(短編)蟲姫は美しい蝶に夢を見る〜ファーストダンスを踊る日に〜
七瀬みお@『雲隠れ王女』他配信中
第1話 まどろみ…
* * *
肩に感じる心地よい重み……。
まどろむ
体温が高いカイルの熱は、目を覚ましたばかりのセリーナには熱いくらい。
呼吸に合わせてゆっくりと上下するカイルのはだけた胸元にもう一度額を寄せてから、そっと身体を起こした。
いつもはどこか冷たく不機嫌に見えるカイルの表情も、瞳を閉じて眠っている今はとても無防備で柔らかい。
氷の国に住む銀狼のような瞳の色が彼をそんなふうに見せていることを、セリーナは良く知っている。
本来の彼が、陽だまりのようにあたたかい人だということも。
「…………」
躊躇いながら身を屈めて、カイルの額に唇を寄せる——やわらかく差し込む日の光が、銀色の髪が落ちる額に揺らめいている——唇が僅かに触れたところで瞼が開き、青い瞳を覗かせたのであっと声をあげそうになった。
慌てて身を引くのだけれど、すぐに腕を取られて引き寄せられる。背中を抱かれ、熱っぽい手のひらで後頭部を包まれた。
「……おはよう」
少し掠れた気怠い声が耳元に鈍く響く。頭の上にある手のひらが動いて、ぽんぽん、くしゃっ……白金の髪を優しく撫でた。
「ぉ……おはよう、ございます。起こしちゃいました……ね?」
背中を抱く腕が緩んだので身体を起こせば、カイルを組み敷くような姿勢になって。
すっかり恥ずかしくなり、自然と目が合ったのを逸らせようとすると、スッと頭を上げたカイルに口付けられていた。
優しく唇を重ねたまま身体を起こせば、肩をやんわりと撫でられて——お前が愛おしくてたまらないのだと、言葉さえ無くてもそれが痛いほどに伝わってくる。
穏やかなキスのあとで唇が離れれば、額同士を重ね合って目を閉じる。カイルの手のひらはセリーナの後頭部に置かれたままだ。
「……体調はどうだ?気分、悪くないか?」
瞼を僅かに持ち上げたカイルが、静かに言葉を落とした。
「はい……今は、平気です」
婚儀を済ませ、通り一遍の慌ただしさが去ったあと。
懐妊したことを伝えた時の夫の取り乱しようを思い出せば、今でも頬が緩んでしまう。
まだまだ初期の安定しない時期で、体調が悪い日は一日中寝込むこともある。そんな妻をカイルはいつも(必要以上に)気遣ってくれている。
「東方から来たという商人から、懐妊中の体調不良に効くという薬茶を取り寄せた。マイラに預けておくから、一度試してみてはどうだ?」
「ありがとうございます、嬉しい……」
「それから」
額を離して身体が離れてからも、まだ少し寝そうなカイルはセリーナの手をやんわりと握り続けている。片時も離れていたくないとでも言うように。
「南方からの商人が持っていた、生まれた子が健やかに育つというまじないの石だ。これは若干、信憑性に欠けるものだが……。そこに置いてある」
「おまじないの、石?」
そんなものあったかしらと視線を向けると、確かに。暖炉があるコンソールの中央に、何やら怪しげな緑色の物体が据え置かれているのが見えた。
「ふふっ、生まれるのはまだずっと先ですよ?あなたの優しいお気持ちだけで、私はもうじゅうぶんですから……」
「実は他にも、あるのだが——」
口元に拳を当てて、少し照れたような素振りを見せる夫がたまらなく愛おしい。
政務で忙しい中で、自分と生まれてくる子どもの為にと思案してくれている事を思えば、どんな小さな気遣いも嬉しく、頬が緩んでしまう。
そんなカイルとの間に授かった新しい命は、セリーナのお腹の中で今この瞬間も育まれ続けているのだ。
——幸せだ。
だんだん明るみを増す朝日が、ふたりの寝室を満たしてゆく。
「……今日は私からも、あなたにちょっとした“サプライズ“があるんです。だからっ、楽しみにしていてくださいね?」
「サプライズ?!そ、そうなのか?!」
あからさまに動揺する夫を“可愛い“とさえ思えてしまうのを、セリーナはもう烏滸がましいとは思わない。
(私も少しだけ……“成長“したかしら……)
カイルへの、サプライズ。
きっと喜んでもらえるはずだと思えるのは、大切にされているから。人からの感謝の言葉を素直に受け取れるようになるなんて、人間不信と恐怖心でいっぱいだった以前の自分では考えられなかったことだ。
——カイルへのサプライズの前に、私にはちょっとした『試練』が待ってますけど……。
セリーナの、恐怖心と不安——なりを潜めていたそれらが、むくりと首を上げてくる。
「カイル……私も、頑張りますね」
自分からその腰元に腕を回せば、必ず応えてくれる力強い腕がある。
輝く朝日と手のひらの熱に包まれながら、セリーナはカイルの腰に回した腕にギュッと力を込めた。
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