らくだ

 放課後の教室でヨウナくんが一人絵を描いていた。それなんの絵?と聞いてみると、ヨウナくんは一分ほど間をおいてこう答えた。


 らくだを描きたいと思ったんです。でも、何もないところにぽつんとラクダはいないでしょう?いや、この世の全てのラクダを見たわけじゃないのでわからないんですけど。そんなことはよくて。つまりラクダを描くには砂漠も描かなきゃいけないんですよ。で、砂漠を描いていたんですけど。砂漠だってそれだけであるわけじゃなくて、ちゃんと周りに森とか海とかがあるでしょう。だからそれも描かなきゃいけないと思って描き進めていって、地球ができたんですけど。地球だけっていうのもなんだか滑稽だったので周りの星とかを描いていって。今、銀河系を半分まで描きました。えーと、ですから、なんの絵か、という質問の答えはらくだの絵、ということになります。


 改めてヨウナくんのスケッチブックを見てみる。それは十人中十人が宇宙の絵と答えるものだった。しかしまあ綺麗な絵なので、みんな宇宙の絵にしてしまえばいいのにと言うだろう、と伝えてみた。ヨウナ君はさっきより短く間をおいて反論しだした。


 それは違くって。ええと、これを宇宙の絵にしてしまうというのは、ここに確かに描かれているらくだを無視してしまうというのは無責任です。だからといって全体を描かないというのもだめだと思いますし。ですから、僕は宇宙を描きますが、これはらくだの絵なのです。


 そうまくしたてると、ヨウナくんはふう、と息をついた。それから上目遣いになって心配そうにこちらを見つめてくる。まさかここまで反論されるとは思っていなかったので気まずくなってしまった私は、別れの挨拶もそこそこに教室を後にした。


 

 ヨウナくんは天才だ。私も家でこっそり絵を描いているからなんとなくわかる。昔からコンクールに入賞している。ヨウナくんには取り柄がある。絵に関しては学校の誰にも引けを取らない。みんなに一目置かれている。ヨウナくんは自分を曲げない。人に合わせたりしない。

 そんなだから、ヨウナくんには友達がいない。何の取り柄もないような私にだってできることがヨウナくんにはできない。私、知ってる。ヨウナくんの絵をちゃんと見てくれる人はいないんだ。らくだを見つけてくれる人はいないんだ。少なくとも、学校には一人も。私も、わかってあげられない。ヨウナくん、絵のことでずっと苦しんでいる。私より絵が上手いのに。そのことが可笑しくて悲しいから、私は学校が嫌いだ。



 次の日も、放課後の教室を覗いてみるとヨウナくんがいた。昨日は一心に描いていたようだけど今日はうんうん唸っている。邪魔するのは悪いけど何を考えているのか気になったので聞いてみた。


「構想を練っているんです。どうしたら伝わるのか」

 そう言うとヨウナくんはまたうんうん唸りだした。

「伝わらなきゃだめなの?」

「はい、昨日はあなたに伝わっていなかったようなので」

「私のせいなの?」

「いや、僕の問題なんです。自分を表現するため絵を描いているのに。理解されないのが苦しいなんて、身勝手でしょう」

「……よくわからないけど、それが普通じゃないのかな」

 それを聞くと、ヨウナくんはまた考え込んだ。しばらく考えると、絵を描き始めた。すらすらと、すごい速さで。あっという間に絵は完成した。私には、ヨウナくんの自画像に見えた。

「何に見えますか?」

 ヨウナくんは聞いてきた。私は、しばらく考えた。

「わからないよ。多分、私が言おうとしている答えは違うんだ。わかりたいけど、私じゃ無理かもしれない。」

 ごめん、と言った。ヨウナくんは、泣き笑いみたいな表情になった。



 ある暑い日の授業中、何の気なしに天井を見上げてみて、違和感を感じた。やけに天井が低いのだ。他の人たちに気づいている様子はない。背の高い国語の先生が何度も天井に頭をぶつけてそのたびに首をかしげている。おかしいのだけど、天井が低くなる道理はない。あるとすれば、上から押さえつけられているとか。


 ほとんど誰にも使われない屋上への階段を上り、扉を開ける。

 そこは一面砂の山だった。砂の山に、人と、ラクダが立っている。よく見ると、砂でできたラクダに、砂まみれのヨウナくんだった。


「何を作っているの」


「らくだを作りたくて。絵だと全て表現できないから、こうやって砂で作っているんです。砂漠も再現です。人に邪魔されない場所がここしかなくて。砂が風で飛ばされないように必死ですよ。でももうすぐで完成です」


「学校、このままじゃ潰れちゃうよ」

「潰れればいいでしょ。こんなとこ」


 多分、私は肯定した。ごめん、とも、ありがとう、とも言った。

 ヨウナくんは笑って言った。

「よく見ていてくださいよ」


 校門を出て歩いていると、ずうんという音がして、砂埃がこっちまで吹いてきた。らくだが完成したのだな、と思った。



 校舎がくしゃくしゃに潰れてしまったので、しばらく学校は休みになった。警察と消防が原因を調べているけど、わからないらしい。ヨウナくんはどこかに消えてしまった。仮設校舎で授業が再開したときに探したのだけどいなかった。彼はがれきに埋もれるようなへまをしない人だから、どこかで絵を描いているんだろう。本物のラクダを見るために砂漠へ行ったのかもしれない。でも彼、日差しに弱いから倒れてしまわないだろうか。


 がれきの下から見つかった所持品が集められて持ち主を待っていると聞いたので私のものがないか見に行った。絵の具セットが見つかったけど、半分潰れていたので捨てることにした。

 他にないか探していると、ヨウナくんが描いたらくだの絵が見つかった。彼はまだ来ないだろうから、私が預かっておくことにした。先生が、絵をのぞき込んできて、言った。

「すごい!とっても上手だね」

 なんの絵に見えるかは、聞かなかった。絵を通してらくだを見ていられるのは、教えてもらった私の特権だと思ったからだ。

 

 らくだの絵の中で、星々が輝いている。宇宙は真っ暗で、ラクダの瞳を覗いているようだった。

 ヨウナくんには、これが見えていたのかな。ヨウナくんは、私を見ていたのかな。  

 もちろん、らくだは答えてくれない。

 


 


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