第7話 悪役令嬢(仮)の育成日記(7)sideR


 薄桃色の花が、庭中を舞う。この世界にも桜があるのだ。

 もちろん秋もある。四季はやっぱり抑えておきたかった萌えポイントなのだ。


「春っすねぇ」

「そうねぇ……」

 私とアッシュは桜を見ながら、ぽけぇと過ごしていた。

 三段のアフタヌーンティースタンドには、下から順番に、三色串団子、豆大福、桜餅。

 これらを作ったのは、もちろんアッシュだ。

 ループ前の私は、あんこの作り方から和菓子の作り方まで、彼に教え込んでいたらしい。

 何も言わずにスッと出された時は驚いたけど――

 やっぱり花見には団子だ。というより、花より団子だ。


「さ・て・と!」

 アッシュが急に立ち上がり、パンっと両手を叩いた。

「な、なによ! 急に。びっくりしたじゃない」

「お嬢……忘れてやがりますね」

 ちょっとアッシュ。今日はいつもよりも口調が荒い。


――はて。


 春のお花見は忘れなかったけど、そういえば今日は侍女のアニーが、卸したての服を出してきた。

 いつもよりもレースとリボンが多い。靴も新品だ。

「お嬢、いいえ、創造主かみさま。10歳の春といえば?」

「……お花見?」

「おバカですね」

 直球で暴言を吐かれた。

「今日は貴方の婚約者――この国の第一王子のフェリックス殿下がこの屋敷に来ます」

「んぐっ!?」


 食べていた桜餅を喉に詰まらせた。

 そうだ。そうだった。

 クライン公爵家に、殿下が来る。

 ゲームの中では設定でサラサラ~っと書いたレベルだったから、気にもとめなかった。

 けれどたしかに10歳の春、フェリックスと私は出会うんだった。


 生まれた時から、政略結婚のために縁談を結んでいたんだけれど、出会うのはこれが初めてだ。

「ってことは、こんなところで団子食べてる場合じゃないわ!」

 私はハンカチで、手の端についた片栗粉を拭き取った。


「殿下はいついらっしゃるの?」

「えっと……」

 アッシュは懐中時計をポケットから取り出した。


「……一〇分後ですね」

「ば、ばかーーーーーーー! なんでそんなギリギリに教えるの? えっと、お辞儀ってこうだったかしら。粗相のないようにできるかしら……えと、ええっと……」


 私はあたふたしながら、手鏡で自分の顔を見たり、ドレスをつまんでお辞儀の練習をしたり。


「……失敗すればいいのに」


 そんな私の横で、アッシュはボソリとなにかを呟いた。


「なに? ねぇ、お辞儀これであってる?」

「合ってます、合ってますよお嬢。でも、別に丁寧に出迎えなくてもいいんじゃないんですかね」

「何言ってるのよ」

「無作法なところをわざと見せて、王子から縁談を断らせれば良いんですよ。せっかくなんですし、フラグってやつを折っちゃいましょうぜ」


 従者が恐ろしいことを言い出した。


「え……今までの私はそんなことをしていたの?」

「いいえ、不作法を働いたことは一度もありませんよ」

「じゃあ、なんでそんな末恐ろしいことを言うの? 下手したら不敬罪で没落よ」

「まぁ、それもいいんじゃないんすかね。

――それとも、王子との縁談を断りたくない事情でも?」


 アッシュは瞳を細めてこちらを見た。

 なんとなく、だけど……彼は怒っている。


 なんで怒ってるんだろう。


 あ、そうか。

 八年後、私は王子から婚約破棄されるのだ。

 もしかして、主である私を傷つけたくないから……?

 ふ、ふーん。なんだ。優しいとこもあるじゃない。


 私は自分の髪の毛の先をクルクルと巻いた。


「事情は――あるわ。だって、ここで婚約破棄したら、シナリオがめちゃくちゃになるもの! 正直、この先のイベントはだいたい覚えているけど、一番最初のフラグを折ったら、私も、私の家もどうなっちゃうかわからないわ。ここはマニュアル通りに進めるわよ!」


 クライン家の没落。それだけは避けたい。

 ゲームの最後では、国外追放されて修道院に行く。

 クライン家は実の娘と縁を切ることによって、面子を維持する。


「私だけの破滅なら構わないわ! でも、この家が没落してしまったら、領土に住まう人も、屋敷で働く人も……お父様やお母様や……もちろん貴方も巻き込んでしまうわ」


「はぁ……貴方は本当に……」

 アッシュが下を向き、ため息を吐く。

 再び顔を上げた時、先程の冷たい瞳はどこかにいってしまっていた。

 優しい、いつもの黄金の瞳だ。


「お嬢って、説明書マニュアルとか読まないと落ち着かないタイプでしょう」

「アッシュは説明書マニュアルを読まずになんとなく使いこなすタイプでしょう?」



「わかりました。お嬢がそこまで言うなら、魔法学校でも最果ての地でも、地獄でも煉獄でも天国でも、何処までも付き合いましょう」


「……ありがとう」

 アッシュの言葉は嬉しかった。



 正直、私は怖かった。


 転生する前の私は、休日にソファーで寝転びながらポテチを食うという堕落した生活を送っていた。

 そんな普通のOLが、いきなり貴族になって――身体が覚えているとはいえ――マナーを気にするようになって。


 自分で作った世界なのに、味方が誰もいない孤独感を味わうところだった。

 でも、アッシュが居てくれた。

 何処までも付き合うと言ってくれる彼がいるなら、何よりも心強い。


 馬の足音が聞こえる。そろそろ王子の乗った馬車が来るだろう。


 屋敷の入り口には、もう従者たちが揃って頭を下げている。


 いよいよね。


 馬車から、私より2歳年上の少年が降りてきた。

 金色の髪に、琥珀色の瞳。身なりは勿論きっちりと整っている。

 何よりも、纏うオーラが違う。

 なんかキラキラしている。


 まず父が挨拶をする。そして私が紹介される。

 心臓が喉から飛び出てしまいそうだわ。

 王子の顔なんて直視できない。


 どうしよう。どうしよう。

 えっと、こういう時は何ていうんだっけ。

 お疲れ様です? いやそれは絶対に違う。


 コツン、と靴の鳴る音がした。


 私は靴の鳴った方――すぐ後ろに頭を下げたまま視線を向ける。

 王子から見えない視覚にいたアッシュが、指で少しずれたバツマークを作ってチラリと見せてくれた。


 バツ、いいえ、あれは『人』! 指で人を示しているのだわ。


 背中とか押してくれればいいのに。

 なに、その励まし方。前の私が教えたんだろうなぁ。

 思わず笑っちゃいそうになる。


――あ、うん。落ち着いてきた。


「ようこそいらっしゃいました。フェリックス殿下。こちらが娘のローゼリアでございます」


 父が私を紹介する。


 さぁ、こい。王子。そして運命。

 私は黒歴史なんかに屈しないんだからね!


「ご足労ありがとうございます。殿下。私がクライン家長女、ローゼリア・マリィ・クラインです」

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