち、リボンの端をつかもうとした瞬間、リボンは伸ばした掌の中をスルリと抜けていった。

 夜雲がようやくギーズの方へ向きなおったことで、伸ばした手を躱す形となった。


 そして、ギーズは同時に強烈な威圧感を受けた。

 巨大な鉛の球を鳩尾にぶち込まれたような、透き通ったガラスの棒を痛みもなく喉元に突き入れられたような。

 息が出来なくなりそうだったが、頭だけは妙に冷静で色々なことを考える。そしてそのどれもが「出来ない」「不可能だ」に行きついた。

 うまく表現は出来ないが、近い感覚に覚えがあった。

 駆け出しの冒険者のころ、勇んで向かった先で”森の主”に出会い自分以外の仲間すべてが惨殺されたあの時の記憶と感覚だ。

 

 その感覚は一瞬だけの事だったがギーズは腰が抜けて、足が踏ん張れなくなった。手を伸ばしたまま前のめりに倒れそうになった時、その手を掴むものがあった。


 夜雲だ。


 ギーズの伸ばした手を取り、握手のような形となると、そのままギーズを引き寄せた。

 足に力が入らなかったギーズは倒れ込むように夜雲との距離を詰めるが、夜雲は掴んだ手とは逆の手でギーズの肩を支えた。

 ちょうど前のめりになったギーズを夜雲が支えたような形となり、自分の胸元あたりにあったギーズの顔に夜雲は自分の顔を寄せる。


「この織物は、故あって預っているものなので、むやみやたらと触られるのは好まぬ。それから、決闘…でござったか、男の勝負というのであれば勿論拙者がお受けいたそう。ただ拙者は主の言う通り、ここで生きていくには難儀な魔抜けマヌケでござる。主の相手が務まるか皆目見当がつかんが、胸を借りるつもりで全力で相手仕るでござるよ」


 そう言うと夜雲はにっこりと微笑むとポンポンとギーズの肩を叩いた。すると腰が抜けていたギーズの足に力が戻った。そしてギーズが自分の足で立つのがわかると、夜雲は掴んでいた手を離した。


「ではユッカ殿。決闘場とやらへ案内してほしいでござる」


 再びカウンターの方へ振り返り、ユッカにかけた言葉の意味を理解した周りを囲む冒険者達は、久しぶりの娯楽に今日一番の歓声を上げた。

 その盛り上がる場の中心にあって、ギーズの背中だけがやたらと小さくなっていることに気が付いたのは果たして何人いたのだろうか。



・・・続く


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