第4話 疑惑



唐突な皇太子の訪問に、周囲にたたずむ料理人達が驚きに怯むなか、カイルはセリーナの隣で目をく料理長を刺すように一瞥し、その胸ぐらを掴み上げた。


「料理長、オマエ……ッ……死罪をもいとわぬ覚悟があっての所業だろうな……!?」


「カイル、違うのっ!私が料理長様に、お願いしたのっっっ」



——再び、沈黙があった。


蒸気を吹く鍋は、コトコトと静かな音を立て続けている。







「……すまない」


謝る言葉は、もうこれで三度目だ。

一度目は厨房で料理長とセリーナに、二度目は回廊でセリーナに、そして三度目は——。


先ほどまでの剣幕は萎み消え去り、カイルは好物の『冷製フェデリーニ』を前に頭を下げて項垂れた。セリーナからのせっかくのを、自分が台無しにしてしまったのだから。


「そんなに何度も謝らなくてもっ。もう、いいですから……。それよりも、お料理……」


勘違いだったにせよ、カイルが厨房に乱入して来たのは身重みおもの自分を案じての事だ。サプライズが無駄になってしまったからと言って、カイルを責める理由にはならない。

むしろ、それほどに身を案じてくれている事の方が嬉しかった。


(さすがに料理長様のようには、綺麗にできませんでしたけど……)


「心を込めて作ったので、食べてもらえると嬉しいです」


向かい側の席でにっこり微笑むセリーナを、カイルは失敗を許されたばかりの子供のような目で見上げた。それから料理に視線を移して、


「……これを、お前が作ったのか?」


震える両手でカトラリーを扱い、おもむろに口に運べば、目を閉じて言葉を失う。


「し……」

「し?」


セリーナが首を傾げているが、これ以上はもう言葉にならない。代わりに口の中いっぱいに広がる『愛情』を、涙を呑んで噛みしめた。



——幸せすぎて、憤死寸前だ!!(← お決まり)







カイルが寝所にとき、時計の針は午前二時を指していた。


湯浴みを済ませたカイルがそっと隣に滑り込んで来る。慌てて目を閉じて、眠っているふりをした。


柔らかな石鹸の匂い。


セリーナを起こさないようにと、静かに……カイルの腕が後ろからセリーナの腰に回される。

昼間にあんな噂を聞いたあとでも、背中にあたたかさを感じ取り、後頭部に頬を寄せられれば、セリーナはやっぱり幸せな気持ちに包まれてしまう。


だけど……。



——二人で頬を上気させて……。コソコソと、待ち合わせを……。



ふと目覚めると隣に眠っているはずのカイルの姿が無かったのは、二時間ほど前のことだ。

背筋が一気に寒くなり、唐突に胃の奥から何かがり上がってきて一度吐いた。


これまで何故、気付かなかったのだろう?カイルが寝所を抜け出していることに。


(近頃は眠気が酷くて、一度眠ってしまえば朝まで目覚めることなんて無かったから……)


噂は、噂。

きっと、何か事情があるに違いない。


そう思い続けて目を閉じるのだけど、広々としたベッドの中で一人……不安に駆られて眠れなかった。そして時間が経ち、先程カイルが寝所に戻って来たのだ。


セリーナと共に一度床に就く時、カイルは湯浴みを済ませていた。なのになぜ、今この時間に再び湯浴みなんかするのだろう……??!!


昼間耳にした言葉が何度も重い首をもたげてくる。夜中に寝所を抜け出して、こんな時間まで。



——いったい何をしていたのっっ???



「………」


頭上ですぐに静かな寝息が聞こえ始めてからも、セリーナはどうにも寝付けなかった。


そっと床を抜け出して湯殿へと向かう—— カイルは疲れているのか堕ちるように眠りに就いていて、セリーナが腕の中から抜け出した事に少しも気付かない。


——カイルを疑いたくはない、信じたいけれど、


(でも……っ)


寝所を出て湯殿へと向かえば、カイルが脱いだ着衣が椅子の上に掛けられていた。


そっと抱え上げると——カイルの匂いのほかに、清楚だが明らかに女性が使うであろう甘やかな『香』の匂いがふわりと鼻をつく。


セリーナが知る、香り。



(まさか、これ……っ……)


———フィオナっていう人の……?



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