第9話 悪役令嬢(仮)の育成日記(9)SideA


どうにかして、ロゼの気をそらさなければいけなかった。


――今日はフェリックスが屋敷に来る。

 そしてロゼとフェリックスは正式な婚約を結ぶ。


 ロゼは貴族で、女だ。

 幼い時から婚約者がいるのは珍しいことじゃない。


「……あぁ~え~~……うーん」

 俺は唸りながら、厨房に立っていた。

 そして、日が昇る前からロゼの大好きな餡を作っていた。


「えっと、前のお嬢はなんて言ってたっけ。お花見には、三色串団子と、豆大福と、桜餅だったっけ……」

 前のロゼが『餡』という未知の食べ物を作り出した時、俺はその菓子の旨さに驚いた。


 ロゼ曰く『フリーター時代にいろんな飲食店を経験したのよ。和菓子屋で餡の作り方は教えてもらったわ。店長の作るものに比べると、まだまだだけど』


 フリーター・和菓子屋。どっちも異世界にある店なのだろう。


 その後も前のロゼは厨房に立って餡を作っていたけれど、令嬢が厨房に立って汗水垂らすのは宜しくない。

 娘を溺愛するクライン公爵――旦那様が知ったら、料理長の首が飛んでしまう。

 だから、代わりに俺が作ることになった。


 使用人である俺が作れば問題はない。

 料理長も「ちょっと例の件で」と言ったら厨房の一部を貸してくれる。


 というわけで餡を練り、餅米を炊き、和菓子とやらを作る。

「……って、和菓子のことはどうでもいいんだよなぁ」


 意識が和菓子職人になりかけていた。

 俺が今一番に考えないといけないことは――王子、フェリックスのことだ。


 とりあえず、和菓子で気をそらして、ギリギリまでロゼの気を引こう。



――フェリックスには、あまり良い思い出がないから。





 桜が舞い散る景色の下で、ロゼと和菓子をたしなみながら、王子の話を出した。


「無作法なところをわざと見せて、王子から縁談を断らせれば良いんですよ。せっかくなんですし、フラグってやつを折っちゃいましょうぜ」


 本音を言うと、そうねと言ってほしかった。

 けれど、ロゼはそんな簡単に俺の欲しい言葉を言ってくれない。


「私だけの破滅なら構わないわ! でも、この家が没落してしまったら、領土に住まう人も、屋敷で働く人も……お父様やお母様や……もちろん貴方も巻き込んでしまうわ」

 

 お嬢は自分だけの幸せを見ていない。

 自分の選択によって、巻き込まれる人のことも考えている。


 それでこそ貴族であり、それでこそ……俺の好きなロゼでもあるんだよなぁ。


「わかりました。お嬢がそこまで言うなら、魔法学校でも最果ての地でも、地獄でも煉獄でも天国でも、何処までも付き合いましょう」


 俺はそう言って、彼女に手を差し伸べた。

 少し不安そうに揺らいでいた彼女の瞳が、しっかりと俺を見据えて、微笑んだ。


 そして、王子がやってきた。

 プラチナブロンドの髪に、翠色の瞳。まだ幼いけれど、第一王子のフェリックスで間違いない。


――ぽたっ。


 床に血が落ちていた。

 手を握りしめすぎて、思わず出血してしまったようだ。


 フェリックスとのお茶会という名の逢瀬は、侍女のアニーが務めることになった。

 正直、付き人はどっちでもよかった。

 けれど俺がアニーに頼んで代わってもらったのだ。


 フェリックス。この国の第一王子で、未来の王。

――そして、俺が最も憎む相手。


 なぜなら俺は一度見ているからだ。

 ヒロインがフェリックスを選ばなかった世界――ロゼとフェリックスが約束通りに婚姻を結ぶ場合。

 この国に戦争が起こる。そしてロゼは国王が背負うべき業を全て引き受け、処刑される。


 俺はロゼの死を見た。

 フェリックスという存在は、ロゼを死へと誘う死神だ。


 必ず、この王子とのフラグは折っておかないといけない。



・・・


 そう、思っていたのに。


 俺の和菓子がきっかけで、お嬢はフェリックスに好意を持たれ、求婚されたらしい。

 こんなのは今までの世界では無かった。


 創造主かみさまであるお嬢すら動揺しているのだ。俺なんかもっと動揺した。


「んじゃ、次に王子が来たときに、餡に毒でも混ぜときましょうか? 証拠はきっちり隠すんで、大丈夫っすよ」

「全然大丈夫なんかじゃないわ!! 余計ややこしくなるわよ!」

「大丈夫っすよ。俺、隠密スキルあるんで、目撃者も全員消して、平和に解決しましょーぜ」

「全然平和じゃない!!!!」


 正直8割本気だった。

 芽は若いうちに摘んでおくほうがいい。


――でも、シナリオの効力は絶対じゃない。

 ヒロインとフェリックスが結ばればいいだけだ。


 お嬢の頬は興奮からか、真っ赤に染まっていた。

 もしかして……と思った。


 ロゼは求婚されて、嬉しかったのではないか。そのまま愛されたいのではないか。


 だって、ロゼはこの世界の創造主なのだ。

 自分が欲しい世界を作った張本人だ。


 だから、壁まで追い詰めた。

「逃げられませんよ、お嬢」


 ロゼの顔は赤から普通の肌色に戻っていく。

 壁に手をつき、至近距離で彼女を見つめる。

 星屑を散りばめたような澄んだ瞳に、俺の姿が映し出される。


「本当は王子に見初められて嬉しかったんじゃないんですか?」

「え……」


 俺は一番恐れていたことを伝えた。

 ロゼの瞳が丸くなる。思いもよらぬ質問に驚いているようだ。


 彼女は瞳を俺からそらした。右をみて、左をみて、上をみて、下をみて、やっとまた俺を見た。


「正直言うと……まったく嬉しくなかったわ!!!!

 ごめんなさい、フェリックス殿下!

 私にはやっぱり王妃なんて務まらないし、国母なんてもっと務まらないわ!

 もっとぐーたら過ごしたいわ! 今日のお昼みたいに、お花見しながら、ぽけぇと過ごしたいわ! 堅苦しい王族なんて、絶対に無理!!!!」


 目元に涙まで浮かべて、ロゼは叫んだ。

 そのうち、顔がふにゃっとなり、ひーんと小さく泣いていた。


 俺は彼女にハンカチを渡す。


 彼女はそれを受け取って、涙を拭った。

 その姿を見ると、ゾクゾクした。


――あぁ、やっぱりロゼの泣き顔は可愛い。

 フェリックス王子に対しての本音も聞けた。

 彼女の心が王子に向いていないのなら、


 今はまだ、いや、これまでもこれからも、ロゼは俺のモノだ。


 彼女の顔に近づけるように背を曲げて、その唇のすぐ横に口づけを落とした。


「なにするのよ、ばかばかあほあほ従者ー!!」


 ロゼの顔は、先程よりも真っ赤に染まっていた。

 彼女の赤い唇は潤い、目も潤い――可愛くて仕方がなかった。


 言い訳として唇の端に片栗粉がついていたと言ったけど、もちろんそれは嘘だ。

 粉がついている時点でアニーが指摘するから、ついているわけがない。

 でもロゼは俺の言葉を疑いもしなかった。


 彼女への愛しさが溢れる。

 けれど、まだそれを伝えるべきではない。


 でも顔を赤薔薇のように真っ赤に染めた彼女を、これ以上観察するのは限界だった。

 旦那様に言われた仕事があると言って、部屋を出た。


「まだ10歳だしな……」

 魔法学校の入学までまだまだ時間があるし、今、手を出すべきではない。

 ロゼのことは好きだけど、俺はロリータ・コンプレックスではないし、果実とワインはじっくりと熟したほうが美味しいから。


 うぶで鈍感な彼女が陥落するまで、手のひらの上でじっくりゆっくり転がそう。

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