〔私訳〕かざしの姫君

工藤行人

本篇

杪秋の庭

 昔、京五条のわたりに、何事につけて風雅なみなもとの中納言ちゅうなごんという方が御坐おわした。大臣殿おおいどのの御息女なる北の方との間に一所の姫君をもうけ、御名おんな、かざしの姫君と申し上げた。その御貌おんかたちたるや、垂れ掛かる御髪おぐし、眉、口許くちもととてたいそうおうつくしうて、春は桜樹おうじゅもとにて終日ひねもすお過ごしになり、秋は終夜よすがら月を目方まえに夜を明かされて、常には詩歌を遊ばし、様々な草花を御賞翫になった。取り分きても菊を一等でられ、九月ながつきころおいは庭のほとりを離れがたく思し召しながらお過ごし遊ばされていた。


 姫君が御齢十四におなり遊ばしたる杪秋あきのすえのことである。菊の花の色褪せゆく様をこの上なく哀しきことと思し召しながら微睡まどろんでいらっしゃると、年の程廿歳はたち頃と見ゆる男君おとこぎみ朧気おぼろけなる冠姿かんむりすがた寝目いめに浮かび、まとうた藤色の狩衣や、うっす化粧けわいして鉄漿おはぐろを施し、太く眉墨まゆずみを引いた、たいそう華やぎて気品をかもす高貴なるその風情、いにしえの業平や光源氏もかくやと思われ、そのような男君おとこぎみが寄り添いなさるので、姫君には夢ともうつつとも定かならず、起き上がって周章うろたえなさるも、「どうして私に露ほどの御情おこころとて掛けては下さらぬのでしょう」と涙を浮かべながら様々に言の葉を尽くして男君おとこぎみが言い寄られるので、姫君もこれをお気の毒に思われたのであろう、夜半よわ下紐したひもほどいて御身をゆだねなさると、男君おとこぎみもこれによろこび、なお一層、己が身の来方これまで行方これからとをねんごろに姫君に喃語むつがたりせられたのである。

 後朝きぬぎぬときを迎えると、男君おとこぎみは姫君に「翌晩あくるばんも必ず」と言われて、名残惜しそうに、

 

 うきことを忍ぶがもとの朝露のおき別れなんことぞ悲しき 

(つらく苦しいことを忍びつつ、忍ぶ草のもとに露の置く朝に起きて貴方と別れることが悲しいです)


と詠まれるので、姫君も差し当たり、


 末までと契りをくこそはかなけれ忍ぶがもとの露ときくより

(「末までも長く」と契る言葉も当てにはなりませんね、忍ぶがもとの儚い露と言い、そしてもとと言いつつ「末まで」だなんて聞くと)


御返おかえしの歌を遊ばされると、思いも掛けなんだその客人まろうとは帰りしな、庭のまがきの菊のほとりまで行くかと見えて、いつしか面影も消えていた。

 そのように逢初あいそめてより、かざしの姫君は愈々いよいよ得も言われぬ不思議の思いをとどがたいだかれたものの、かかること誰人たれひとかにたずねようともその便よすがもなくて、そのまま心ならず再び逢瀬おうせを重ねた。爾来じらい、互いの御情交おんあいなかは浅からぬ仕儀となって、男君おとこぎみの忍んでこっそりと通うこともいつしかそれなりの日数ひかずを経たころおいに、姫君が「もう何をおかくし遊ばすことのございましょう。そろそろ御名みなをお明かし下さいませよ」と懇願なさると、男君おとこぎみ含羞はにかんで「この五条わたりで少将と申す者、追々きっとおわかり遊ばすことになりましょう」と言われてお帰りになった。

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