カモシカ

 昔、家の近くのスキー場に行ったときの話。リフトに乗っているとすぐそこの整備されていない斜面にカモシカがいた。こっちをちらりと見るとすぐに目をそらした。こっちを見ろと言ってやると逃げて行った。写真を撮っておけばよかった。


 そんな話をしてやるとアヨさんは喜んだ。長いこと都会にいるとそういう田舎っぽい話が珍しいのだという。田舎っぽいというのはちと失礼ではないか。

「失礼だと思うかい?田舎育ちはステータスだよ、ステータス。こっちにはカモシカなんかいないからね」

 そんなこと言ったら都会育ちもステータスだと思うのだが、私はアヨさんに口げんかでかなったためしがないので何も言わないでおく。

「はあー、いいなぁ。私もカモシカ見てみたいよ。目の下のほくろみたいなやつ潰してみたい」

 そんなことしたらおそらく角で突かれて体に穴が開くだろう。その日はほくろがあったらかわいい場所についてアヨさんが小一時間ほど話すのを聞いて別れた。




 それからしばらくしたある日、アヨさんに呼ばれて飲みに行くことにした。アヨさんが指定した店の個室に入ると既に少し顔を赤くした彼女が待っていた。

 もう飲んでいるんですか、と聞くと、飲まなきゃやってられないわよ、とテンプレのような答えが返ってきた。何があったのか聞くとアヨさんはカバンから黒い液体が入った瓶を取り出した。

「これなんだけどさぁ、ちょっと飲んでみてよ」

「嫌ですけど」こんな怪しいものを怪しい眼差しを向けてる人に渡されて飲む人はいないだろう。

 まあそんなこと言わずに騙されたと思って、とアヨさんは無理矢理飲まそうとしてくる。これ以上絡まれるのは面倒くさいし毒ではないだろうから仕方なく飲んでやることにしよう。私は瓶からコップに黒い液体を移して水で薄めると一気に飲み込んだ。味はしないがどこか変な感じがする。と、頭の部分に違和感を覚えた。触ってみるとごつごつとした感覚がある。私の頭に何かついている。これは...。


 なんですかこれ、

 何って、角

 いやそうじゃなくて

 まあまあ、落ち着いてよ。私とおそろいだよ。


 髪に隠れてよく見えなかったが注意深く観察するとアヨさんの頭にも短い角が生えていることがわかる。

「君にカモシカの話聞いてからカモシカになりたくなってさー。その道の人に頼んだらこの薬くれたんだよね。でも角って邪魔だし取れないし。私だけこんな目に合うのも嫌だから君とおそろいにしようってね」


 何をほざいているんだこのアマは。ふざけんなよと襲い掛かりたくなったがなんとか自分を押さえつける。しかしまあ、角ときたか。どうしよう。邪魔だなぁ。

 そんなことが頭の中を延々とよぎっている。とりあえず今夜は帰ることにした。



 起床。あの後は精神的に疲れてそのまま寝てしまった。寝ぼけたままシャワーを浴びる。

「痛っ」

 髪を洗おうとしたら角が手に刺さった。目が覚める。邪魔だしこころなしか頭が重い。これから会社に行かねばならないというのにどうしたらいいのだろう。


 考えてもしかたないと電車に乗ったはいいものの、視線が痛い。相当目立っていることだろう。パシャ、と写真を撮る音が聞こえた。男子高校生らしいそいつを

「なに撮ってんのよ」

 と一喝してやるとどもりながら謝られた。迷惑な話である。


 そんなこんなでやっと会社に辿り着いた。ここでもまた私を見て空気がざわつく。上司が眉をひそめながら私を呼び出す。

「えっと、君、それはコスプレかい?」

「いや、生えてきてとれないんですよ。ほら」

「それって大丈夫なの?」

「まあまあ、若い子ってそういうもんでしょう」

 周りからよくわからないフォローが入る。

「でも角とかはよくわかんないけどダメな気がする。今日はとりあえず帰っていいよ」

 

 結局よくわからない理由で帰ることになったのでそのまま病院に向かうことにした。名前を呼ばれて診察室に入る。

「まあ特殊なケースですので慎重に治していかないといけません。下手に外科手術などしてしまうと悪化のリスクが―」

 お医者様はこのふざけた状態について真剣に話してくれている。それはありがたいのだが出た結論は「経過観察」である。いよいよ救いようがない。


 神になどろくに祈ったことがない私だがこうなってしまうと願掛けくらいしかすることがない。賽銭箱にぴかぴかに磨いた五百円玉を投げ入れ必死に祈る。コンビニで晩御飯を買いおつりは募金する。道に落ちていたペットボトルをわざわざコンビニまで引き返して捨てる。一年分の善行を積んだ私は野菜中心の夕食をとり酒は飲まずに九時に就寝した。


 起床。早く寝たからかとても気持ちのいい目覚めだ。頭部を触る。角がない。必死の祈りが届いたのだろうか。アパートじゃなければ飛び上がって喜んでいたに違いない。短かったが濃い付き合いをした角は枕元に転がっていた。


 角は捨てるに捨てられず今もこっそりしまっている。アヨさんの角は結局とれなかった。角が生えている人は他にもいるらしくその人たちとたまに飲んでるらしい。

何年か経ったころ、ケモ耳が流行しその流れに乗ってアヨさんはモデルデビューした。なんだかんだいって楽しそうにしているアヨさんを見ると私がした苦労がばからしくなってくる。私はため息をつくとアヨさんからきた飲みへの誘いに「了解です」と返事をした。

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