第10話 術者は何者か?

 捜査会議でシャーロットに昨夜のことを報告した。幻霊獣ホロウビーストの正体はピクシーであり、術者は使役してなにかを探している。

 そこまで推理はできたが、犯人の目星はついていない。現段階では動機がありそうな人間はごまんといた。

 真一郎はある場所への調査を進言した。向かった場所は新戸郊外の河川敷だ。


「ここは……」

「そう、いわゆるホームレスの集落だ」

「ピクシーの習性を鑑みて疑うならここでしょうね」


 恋南の言う通りだった。ピクシーは『貧しい者を助ける』という特徴がある。一概に悪い妖精とは言えないのだ。


「それじゃあ一件一件あたるとしますかね、っと」

「はい」


 いくつかブルーシートの群れが見える。二人は手始めに一番近くの家へと向かった。


「すいませーん。中にどなたかいらっしゃいませんかねぇ?」

「んあ? どちらさんだい」


 中から出てきた男が真一郎たちを見て目を見張った。この場所に似つかわしくない人間だったからだろう。

 男は典型的なホームレスとは異なり、身なりがかなり整っていた。そのせいか年齢は初老くらいに見える。


「警察です。少々お時間いただけますかい?」

「俺はなにもやってないぞ!」


 二人の警察手帳を見るや否や男は声を荒げた。ホームレスの中には前科持ちの人間もいる。この男はそういった理由で路上生活をしているのかもしれない。


「いえ、疑っているわけではないんですよ。捜査の一環としてお話を伺いにきただけですので、安心してください」

「そ、そうか……なら、まあ」


 恋南が言った言葉は建前だ。刑事である以上、全てのことに対して疑いを向けている。それでもその一言が効いたのか、男は捜査に協力する気になったようだ。

 それから男の素性を尋ね、メモを取った。男の名前は金井高貴かないたかき。年齢は六三歳だという。知人との口論が傷害事件に発展し、会社を離職。以後は仕事を転々とするが、トラブルが絶えずホームレス生活を余儀なくされたらしい。

 ホームレス歴は二〇年になるという。ひもじい生活を経て反省したのか、今は平穏に過ごしているようだ。


「それで今はどのように暮らしているんです?」

「缶を拾って売りに出してるよ」

「稼いだお金でたまに銭湯とかにいくんですね?」

「あんた……よくわかったな」

「身なりから推理すればそうなのではないかと。それに……失礼。こんな言葉を口にするのもアレですが、あなたからは独特の臭みをあまり感じなかったもので」

「なるほどな。確かに身なりを気にしている方が珍しいか」


 金井が真一郎の言葉に膝を打つ。


「週にどれくらいいかれるんです?」

「週に一回いけたらいい方だね」

「そうですか。ほかにいかれる場所とかは?」

「買い出しのために近くのコンビニやスーパー……くらいだなぁ」

「新戸の駅付近にいくことは?」

「もう何年もいってねぇよ。いく理由がないからな。刑事さん、こんな質問に意味あるのかい?」


 いぶかしむように金井が目を細めた。自分の行動をこと細かに聞かれて気持ちのいい人間なんていない。潮時だと真一郎は思った。


「ええ、まあ。最後に一つ。最近ここからいなくなった、もしくは出ていった人はいないですか? もしいるなら詳しく教えていただきたい」

「うーん……いたような気もするが、消えたやつの素性なんて覚えてねぇなぁ。ほら、俺は人と関わると危ねぇからよ」


 金井が自嘲するように笑みを見せる。それは自分がどんな性格かを痛いほど自覚している人間の顔つきだった。


「では、どなたか詳しく知っていそうな人に心当たりは?」

「『千さん』っていうここに一番長く住んでる人が奥にいる。仙人のように髪や髭が伸びたじいさんだ。あの人ならなにか知ってるんじゃないか?」

「なるほど、ありがとうございました」


 真一郎はペンを置き、金井の家を後にする。河川敷を歩き、件の老人を探す。

 道中、恋南が話しかけてきた。


「金井さん……どう思いますか?」

「どうもこうもない。動機が金銭ならこの辺のやつら全員容疑者になっちまう」

「新戸のビル街の方にはいってないとのことでしたが」

「本当だとしてもアリバイにはならねぇ。ピクシーを使役しているわけだしな」


 金井の過去の経歴を鑑みれば、感情が暴走して幻霊獣ホロウビーストを使って盗みを働いたと想像はできる。

 しかしその動機は犯行と矛盾しているのだ。決めつけられるほどの証拠は揃っていない。


「最後の質問……暮海さんは犯人はここにいないと考えているんですか?」

「そう考えている。全てのアクセサリーは返却されたって話だが、万が一もある。一部は偽物で本物は売りに出したとかな。だったらここに留まる理由はなくなるだろう?」

「それもそうですね。大金が手に入ればホームレス生活をする必要はないわけですし」

「まあ、あともう一つ別に気になる理由があるんだが……まだ確証がないから言えん」

「なんですか。教えてくださいよ」


 詰め寄った恋南が上目遣いで顔を覗きこんでくる。真一郎は一瞬気圧けおされそうになったが、かぶりを振った。


「いや、ダメだ。二人しかいない捜査員が推理を共有するのは危うい。視点が一つになって見落としが起こるかもしれない」

「そう、ですか」

「わかったらお前もお前なりの推理をしてみるこったな。それが一人前になる一歩だし」


 恋南が残念そうに肩を落とした。真一郎は励ますように彼女の肩をポンポンと二度叩き先をいく。ちょうど『千さん』と呼ばれた老人らしき人物が見えたのだ。


「すいません。『千さん』ですか?」


 髭が仙人のように伸び、歯が欠けている老人に声をかける。身嗜みだしなみには無頓着なのか、鼻をつんざくような匂いが漂っていた。


「ああ? なんじゃお主ら?」

「こういうものです」


 恋南が警察手帳を見せる。同じく真一郎も取り出し、身分を証明する。

 それを見た老人は「なんだ、警察か」と言い捨てた。相手にしたくないという雰囲気をかもし出している。


「別に疑おうってわけじゃないですよ。こちらの質問に二、三個答えていただければすぐ終わるんで」


 真一郎は白い歯をにっかりと見せる。自分が纏う威圧的な空気を減らそうと努めた。その甲斐あってか、老人は「すぐ終わるなら」と渋々了承した。

 老人の本名は千賀幸之助せんがこうのすけ。七七歳で、金井より一回りも歳上であった。経歴も金井と似たり寄ったりで色々仕事をしてみたが合わず、辞めてしまったとのことだった。


「仕事は缶集め?」

「まあ、そうじゃな」

「でも今じゃ不景気の煽りで一キロ当たりの単価安いでしょ? もっとお金が欲しいとか思わないんですか?」

「こんな老いぼれがお金をもらったところでどうにもならんよ。住めば都というじゃろ? ワシはここで静かに暮らせればそれで」


 千賀は達観したように川を眺める。その背中には精気や欲というものを感じられない。まさに仙人だった。


「質問はお終いか? ならとっとと帰ってくれ。お主らみたいなのがいると落ち着かないんでな」

「ああ、最後に一つ。最近ここからいなくなった、出ていった人はいないですか?

「ああ。ヨリタさんじゃな」

「ヨリタ? どんな字を書くんです」

「さあ? そこまでは知らんよ」


 ブルーシートの家に表札はない。名前の音がわかれば通じる程度のつき合いだったのだろう。

 幸い珍しい響きの名字だ。調べるのに苦労はしないかもしれない。恋南と目が合う。大きな手がかりを掴んだに違いなかった。


「その人が出ていったのはいつ頃です?」

「うーむ、わからんな。多分、三ヶ月くらい前じゃったかのぉ」

「待ってください! 本当に三ヶ月前ですか? 一ヶ月以内ではないんですか?」


 そばで静観していたはずの恋南がたちまち声を荒げた。彼の供述では辻褄が合わないのだ。三ヶ月前では事件が発生した頃と大きくズレている。


「すまんな。その日暮らしが長いとどうも時間の感覚がズレてくるものじゃ」

「そんな……!」

「恋南、よせ」


 真一郎は相棒を手で制した。三ヶ月ということは『だいぶ前』ということになる。確かな日付はわからなかったが、『最近』のできごとではないのは間違いないようだ。


「それでそのヨリタって人とはその後会ってないんですか?」

「会ったよ。世話になった礼だとか言って飯を買ってきてくれてな。あれは……一ヶ月前だったかのぉ。いやついこの前か?」

「『だいぶ前』に出ていったヨリタさんと『最近』になって再会した……そういうことですね?」

「ああ。そういうことになるかのぉ」

「わかりました。手間を取らせてすいませんでした」


 真一郎は手帳を閉じ、河川敷を後にする。

 出ていった人物と最近になって再会した。その事実がわかれば少ないながらも収穫だ。一旦署に戻って次の指示を仰ぐべきだろう。


「次はヨリタっていう人が何者か突き止めないとですね。珍しい名字ですからそんなに時間はかかららないでしょうし」

「いや……」


 シートベルトを締めようとした真一郎の手がはたと止まった。恋南の案も一理あるが、『シロ』という場合もあり得る。それではただの時間の無駄使いだ。


「もっと簡単な方法があるだろ。犯人の居場所を突き止めるだけならよ」

「え?」

「尾行すんだよ。あの幻霊獣ホロウビーストをな。きっとやつはまた動く。ヨリタかどうかはその時に確認すりゃいい」


 納得がいったのか、恋南が手を叩いた。現行犯で尻尾が掴めるならそれに越したことはない。次の狙い目は……今夜だ。

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