補遺

『新編御伽草子』本の異同

 拙私訳本篇の底本に用いた新日本古典文学大系54『室町物語集 上』所収「かざしの姫君」はハーバード大学附属フォグ美術館寄託の絵巻物『菊の精物語〔Tale of the Chrysanthemum Spirit〕』の翻刻である。『室町時代物語大成』第三及び同補遺一に活字化された二本、即ち慶應義塾図書館蔵本と小野幸氏蔵本に加え、国立国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1288431)にて閲覧できる国会図書館蔵本も、若干の用字用語・表現上の相違こそあれ、フォグ本と概ね同様の話型を持つ。

 一方、明治33年(1901)に出版された活字刊本『新編御伽草子』所収「かざしの姫君」は、中間に脱文があることに加えて、物語の後半部に上記諸本とは異なる特記すべき相違、具体的には姫君の死を廻る記載の異同が、拙私訳本篇でいえば「覡の御占」後半から「菊の女御」前半にかけての一部に認められる。『新編御伽草子』本の底本については必ずしも調べ尽くせていないものの異同自体は参取すべきであると考えたため、この度、該部を本篇に【 】で括り、その異同を別して以下に示すこととした。


-------------

乳母めのとは嬉しう思い、ぐに御産湯衣おんうぶゆぎ嬰児みどりごにお着せ申し上げて、「皆様、御覧なさいませ。御母姫様おんははひいさまも御覧ぜられませよ。御子みこ様の奉為おんためにも、御命おいのちを永くたしかに御坐おわしませ」とお傍寄そばよせするので、今や母たるかざしの姫君もこれを見遣みやりなさると、吾子あこ文目あやめも分かず御坐おわしますものから、気品際立ち、御顔容おかおばせなど父少将に全くたがわでいらっしゃるので、姫君は、


 夢ならば夢にてさめてあさましやこはいかなりし忘れ形見ぞ

(夢であるとすれば夢の中で正気に戻って驚きました、これは何という忘れ難き面影を留めた貴方あなたの忘れ形見でしょうか)


と御歌を遊ばして、なみだを流される。

 そうこうしていると御母北の方が御産のおわるを聞こし召されて、「ああ、何と嬉しいことではないか。いそぎ中納言殿にもお目に掛けましょう」と言われるので、母姫君がお思いになることには「ああ、何とも気恥ずかしいこと、親の身であってもそのように驚くものとは。ここもっめいすべし、少将殿、私も其方そちらへお連れ下さいませ」とくらされるのであった。

 そのままにしておいて良いはずもないので、乳母めのと嬰児みどりごの姫をお抱き申し上げ、北の方と共に中納言殿のお目に掛けると、父納言殿も「何と可愛ろうたき姫御ひめごか」と、ぐに御袖に移しいだかれて、並々ならずお可愛がりになる。

 こうして繋ぎ留めるすべもなく刻々と月日は過ぎ行き】

-------------


〔原文〕

【めのとうれしくおもひ、やがて御うぶきぬまゐらせて、申されけるは、人々も見たまへ、母姫君も御覧ぜよ、これにつけても、御いのちながくよとて、母姫君にさしよせ給へは、ひめ君見やり給へば、いまだあやめもみえさせ給はねども、かゞやきいつくしく、御顔ばせ、父少将にすこしもちがはせ給はねば、そのとき姫君かくぞ詠じ給ふ、


 夢ならばゆめにてさめてあさましやこはいかなりし忘れ形見そ


とて、御涙をながし給ふ、さるほどに北の御方きこしめし、あらうれしのことどもや、いそぎ中納言殿に見せ参らせんとありしかば、母ひめ君おぼしめしけるやうは、あらはづかしの事どもや、親の身にても、さこそあさましくおほすらめ、これにつきても少将殿命をめせとぞ、かなしみ給ふ、さてあるへきにあらされば、めのと姫君を抱き給ひ、北の御方と共に、中納言殿御覧して、あらうつくしの姫君やとて、やがて御袖にうつし給ふ、御いとをしみかぎりなし、かくてつながぬ月日なりければ】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る