第2話 侍女たちの『噂』



* * *



体調が思わしくないので、朝食は部屋で軽くフルーツを摂ったり、摂らなかったり。窓際のソファに腰をかけたセリーナは、繊細にカッティングされたオレンジを何となく見つめていた。


——厨房の手仕事は、今日もすばらしい。


濃い目に淹れた薬茶を日の光にかざせば、ルビーレッドにかがやいて。


「キレイ……」


オレンジのカッティングは星の形や三日月型のもの……近頃めっきり食欲が落ちてしまったけれど、酸っぱいものはとても美味しくて。星型のひとつを銀のピックに刺し、薬茶に入れようとしていたところだ。


「——失礼いたします!」


柱時計の針が十時を指すと同時にノックの音がして、『華蝶の間』の扉を開けたのは、セリーナと歳近く見える若い侍女だった。


「セリーナ様っ」

「マイラ……」


お辞儀とともに侍女が向けてくる爽やかな笑顔に、セリーナも笑顔で返す。名前を「様」付けで呼ばれるのには、いつまで経っても慣れそうにない。


おはようございます、と挨拶するには少し遅い時間。

カイルを見送ったあとも暫く横になっていたら、眩しい朝日の中だというのにすっかり微睡まどろんでしまった。これは懐妊の影響らしいのだが……とにかく睡魔に一日中襲われるのには困ってしまう。


「ご体調は如何でございますか?の準備は、整っているようですが……」

「私は平気です。皆さんには無理を言ってしまってごめんなさい。でも身体が軽いうちに、どうしても叶えておきたくて」

「はい!こちらは何も問題ございません。皆、皇妃様のお役に立てるならと、早朝から張り切っておりましたよ?」


「……早朝、から?」


皇太子カイルが皇妃を迎えた事で、皇宮に居住する者達に仕えていたカイルの代の『白の侍女』はその役目を終えた。

今年新たに皇宮に雇われた多くの侍女のうち、三十名ほどの『上級侍女』はそのほとんどが由緒正しき家柄の者達だ。


皇妃となったセリーナにも、三名の専属侍女が付けられた。歳が近い者が良いのではないかと提案したのはカイルで、皇宮内にセリーナの話し相手がいないのを案じての事だった。

その公募にはなんと!百名に届くほどの志願があり、育ってきた家柄や環境だけでなく、志願理由、性格や気質までを見定めた上で選び抜かれた三名のうちの一人が、このマイラだ。


「皆さんは早朝からご準備くださっていたのですね。お願いした私が、こんなにのんびりしていたなんて……っ」


ソファから立ち上がろうとするのを、マイラは両手でなだめるようにして制する。そしてソファの背もたれからクッションを二つ取り上げると、セリーナの腰元にあてがった。

マイラのきめ細やかな気遣いには、以前(まがいなりにも)上級侍女を務めていたセリーナも脱帽してしまう。


「使用人が早朝から働くのは当然の事です。皇妃様は何もお気になさらずに。では、すぐにお着替えをご用意いたしますねっ」



明るい光が燦々と注ぐ回廊を渡り、マイラとともに皇宮内にある厨房近くに差し掛かれば、上級侍女と思われる黒いお仕着せを身につけた女達四人が額を突き合わせていた。

彼女達はコッソリ話しているつもりらしいが、会話のテンションが上がっているのか、通りがかりのセリーナとマイラにもその内容が筒抜けだ。


「まぁ、カイル殿下が……?」


この言葉を聴かなければ、侍女たちが何を話そうと気に留める事なく通り過ぎていただろう。思わずマイラの腕を引き、すぐ近くの柱陰に身を隠してしまった。


「セリーナ様?」


突然の事にマイラは驚くが、侍女たちの会話から事態を察したのか、セリーナとともに息を潜める。


「では、やはりあのは本当?!」

「まさか!殿下は皇妃様をあんなに大切にされているのに?」


「まさか殿下と、フィオナが——」

「二人して頬を上気させて……コッソリ皇宮に帰って来るのよ、真夜中に……」


「間違いないわよ!殿下のご公務が終わられてからだと思うけど、夜中に皇宮の裏で二人が待ち合わせしてるの、私見ちゃったんだもの!」


「見ちゃったって、あなたそれは偶然かしら」

「最近フィオナの様子がおかしいんだもの。私だって、気になるわよ……」


「フィオナの肌艶、良くなったって、皆んなそう言ってる……」

「あれは恋する女の目よ」

「フィオナ……そんな子だったの?ちょっとショック」


「でも……いわば殿下はなわけだしっ。あれほど通じておられた白の侍女様達だって、もういらっしゃらないのよ?!私が殿下の立場だったらって思うと、お気持ちわからないでもないな」


「は!?そんなのは男として最低よっっ。フィオナだって、最低だわ……」

「シッ……皇太子様の事なのよ、口を慎んで!」


四人の会話が進むにつれて、マイラの表情は硬直していった。隣に佇むセリーナの顔色を恐る恐る伺えば——何が起こっているの?と言わんばかりに、キョトンと首を傾げている。


「あの……セリーナ、様……」


厨房から顔を覗かせた年配の給仕が四人の侍女に喝を与えたところで会話は止まり、彼女たちは慌ててその場を散っていった。


「マイラ……」


言葉を発したセリーナの口元は僅かに開かれたままだ。宝石のような碧色の瞳が、次第にいろを失っていく……。


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